2009年11月05日

男女共認の輪は新理論へ収束するか?その歴史的考察②~男女関係の転換によって新しい統合観念が生まれる

前稿に続いて「男女共認の輪は新理論へ収束するか?」
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●では、人類の観念機能の原点である精霊信仰ではどうだったのか?
『実現論』「人類:極限時代の観念機能」より引用する。

極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。

『実現論』「人類の雌雄分化と人類の弱点」では、

樹上機能を失い、絶望的な状況下に置かれたカタワのサル=人類が、その極限時代五〇〇万年間を生き延びることが出来たのは、性と踊りをはじめとする強力な解脱充足回路を形成し得たからであり、もしそれがなければ、人類は生きる希望を失って早々に絶滅していたであろう。この様なサル→人類を貫くメスの応望存在化⇒性的存在化が、生物進化を貫く雌雄差別化のベクトルに合致した、その一つの極限的な実現形態であることは言うまでもない。
凄まじい外圧に晒され、共認機能(更に観念機能)を唯一の命綱として生き延びた人類は、共認を破壊する性闘争や自我を五〇〇万年に亙って全面封鎖してきた。実際、この極限状況では、人類は期待・応望の解脱充足を生きる力の源にしており、その充足を妨げ、生きる力の源を破壊する様な性闘争や自我が徹底的に封鎖されてゆくのは必然である。あるいは、絶対的な課題共認・規範共認によって(つまり、絶対的な共認圧力=集団統合力によって)、性闘争や自我が発現する余地など、全くなかったとも言える。

このように、人類は共認機能を唯一の命綱として生き延びた。共認の核となったのが男女共認と性充足であり、絶望的な状況下でもそれを生きる希望としてきたのが人類である。そして男女共認→共認機能の進化の極致で生まれたのが精霊信仰である。つまり「同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みた」。これが観念機能の原点である。
つまり、精霊信仰→観念機能も、男女共認を母胎として生まれたものである。
ところで、最初に精霊を観たのは女ではないか。それが男に転写されたのではないだろうか。
それを傍証するものとして、日本など古代史における巫女の存在。女の方が精霊を見やすいことを暗示している。さらに精霊を観る原点が「自然との期待・応望=共認を試みた」ことならば、期待・応望存在である女が自然に対する期待・応望を試み、精霊を見たと考えるのが自然ではないだろうか(闘争存在たる男は勝ち目はなくても自然と闘わなくてはならない)。女が観た精霊が男に転写され、それを男が観念化(言葉化)したのではないだろうか。
精霊信仰~守護神信仰~古代宗教~近代思想を貫いて、これまでの社会統合観念は全て男女共認を母胎として生まれたものであり、どうやら女の期待(意識)を男が観念化(言葉化)したものである可能性が高い。
★統合観念の登場が女の期待発であるとして、女の期待が理論に収束する構造は?
これまでの統合観念に共通する構造は、男女関係の転換である。
守護神信仰は母系制から娘移籍→父系制への転換によって生まれた。
古代宗教は私婚⇒私権制への転換によって。
近代思想は自由な性市場によって。
精霊信仰も、男女共認⇒共認機能の進化の極において生まれたという意味では、男女関係の転換と言える。
歴史法則として、社会の最基底部をなす男女関係の転換とそこから生まれる女→男の期待が、(既成観念も含めて)新しい統合観念を生み出すのではないか。
★日本人が自前の宗教や思想を作らなかったのは、その必要がなかったからである。
縄文時代以来の本源集団と集団婚が少なくとも庶民レベルでは残存していたからである。
男女関係が縄文時代から変わらなかったので、女も宗教や思想を期待する必要がなかったのではなかろうか。
『実現論』「私婚関係から私権の共認へ」

日本人は長い間、採集部族として総偶婚(それも、最も原始的な兄妹総偶婚)を続け、一七〇〇年前に朝鮮からやってきた侵略部族に支配され統一国家が形成された後も、長い間総偶婚の流れを汲む夜這い婚を続けてきた(夜這い婚は、昭和30年頃まで一部で残っていた)。国家権力によって上から押し付けられた一対婚が庶民に定着するのは江戸時代中期からであり、現在までわずか三〇〇年間ぐらいしか経過していない。婚姻様式が社会の最基底に位置するものであることを考える時、この総偶婚のつい最近までの残存(or 一対婚の歴史の浅さ)は、日本人の心の底に残る縄文人的精神性を物語る貴重な文化基盤である。

2009年9月27日の記事「なんでや劇場レポート①~社会の最基底構造は性・婚姻制度」にもあるように、現在進行中の性の衰弱(セックスレス・草食男子)は、自我・独占の性からの離脱現象であるが、その最先端は日本である。つまり、日本を最先端として男女関係が転換中ということである。ここまでの歴史的考察によれば、女の理論期待はこの延長線上に登場するはずである。それこそ、日本人が初めて自前で作る社会統合観念に他ならない。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2009-11-05 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

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コメント2件

 須藤ちえり イメージDVD 回収!? | 2010.05.21 12:59

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