2010年09月27日

9/23なんでや劇場 (3)~私権意識の衰弱構造

 9/23なんでや劇場 (2) で私権構造とは何なのか?そしてその成立過程(発生過程)が明らかになりました。
 第3弾は、私権意識の衰弱構造について明らかにしていきます。
 『私権意識の衰弱構造(図解)』を参考に解き明かしていきます。
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 (この画像はこちらからお借りしました)
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 では、様々な正当化観念によって武装されながらも、私権意識は、どのような過程を経て消えていったか?
’67~’10までの社会現象」年表
私権意識の衰弱構造」図解

●’70年豊かさの実現→物的欠乏と自我が衰弱→(社会を統合してきた)私権収束力の衰弱→豊かさ期待の衰弱→収束不全(目標が無くなるor見失う)。
生物集団であれ人間社会であれ何かに収束することによって統合される(生物は秩序化存在である)が、収束先を見失うと本能次元からの秩序収束が生起する。人類の場合は共認によって秩序形成されているから必然的に共認収束する(みんな、どうなん?どうする?)。私権収束力<共認収束力となり、共認権力であるマスコミが第一権力にのし上がる。しかし、新しい共認収束の答えはマスコミにはない(偽者の第一権力である)。
疑問として、
○私権は衰弱しているのに、学歴身分は強くなっているのは何故か?
 現在の中学受験をはじめとする学歴身分共認には、私権追求以外の新しいファクターが介在している。例えば、旧帝大の学生でも特権階級(学者・官僚・法曹・マスコミ)を目指す者はせいぜい2~3割。これは古い私権追求型だが、それ以外の大多数の学生の意識は「良い仕事に就くために良い大学」という辺りにある。「良い仕事」の中身は、何らかの社会的期待に応える仕事ということであり、この意識は私権欠乏には包摂されない。無自覚ではあるが、社会の期待に応えたいという意識が学生の潜在意識下で強く働いていることは間違いない。
○性権力が肥大したのは何故か?
 
 私権時代は男の私有権力と女の性権力がせめぎ合っていたが、’70年私権収束力の衰弱によって私有権力が衰弱した結果、力関係で性権力>>私有権力となった。こうして一旦’80年代は性権力が肥大したが、一転して’90年頃私権がトコトンまで衰弱すると自我・私権発で形成された男の性欲が衰弱し始め、’97年頃からセックスレスが蔓延してゆく。これは、男の性欲の中心が独占欲であり、私権が衰弱すると独占欲→性欲も衰弱するからである。この男側の需要減によって’97年以降、性権力も一気に衰弱した(さらに最近は、性欲が出てこないという人まで登場しており、哺乳類の最強本能である性をも封鎖するほど、収束不全(秩序崩壊の予感)が深刻化したことを示している)。
○しかし、自我の問題としてより根本的なのは、私権時代では物的欠乏と自我が一体となって生起していることである。遊牧部族の私権意識の発生過程でも物的欠乏と自我は一体(ここでも婚姻制度=性が絡んでいる)。発生過程だけでなく、’70年以降の衰弱過程でも物的欠乏と自我が一体で衰弱している。このことから、私権時代は物的欠乏と自我は一体と見なして間違いないだろう。
’70~’80年代は一見、自我が強大化したように見えるが、豊かさの実現によって生存闘争⇒物的欠乏という根っ子を失った相対自我が肥大化したに過ぎない。単なる相対自我は、根無し草に過ぎないので極めて貧弱であり、来るべき共認圧力によって封鎖される運命にある。

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●’90年バブル崩壊で私権観念が錯乱し、私権収束力は衰退し、豊かさ期待は消滅してゆく。収束不全が強大化しセックスレスが蔓延する一方で、共認収束は半顕在化し、人々は私権追求から離れて別の世界(本源世界)に向かい始める。
また、私権空間における大衆の要求圧力も衰弱したことで、私権空間の空洞化が進む。この空洞化した偽ニッチ空間でやりたい放題の暴走を重ねているのが特権階級である。
かくして、新しい世界に向かい始めた大衆と、衰亡してゆく私権空間に閉じこもる特権階級の世界はどんどん離れていくことになる。これが、特権階級と大衆の世界の断層の拡大である。そして、この衰亡空間の行き着く先は消滅しかない。
にもかかわらず、なぜ特権階級は私権空間に閉じこもっているのか?
①金貸しは市場を捨てることはできないから。しかし、市場に固執する限り打つ手はない(せいぜいバブルを作り出すしかない)。
②特権階級は金貸しの指示に従っているだけなので、自分の頭では何の状況判断もできず、従ってかなり無能で、状況の変化を読むことなどできないから。
③とりわけ日本の特権階級(学者・官僚・法曹・マスコミ)は、デビッドに脅されて盲従しているだけなので自分の頭ではほとんどモノを考えられない連中であり、信じ難いほどにトコトン無能で、状況を読むことなど全くできないから(これほどの無残な暴走を続けられるのである)。
先日の民主党の代表選を見ても明らかだろう。デビッド・ロックフェラーの支配下にある日本の検察・官僚・マスコミは小沢を叩いて菅を勝たせた。しかし、デビッドが亡くなるのは時間の問題だが、彼らはそんなことも読めないでいる。このように彼らは自分の頭で考えることはできない。上(金貸し)から出てくる方針に従って、その方針に則ったデータを捏造し、詭弁を弄することしかできないのである。

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 これらの画像はこちらからお借りしました。  

●’02年、株式三番底で私権観念は挫折し、収束不全が顕在化し、本源収束の潮流が生起し始めた。
次いで、’08年世界バブルの崩壊で私権観念は消滅し、私権収束力<本源収束力となり、本源(充足の実現)期待が生起し始めた。
類グループは40年前共同体として設立され成長はしてきたものの、’09年までは共同体の時代と言えるような感覚は一度も生起してこなかった。ところが、’10年、この不況下で絶好調である。その理由は共同体だからであり、共同体の時代が到来したからである。市場競争においてさえ共同体が勝っているということは、社会の統合力(制覇力)が私権収束力から本源収束力に変わったということを意味している。

 『私権意識の衰弱構造』が非常に参考になります。
’70年豊かさの実現から~’08私権観念の消滅にいたる各段階で私権意識が衰弱し続けていること。ただし、’70豊かさの実現の段階で現代の構造の原型は揃っていることが注目点です。

List    投稿者 hoop200 | 2010-09-27 | Posted in 12.現代意識潮流No Comments » 

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