2006年11月06日

教育パッシング

最近の新聞紙上で頻繁に取り上げられている『いじめ問題』『必修科目未履修問題』について、教育現場の講師からは、国とマスコミによる「教育パッシング」ではないか、という声があがっている。(http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/
>最近の教育バッシング報道にうんざりしています。特に、いじめ報道は、一方的に学校だけに責任をかぶせているようで、本当にいやです。確かに、教師の指導のあり方に不適切な要素があったことも事実でしょうが、自殺した子ども側の親戚やら親やらがマスコミに直接出てくるというのは、マスコミ自身があおっているのか、何らかの意図が別にあるのかは定かではありませんが、教育再生なんとやら会議などと連動しているのではないかとも勘ぐりたくなります。<
 
学校の講師がどう言おうと学校に問題あり、とは事実だがしかし、それにしても確かにマスコミ報道は異常である。

にほんブログ村 政治ブログへ


●まず、読売新聞においては、連日のごとく『履修科目問題』がトップ一面を飾っている。報道内容を端的に言えば「学生はかわいそう」「学校が悪い」という論調である。これにいじめ問題⇒規範問題がつながり、「しっかり指導していない」=学校に任せられないという共認形成を図っているように思われる、
しかし、なぜに履修せずに放置されたのか、過去においてどうだったのか、履修しないとどうなるのか、の追究は全くない。履修していない側の責任は全く問われない・・・そもそも大衆の意識レベルでは、この問題は「大したことない問題」ではないのか。30年以上前でも受験にたいして役に立たない必須科目など形式的にやっていたに過ぎない。「必要がないからやらなかった」という点からの切開が重要ではないのか。
●いじめ問題。自己中化した子供たちのいじめ問題は目に余るのはゆゆしき問題だろう。が、当然いじめられた子供もいじめた子供達も彼らを自己中化したのは、学校だけではなかろう。密室化した(自己中化した)家庭及びそれ容認して加速させた支配共認と体制の問題が追究されるべきだろう。特にこの間のいじめ問題では新聞紙上では全く家庭は登場しない。学校側と教育委員会の責任を追及する被害者の親と親族のコメントだけである。原因追究に蓋をするだけでなく、「どうする?」の答を全く提示しない。すべて否定である。
実は、答がわかっている、そのように動いているのではないか・・・現在の「教育制度体制ではだめ。現在の教育基本法ではダメ。日教組などの反対運動があるから子供を真っ当に教育できない、ということを言いたいのではないのか。つまり、教育会における右傾化のためではないのか。
■実は、教育基本法改定案がいよいよ国会に提出される。マスコミ報道はそれを支援すべく社会共認を形成しているように思えてならない。
小泉も安倍も教育改革を掲げてきた。それは、歴史を紐解くまでも無く、子供の教育は支配共認を遂行する上で欠かせないからである。このままでは単に学校の教師が大変という問題を通り越して、実際に子供が危ない=子供の本源共認回路が危ない。
いよいよ、自然圧力の中での農教育、生産圧力の中での企業内教育、企業間教育の実践に向けての共認形成が必要ではないか。
   
(りゅうしょう)
クリックしてくださ~い

List    投稿者 nature77 | 2006-11-06 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2006/11/65.html/trackback


コメント2件

 きんぴら体操 | 2006.11.16 21:33

なるほど、基軸通貨である「ドル」をめぐる戦争。
今までこういう視点でアメリカの動向を見ていなかったように思います!

 hermes danmark | 2014.02.02 0:14

cheap hermes belts india 日本を守るのに右も左もない | ドルを守るためならなりふり構わないアメリカという国

Comment



Comment