2010年04月08日

潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向

前回までのエントリーでは、人類社会の統合原理として、共認原理と序列原理が存在し、明治から戦後までは民主主義と言われながらも、武力支配時代(封建時代)と同じ統合原理である序列原理(力の原理)で統合されてきたことを明らかにした。 「潮流2:戦後日本の意識潮流」
今回のエントリーは、引き続いて、1970年以降の意識潮流について、歴史的にマクロな視点で捉えなおしてゆきたい。
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’70年、工業生産の発展によって、ほぼ貧困が消滅し、豊かさが実現された。この豊かさの実現=生存圧力の弛緩は、生物が経験したことのない全く新たな事態である。但し、人類は1万数千年前、飢餓から解き放たれた採取部族の時代に、一度、これに近い状態を経験している。 「潮流3:豊かさの実現と充足志向」

 人類は1万数千年前、弓矢を発明する。それまで洞窟に隠れ住むしかないほど弱い生き物であった人類は、一般動物と対等に戦えるようになる。人類は防衛力を手に入れ、生産力を上昇させたことで、極限的な飢えから解放され、人類を取り巻く生存圧力は一気に弛緩する。
 
 そしてさらなる安定を求めて貯蔵を開始する。そして集団規模の拡大に伴い、祭祀が大がかりなものとなり、三内丸山の櫓の様な構築物も作成され、翡翠などを用いた装飾品も作られ始める。そして婚姻様式は集団成因の性欠乏の上昇に答える形で、総遇婚(原始乱交制)へと転換してゆく。
要するに生存圧力をほぼ克服した採取時代には、安定志向と充足志向の傾向が顕著に見て取れる。
他方現代、敗戦後の瓦礫と飢えから出発した戦後日本も、神武景気、岩戸景気に続く60年代の所得倍増政策と二ケタ成長を続けることで、ついに1970年頃、ほぼ貧困を消滅させ生存圧力を克服するに至った。

一般に危機状況では、危機を突破しようとする意識的な実現志向が強く生起するが、その実現可能性は小さい。他方、充足状況では、無意識に近い弱い実現志向しか生起しないが、その実現可能性は大きい。
豊かさが実現され、生存圧力が弛緩すると、闘争の実現可能性よりも充足の実現可能性の方が大きいので、人々がそちらに向う結果、闘争よりも充足の方が価値が高くなる。つまり、闘争よりも充足の方が、挑戦よりも安定の方が大切になる。従って、闘争(仕事)志向や挑戦(創造)志向よりも、充足志向や安定志向の方が強くなる

 危機状況における、実現志向の代表がいわゆる生物進化である。例えば水中から肉食魚類に追われた種が両生類を経て現在の陸上動物へと進化したわけだが、その過程は肉体改造の連続であり、おそらく同じ環境におかれた種の殆どが進化に失敗し(適応できず)、一握りの奇跡的な確率を物にした種が辛うじて生き延びた。極限状態におかれた始源人類も、生存の危機にさらされるたびに、新天地を求めて決死行を繰り返し、アフリカから全世界に拡散を果たしたが、おそらくその過程では大多数が死滅したことだろう。
 
 貧困の時代には、例えばヨーロッパ近世には、一攫千金を夢見て死を賭した大航海に身を投じた人々もおり、日本においても、半ば故国を捨て満州や、ブラジル等の開拓移民に参ずる人々も数多く存在した。いずれも命をかけた挑戦である。
しかし、貧困が消滅した‘70年以降、挑戦よりも安定や充足を求める指向の方が、遙かに強くなる
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また、生存圧力が衰弱し、物的充足が飽和状態に達した状況での新たな(=より大きな)充足可能性は、物的価値ではなく類的価値(人と人との間に生じる欠乏)の充足の中にしかない。そして、類的価値の充足とは、共認充足に他ならない。又、充足志向は安定志向を生み出すが、この安定も相手との共認や規範の共認etc人々の共認によって実現する。従って、生存圧力を脱した人々が志向する充足・安定志向は、必然的に共認収束の大潮流を形成してゆく。それだけではない。生存圧力が弛緩したことによって私権圧力→私権欠乏も衰弱過程に入ってゆく。つまり、’70年、豊かさの実現(=貧困の消滅)をもって、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換を遂げたのである。従って、資本権力も衰退過程に入り、代わってマスコミの共認権力が第一権力に躍り出る

 その充足可能性の追求は、まずは‘70年代自由な性(性収束)に向かい、続いて’80年代マイホーム主義(家庭収束)を生み、‘90年代仲間収束(子ども世界における仲間空間絶対の空気)を生み出してゆく。つまり人々は人間関係の欠乏→共認充足に収束してゆく。そして人類史的なマクロな視点から見れば、共認収束の潮流が、私権時代5000年(日本は2000年)に及ぶ不変の体制原理であった序列原理を、根底から覆してゆくことになる。
その最初の兆候的現象がマスコミの第一権力化である。少なくとも貧困の消滅する‘70年までは、政治権力(国家権力)や資本権力が、マスコミの力を上回っていた。
例えば、戦後自民党の大物政治家の一人であった三木武吉は「私は妾が5人いる」と公然と選挙演説にて発言した。その発言はマスコミが叩きまくったにもかかわらず、三木の地位はビクともしなかった。
また同じく1960年代に首相であった池田勇人は国会で「貧乏人は麦を食え」と発言した(正しくは、分に応じた生活をするべきだという意味の発言を、上記のごとくマスコミがセンセーショナルに一面化し叩きまくった)。が、首相の地位が揺らぐことも全くなかった。つまり政治家の力がマスコミの力を上回っていた。
これらは、現在であれば、いわゆる「愛人スキャンダル」や「放言」として、マスコミの非難にさらされ、政治生命を絶たれかねない事件である。
実際‘70年以降は、田中角栄(ロッキード事件)に始まる金権政治たたき、宇野首相始めとする愛人問題など、マスコミの標的となった政治家たちは、次々と失脚の憂き目にあうことになる。つまり’70年を境に政治家とマスコミの力は逆転したのである。(資本も同様で、今や大企業といえどもマスコミに連日叩かれればその屋台骨が揺らいでしまう。)
現在世論はマスコミによって作られる。つまり、旧い序列原理の頂点にあった、国家(政治家・官僚)や資本の力を世論形成=共認形成の場を牛耳るマスコミの力が凌いだことを意味する。これは極めていびつな形ながらも、序列原理から共認原理に時代が移行し始めた事を意味する。
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この闘争から充足への基底的な価値転換を受けて、’60年安保闘争、’69年全共闘運動と続いた否定発の反体制運動は、’70年以降一気に衰退してゆく。そして、彼らもまた、安定したサラリーマン生活の中へと埋没していった。こうして、’50年代以来の怒れる若者たちは少数派に転落し、わずかにその名残を暴走族やヤンキーとして留めるだけとなる。
これは、豊かさの実現=生存圧力の弛緩に起因する、男原理主導から女原理主導への転換であるとも云える。(その後の性的商品価値の暴騰とそれによる性権力の暴走も、その一時的な先端現象である。

 序列原理が衰弱すれば、序列圧力や序列規範に対する「アンチ」として存在する「自由」「平等」等の近代思想に立脚する運動も一気に衰弱する。「反抗」の対象が衰弱すれば、反抗そのものが意味を失うのである。学生運動や暴走族だけではない。60年「総資本対総労働の闘い」といわれた三池闘争を始めとして、「階級闘争」として激しくぶつかり合った労使関係も、‘70年から’80年にかけて、「労使協調」路線へと転換を遂げる。対立から協調の時代に転換したともいえる。
(因みに「男原理」とは力の原理つまり、対立して力で相手をねじ伏せて言うことを聞かせる=つまり北風で旅人にマントを脱がせる方法論である。それに対して女原理とは懐柔の方法論であり、納得ずくで自ら進んで行動するように仕向ける=太陽の暖かさで旅人にマントを脱がせる方法論である。)
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しかし、それは行動の大転換となって顕在化した肉体的な潜在思念の大転換であり、現実には市場は利益追求のまま、企業は序列制度のままなので、顕在意識は私権収束→私権統合のままである。むしろ、圧力の衰弱によって、’70年代、’80年代は、いったん私権意識が肥大した面(ex自由な性)もある。
加えて、顕在意識は相変わらず「否定と要求」を正当化する近代思想に支配されたままである。従って、肉体的には「否定」は空中分解したにも拘わらず、外圧=私権圧力が衰弱したことによってむしろ抑圧を解かれた不満や要求や主張が肥大し、マスコミ主導で「人権」「同権」etcの架空観念が、いったんは蔓延してゆく。
同様に、私権追求の欠乏が衰弱してゆく以上、「自由」を追求する欠乏も無意味化し、空中分解してゆくが、顕在意識は相変わらず「自由」という観念に支配されたままで、むしろ外圧が衰弱したことによって「自由」という架空観念がいったんは肥大化し蔓延してゆくことになる。(例えば、この頃「自己実現」などという紛い物も跋扈した。)
しかし、その間も、最深部の充足志向は上昇し続け、それに伴って充足発の実現志向も上昇してゆく。そして、それは子供や若者の仲間収束として顕現する。(例えば、私権より何より「仲間第一or仲間絶対」だからこそ、昔からあった「いじめ」が逃げ場のない深刻な問題として浮上したのである。

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しかし、序列原理は秩序原理であり、従って野放図な私権闘争や自我(不満や要求)を封じ込める力を持っていた。従って序列原理が衰弱したその反動として、‘70年代’80年代は(充足指向や安定志向の共認収束の大潮流と平行する形で)それまで抑圧されていた、私権意識や自我を一時的に肥大させた。
それは自由な性(ナンパやフリーセックス)、金儲け主義(バブル)、塾ブーム(猫も杓子も大学へ)という流れの中で現れる。(面白いことに性→金儲け→序列身分という基底部から最上部へと順に顕在化した。)
しかしそれは一時的な徒花である。大局の流れとしては生存圧力が衰弱し、充足収束が顕在化してゆく以上、私権欠乏は衰弱していかざるを得ない。
加えて仲間収束が高まる中では、自我も(仲間圧力によって)徐々に封じ込められてゆく。

この一時的な徒花の象徴がバブルである。バブルは実は安定成長のスローガンの中で生み出された。予算バラマキが生んだ物である。つまり安定収束と私権意識の肥大が相まって生み出された歪んだ合成力が作りだした代物ともいえる。
次回は「潮流4」を通じてバブル経済についてその時代背景を読み解いてゆきたい。

List    投稿者 kentaro | 2010-04-08 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

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コメント2件

 UGG | 2010.11.30 14:55

この文章はとても良いですよ。

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