2010年04月23日

潮流5:失われた40年

前回のエントリーでは、70年をもって市場拡大はすでに停止しており、GDPの増加から借金(国債)の増加を差し引けば、実は実質マイナス成長に陥っていることつまり現在の市場は、実は国家による資金注入という輸血装置によって見せかけの成長をしてきた人工市場に過ぎないことそして国債900兆という巨額なマネーを投入したことがバブルを生んだこと。
以上を明らかにした。
今回は、バブルとその崩壊、そして止めどない社会活力の衰弱に陥った‘70年以降の40年間を総括した、るいネット投稿「潮流5:失われた40年」を紹介する。
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少し前には、バブル崩壊後の15年間を「失われた15年」と呼ぶことが評論家たちの間で流行していた。しかし失われたのはバブル崩壊の15年だけだったのか?そもそもバブルを生んだ過程それ自体が「巨大なる喪失」の本質的な問題ではなかったのか?
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この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。
おそらく彼らは、市場拡大は自分たちの特権を維持するためではなく、国際戦争に打ち勝つために不可欠だったのだと主張するだろう。
しかし、それは本当か?
本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。

「市場拡大は国際競争に打ち勝つため」この言説について、その真実性を、我々は改めて検証する必要がある。まず、特権階級たちは900兆もの借金を市場にぶち込んで、無理矢理市場を拡大させてきたにも拘わらず、国際競争力を著しく衰弱させ、活力を衰弱させる結果を生みだしたことは明らかである。
しかもそれは結果論ではなく、ある意味で必然でもあった。その事に詳しく触れたいと思う。
そもそも国際競争の制覇力(国力)とは何か?それは、まず、古代中世においては武力であった。それが近世に入って、軍事力の基盤は経済力であるという見方が高まってきた。例えばスペイン国王がコロンブスの大航海に多大な支援を行ったのもそのためである。そして近代、第一次・第二次世界大戦で経済力に劣る、日本とドイツの敗戦を通じて、国力とは専ら経済力=GDPを指すようになる。GDP信仰の始まりである。
しかし、現在も果たしてそのような公式が成立するのだろうか?
まず軍事力の基盤となりうるのは、物的な生産高(建設、土木含む)だけである。すでに‘70年以降、物的生産はGDPの5割を切り、今や3割を占めるに過ぎない。そして’70年以降急速に拡大してきたのはサービス業であり、その中でも遊びや医療や教育や公務である。しかし、これらが拡大することが国力や社会活力の上昇に果たして繋がるといえるのだろうか?
まず‘70年と比してGDPに占める公務員の給与の比率は大きく増大しているが、大きくみて社会は悪くなるばかりである。それも当然で、公務員が民間と競争すれば必ず負けるほど無能で、昔から税金泥棒と呼ばれ続けてきた。つまり彼らが増えれば増えるほど国力は下がってゆく。
次に教育、今や大学の学費は各家庭の平均所得の20~50%にも成るが、大学の授業で習ったことが社会で全く役に立たない事は企業社会では常識。まさに無駄なお金の典型である。

医療・健康分野に至っては、これらが増加すると言うことは、要するに病人が増えたと言うことであってそれが、国力や活力に繋がらない事は明らかである。
遊びにしても、地域活性化のために建設されたテーマパークやスタジアムなど、すぐにみんな飽きてしまい、後に残るのは膨大な借金のみ。それに遊んだ分活力が沸いてくるかと言えば、それは逆で、むしろ遊べば遊ぶほど無気力になってくるのは、経験からも明らかである。
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膨大な借金を投入して成長させたGDPの実態は以上であって、もはやGDPの成長=国力の上昇という公式は全く成立しないのである。。つまり、国際競争に勝つためにGDPを成長させるという論理は、もはや成立しない、少なくともせいぜい二義的な意味しか持たない。つまりGDP信仰は、もはやイデオロギーに過ぎない。
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この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。
これは、次のように云い換えることもできる。生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。それに、物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない。

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先ほど述べた、GPDにおける公務や教育や医療の増大を、別の角度からみてみよう。膨大な借金が、結局誰に費やされたのかという問題である。それは、現在福祉予算が国家財政の3割弱を占める最大項目となっていることや第3位に文教費が来ているところからみても、それが公務員、学生、福祉受給者、主婦などに注がれた事は明らかである。(2位の公共事業の中に学校や福祉施設も相当含まれているので、それぞれの割合はもっと高まる。)つまり(公務員も含めて)「働かない人々」に支援金を注入しているのであって、働かない人に支援金を注入しても社会の活力は上昇しないことも明らかである。
つまり、今求められている事はいかに労働活力を上昇させていくかなのである。そのためには、本当に社会に必要とされている活動(社会不全に応える活動)に支援金を投入すべきである。少なくともそのための議論を今すぐ始めるべきである
もともとお金の本質的機能・役割は、生産・消費活動の活性剤であり、(インフレにさえならないのなら)活動の活性化のために紙幣量を増やすこと自体は、理にかなったものである。

このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。
彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。

バブル崩壊によって失われた資産は約1000兆円といわれる。しかし、もっと大きな損失が国民の活力と国力の喪失である。それは統合階級の、40年前からの失政の連続=旧い経済理論への固執にこそ原因があったのだ。

List    投稿者 kentaro | 2010-04-23 | Posted in 12.現代意識潮流3 Comments » 

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コメント3件

 智太郎 | 2010.12.11 15:24

菅直人は、日本国が北朝鮮の爆弾で恐れ、不況で自殺者も続出してる中、いつもインタビューじゃニコニコしおってからに、国民に対する責任感も感じない。 菅が本当に責任を感じてるならうれしいが、総理たる者は、常にリスクをしょって生きてくって事。 ソレを全て善良な我々:国民へリスクを負わせるっての?ブッチめたろうかっての? 日本はガンに冒されてながらも切実な自覚症状が無いからって、菅直人をはじめ、悪党:民主党の呆れ議員等が口先で、先送りじみた事を言いやがって、国に対する応急手術も放射線治療もせずに、体中:国が痛みだしたときには、もう死ぬ時期だってのに、死ぬ寸前の痛みに襲われなけりゃぁ~分からにゃ~で、口先だけの先送り内閣ってのが、今の悪党:民主党の呆れた体質なんだらね?

 lived104 | 2010.12.12 14:19

>智太郎様
近年の政権(を含む特権階級層)の迷走・暴走が、顕著になっていますね。
政に携わるにあたっての拠が、我欲とそれを押し通すための米国、金融資本への阿りであれば、国民の期待に応える政治とならないのは明らかです。
まずは、歴史事実から普遍構造を抽出し、皆が認め合うことのできる理論への体系化が必要です。
この過程を経て、初めて国民の期待に応える政治が実現するのだと思います。

 svizra hermes | 2014.02.02 9:29

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