【日本の技術の神髄から学ぶ】~金属加工・製鉄③ 最先端の科学技術を超える職人の精神世界に学ぶ。~
前回の記事では「地域の歴史」を追っていく中で、日本の職人たちが世界一の “技”を持つ背景には職人の精神性があることが分かりました。
そして、その優れた技を持った職人の精神性を代々引き継いできた企業が、現代においても世界ナンバーワンの技術を持っていること、またそれらを地域全体で維持している共同体性こそが日本のモノづくりの強さの根源にある、ということが見えてきました。
では驚異的な技と能力を育む『職人の世界』とはどんなものなのでしょうか?彼らは、日ごろ何を見て、何を考え、その奥にはどんな精神世界があるのでしょうか?
職人ではない私たちも、彼らに学ぶことで、新しい時代を生き抜く力を獲得することができるのではないでしょうか。
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■人間の本来の力を引き出す職人の精神世界。
職人は水平性や曲率違いを「数ミクロン」単位で捉えて調整をしたり、刀の鍛錬の際に鉄を叩くことで「0.1%レベルの成分バランス」の調整を行ったりなど、一般的な人間が認識できるレベルどころか、精密機械や科学技術をも超えた極めて高い認識能力を持つ人がいます。
そうした驚異的な能力をもつ職人の世界を深堀していくと、彼らの精神性の根本には、共通して自然に対する造詣の深さや畏敬の念があるように思えます。
特に調べていくなかでその特徴が色濃く表れていると感じたのが、日本刀を作るためになくてはならない材料である『玉鋼』の製造技術。
砂鉄を原料にしたこの貴重な鉄は、現代の最先端技術をもってしても、いまだに再現不可能な技術であるため、今もなお日本独自の製鉄技術と大自然が恵む天然材料と“人間の力”だけを用いて作られています。
この古来より脈々と受け継がれた手法で「玉鋼」を生み出す職人たちはどのような世界で、物事を見ているのでしょうか?
ここに人間が本来持っている秘めた力を引き出すヒントがあると思います。
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◆「たたら吹き」は、五感を駆使して、命を吹き込む。
大地から砂鉄を掘り出し、山奥に生えている木を切って炭にする。さらに、炉を築く良質な土を集める。選び抜いた自然の原料が集まってはじめて、たたらを吹くことができ、玉鋼は生まれます。たたらは、大自然を相手に共生し、大自然から授かった仕事。ですから私どもは、自然に対する畏敬の念、感謝の気持ち、謙虚な姿勢を決して忘れてはならないと思っています。
こうして大自然の恵を人が命懸けでつないで、三昼夜、たたらを操業する。不眠不休で行う「たたら吹き」は、まさに、命を吹き込んでいるような感覚があります。炉自体、火や炎の現象自体がまさに生き物であるかのようで、健康を維持するために腹八分で炎を燃やす。
炉の中には、「火の道」があって、その道に風を通してやらないといけない。ある部分に砂鉄が多く溜まれば、そこには火は通らない。火の状況変化をつねに把握しながら操作し制御していきます。人間が健康であれば顔色がいいのと同じように、炉も具合が良ければいい火の色を維持してくれます。三昼夜かけて誠心誠意、手塩にかけて育ててやる。やがて出来上がった玉鋼のもととなるケラ『鉧』は、本当にわが子が生まれたという気持ちになります。
村下は、先の先を読んで手を打っていきます。砂鉄の状況、木炭の状況、鉧の状況など、炉の中が刻一刻どう変化していくのかは、人間の目で見ることはできません。そのため村下には、炉から発する火の色や炎の勢い、風の音、鉧が成長する音などの様々な現象を捉え、炉内の状況を感じ取り、読み取るという見えないものを見ていく能力が必要になります。
https://tatara-samurai.jp/tatarabuki/より引用
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自然を相手に、五感を駆使して、命の息吹を吹き込んでいく。
火の微細な変化、土の性質の変化、これらを捉えながら、火中の金属の0.1%未満レベルの化学反応による成分の変化を調整する。
このおよそ見えるはずもないモノを見るために、命なきもののばずの“鉄”や“火”、“風”を、生命を宿した意志をもつ『精霊』のように捉え、対話することで玉鋼を生み出していく。
これは、科学技術や現代科学の根底にある、物質や現象を単純に物質として捉え、正確なデータを注視することでコントロールしてきた『西洋の自然観』とは全く異なる思想です。
物質や現象など、万物を意志をもつものとして捉え、音・揺らめき・においに対しても、人との会話でいえば言葉尻(表層)に囚われることなく、言葉の奥にある「こうなりたい、こうして欲しい」と相手が本当に思い、求めている“本質”を、対話することで感じ取っている。
これは人間だれしもが本来的にもつ、『相手の感情の機微を読み取る力』を『万物にも向けることができる能力』の延長にあるものだと思われます。
最先端の科学技術を超えていく”質”に辿り着いた彼ら職人たちは、人間のもつ原初的な力を最大限解放した人たちなのかもしれません。
近代の科学技術・西洋思想でできている現代社会。今後もデジタルデータを扱うことに長けたAIが台頭してくる時代になります。
ですが、今一度、始原人類の自然観に立ち戻り、物事の見方を捉え直してみることで、人が本来持っている物事の『本質を見抜く力』を引き出し、新しい時代を生き抜く力を獲得することができるのではないでしょうか。

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