2009年11月24日

観念パラダイムの逆転3 現実とは、人々の意識である

前回のエントリーでは、あらゆる存在は現実を否定しては生きてゆけない。現実を否定する異常な意識こそが倒錯思考の原点であり、現代の様々な異常現象の元凶だということを紹介した。
今回は、この現実を捨象した(現実の根本構造から目をそらした)近代思想のパラダイムからどの様に脱却すればいいのか。そして現実を「対象化」するとはどのようなことなのかについて触れていきたい。
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まず、冒頭に四方氏の「現実とは人々の意識である」という切り口を紹介する。
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生存圧力から同類圧力へと場が移行したと云うことは、場=現実が、同類圧力=人々の意識そのものが形成する圧力、の場に成ったことを意味する。つまり、今や現実とは意識である。だから現実を対象化するということは、人々の意識を対象化することに他ならない。

かつて、よく大人たちは「現実をよく見ろ」とか、「現実とは厳しいものだ」と若者たちに語ってきた。この場合明らかに現実とは私権圧力や私権制度を指している。
その観点から見れば、「現実とは意識である」という提起には意表を突かれた感じがする。

現実とは意識であるという言葉に、違和感を覚える人も多いだろう。確かに、原始人類にとって現実とは、生存圧力=自然圧力そのものに他ならなかった。ただ主体=対象である以上、対象(=自然圧力)に対応する主体(=適応本能や共認充足や精霊信仰etcの意識)もまた確固として存在しており、その意味では、常に現実は意識の内に在ったし、その意識こそが彼らの現実であったとも云える。
しかし、自然圧力そのものは意識とは別個に、意識の対象として存在しており、『現実』は(人々の意識の中以前に)外的な自然圧力として意識されてきた。その後、この自然圧力=生存圧力を基盤として形成された私権圧力は、人々の共認によって形成された圧力ではあるが(従って、決して意識と別個に存在する圧力ではないが)、生存圧力が強い間は、やはり『現実』は外的な圧力として意識されてきた。

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原始人類、私権時代双方を通じて、圧力とは生存圧力を意味していた。それは、待っていても向こうから一方的に襲って繰る圧力として、その意味で自らの外側にある圧力として意識されてきた。
しかし、同時に原始人たちは、同時に自然圧力の中に突破口の可能性も見ていた。つまり主体の中に内在する、適応本能や共認充足の可能性欠乏が、自然圧力の中に可能性を見出そうとしていたのである。
その意味で、原始人にとって主体と現実はイコールで結ばれていたのであり、現実とは彼らの意識でもあった。
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それに対して、私権時代の人々はもっぱら生存圧力=私権圧力を外的なものとして捉えるしかなかった。それは身分制度によって、現実=私権圧力世界の可能性(地位や金)が封じられていたからである。
したがって可能性を自らの意識の内に求めるしかなかったのである。
これが、私権時代の人々が現実を自らとは別の、外的なものとしてしか捉えられなかった理由である。

だが、貧困が消滅して生存圧力が衰弱し、同類圧力が中心的な圧力になってくると、パラダイムは一転する。同類圧力は、人々の共認が形成する圧力である。従って、『現実』とは人々の意識に他ならなくなる。
しかも、主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。
こうなると、もはや現実を否定することは出来なくなる。実際、現実=同類圧力を形成したのは人々=他人であって、自分だけは別である=自分は無関係であるとは、誰も云えまい。だとすれば、もはや現実を否定することは出来ない。

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この「現実とは人々の意識である」という事実認識は、現状分析の上で実に重要な問題を提起していると思う。つまり社会状況を分析する場合、政界の動向や、金貸しやアメリカの謀略等々だけを分析している事例は世に数多存在するが、それ自体が現=私権圧力や私権制度の圧力だけを捉える古いパラダイムの所産であること。そして重要なことはその分析だけでは、突破口=可能性を掴まえることができず、可能性をつかむには人々の最新の意識潮流の分析と可能性の発掘が不可欠であること、である。
非常に重要な観点だが、なおこの「現実とは人々の意識である」という観点に違和感を覚える人もいるだろう。
たとえば人々の意識=自分の意識と果たしていえるのか。(例えば、世論と自分の意識は必ずしもイコールではない)。あるいは支配観念や制度が人々の意識を大きく規定している側面があり、それらはまがいもなく現実の一部を構成している。支配観念や制度を批判することは、現実を否定する事にならないのか?などの疑問である。
次回のエントリーでは、人々の下部意識と、観念(上部意識)との関係を分析した「観念パラダイムの逆転4を続いて紹介することで、それらの問題を扱っていきたい。

List    投稿者 kentaro | 2009-11-24 | Posted in 12.現代意識潮流No Comments » 

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