社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!シリーズ9~社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力~
前回の投稿『現実2何をすれば良いのかわからない』の最後、
★社会収束やそれに伴う観念の必要性は現実課題となるのか?
を受けての検証です。
社会収束や観念の必要性などそれが現実【課題】
となるには何らかの【圧力】が不可欠です。ここではおかれた状況を把握すべく、どのうな圧力が働いているのかを整理してみます。
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まず第一段階として、共認空間における圧力の一般普遍構造について
周り(or人々)の期待に応えようとする共認欠乏は、周り(or人々)の評価共認を媒介にして必然的に評価欠乏に収束する。
従って、集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
また、人々の期待(=欠乏)に応える物は、生産物であれ、創作物であれ、人物であれ、全て評価闘争(あるいは集客競争)の圧力に晒され、人々の評価共認によって淘汰されることになる。
これが、生存圧力⇒縄張り闘争を超えても、評価競争→同類圧力が生起し続ける理由である。
貧困に代表される生存圧力が働いていると、縄張り闘争圧力という同類闘争圧力が働きますが、貧困が消滅し、生存圧力、私権圧力が衰弱した現在でも、人々の期待に応えようとする共認欠乏、評価共認によって同類圧力は生起し続けます。
これは貧困のあるなしに関わらず同類圧力は働き続けるという共認空間の普遍構造です。
■共認空間の統合原理図解
━━━━━━━━━≪共認空間の統合原理≫━━━━━━━━━
周り(or人々)の期待 <== 同類圧力 ←― 評価競争
に応えようとする ↑
|| ┌────┐ |
共認欠乏==>|評価共認|=(淘汰)==> 評価欠乏
└────┘
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第2段階としてより広い社会空間では、圧力はどのように働きどこへ収束するのでしょうか?
①しかし、社会空間は常に評価共認⇔評価競争の圧力で満たされ(その評価圧力によって人も、行為も、生産物も、全てが常に淘汰され)るだけではない。その評価共認によって規範や制度や観念の共認圧力(注:これを固定圧力と呼ぶ)にも満たされる。
②この様な共認圧力(評価圧力や固定圧力)で満たされた社会空間の中では、個人や集団の思考や行動は、その共認圧力(注:これを社会圧力と呼ぶ)によって強く規制される。
従って、人々の外識機能は、必然的に個人や集団を超えた社会圧力の把握へと先端収束する。換言すれば、人々の外識機能は個人や集団を超えた最先端の状況認識へと収束する。
③この認識基調(社会収束)の下では、原基共認(期待に応える充足)の対象が個人や集団を超えた、より広い対象(より多くの人や場)に向かうのは必然である。
これが今、メル友やサークルや海外旅行etc、人々を何よりも『人』に向かわせている、つながり(拡がり)欠乏の正体である。
第1段階の評価共認に基づく評価競争という同類圧力は日々変化し流動的なものです。
しかし社会空間ではこれに加えて規範や制度、観念などの固定的な共認圧力が加わります。
このような(評価+固定)圧力下では、その圧力を構成するより広い世界=社会を対象化しようと最先端の状況認識に収束しようとします。これは必然的に個人や集団を超えたより広い対象に向かわせます。
これが人つながり欠乏の正体なのです。
■社会空間の認識基調図解
━━━━━━━━━≪社会空間の認識基調≫━━━━━━━━━
①固定圧力=規範や制度や観念の共認圧力
↓
②社会圧力=個人や集団の思考や行動を規制
↓
人々の外識機能=>個人や集団を越えた=>個人や集団を越えた
社会圧力の把握 最先端の状況認識
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
∥
∨
③個人や集団を越えた
より広い対象
(より多くの人や場)
||
つながり(拡がり)欠乏
次回はいよいよこのシリーズ最後の記事となります。乞うご期待!! :
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コメント2件
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