2009年11月05日

男女共認の輪は新理論へ収束するか?その歴史的考察①~既成思想も男女共認を母胎として登場した

2009年10月22日の記事「なんでや劇場レポート(3) 私権追求に代わる集団の目標は周りの充足、そして男女の共認の輪が認識収束の母胎」は、次のように結んでいる。

問題は、玉虫色の破局状況で、新理論期待が女から出てくるのか? 土台である男女共認の輪と、新理論がどうつながるのか? この問題は次回のなんでや劇場で扱う。

この問題を追求する。
まずは、既成の思想や観念がどのように形成されてきたか、その歴史構造の解明から始める。
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●まず、最初の社会統合観念である遊牧部族⇒掠奪部族の守護神信仰はどうだったか?
2009年9月27日の記事「自我⇒否定⇒私権意識の成立構造~自我の原点は個人自我ではなく集団自我」

掠奪闘争は遊牧部族発だが、他の採集部族が単一集団=それそのものが社会であるのに対して、遊牧部族は羊を連れて小集団で独立して移動する生産様式であり、拠点集団とそれから離れて遠征する遊牧部隊から成る複層社会を形成する。複層社会の遊牧部族では、単一集団では生起しない集団間の相対比較→相対意識が生まれる(ex.あの集団には羊が多い)。この遊牧部族の集団間の相対意識が、集団自我→他集団否定の母胎(卵)となったと考えられる。
そして、この相対意識が蓄積された上で、娘移籍の婚姻様式が始まる。遠征生活する遊牧部隊は男だけの集団で、かつ滅多に拠点集団に戻らないので、拠点集団から遊牧部隊に娘たちを移籍するようになり、人工的な父系集団が形成されたのだ(遊牧ではその生産様式が婚姻制度を規定している。)ここで移籍した女たちの性的自我→否定意識→私権意識が顕在化し、それが遊牧部族の男たちにただちに転写される。そうなると自集団を正当化する観念が形成され、集団全体がそれに収束する。そうなると、他集団否定(自集団のためなら、よそ者は殺してもいい)という理屈は簡単に成立する。
これが遊牧部族の集団自我→否定意識→私権意識の登場過程であると考えられる。
自集団の正当化観念が掠奪→戦争の直接的原因ではあるが、複層集団の相対意識が母胎としてあってはじめて正当化観念も成立する。

『実現論』「人類の同類闘争=性闘争から掠奪闘争へ」

遊牧は、羊を連れて小集団(小氏族)で独立して移動する生産様式である。しかも、遊牧部族は移動≒闘争集団ゆえに男原理の父系集団となり、元々の母系の勇士婿入り婚は父系の勇士嫁取り婚に移行している。その婚資(結納)は相当数の家畜である。従って、その小氏族=大家族そのものが、蓄財(家畜を増やすこと)を第一義目的とした私益集団的な色彩を帯びている。とりわけ、女は闘争集団に対する収束力が極度に貧弱であり、自らが生まれ育った生殖集団=闘争集団においてはじめて集団に全的に収束できるのであって、嫁ぎ先の闘争集団に全的に収束するのは困難であり、多かれ少なかれ集団との距離を残している。実際、他所者の妻たちは、夫々が別々の小氏族の出身であり、実家の小氏族を基盤にして自らの存在権を守っているので、嫁ぎ先の小集団に対して夫々に私益存在的な色彩が強くなる。 実家を基盤に集団との距離を保ち、私益存在的な色彩を帯びた母親に育てられた娘たちは、性的存在として誰の下に嫁ぐのが得か損かを、娘心に考えながら成長してゆく。つまり、性回路が私益=自我回路と一体化して終う。

遊牧部族→掠奪部族の守護神信仰は、複層集団の相対意識を母胎として、集団移籍してきた女たちの性的自我→私権意識(期待)が男に転写され、そこから自部族の集団私権(意識)を正当化する観念として登場したものだと考えられる。つまり、性的自我→私権意識という男女共認を母胎として守護神信仰が生まれたということ。
●古代宗教は? 
『実現論』「私婚関係から私権の共認へ」から引用する。

私的な男女解脱共認を最基底の社会共認とし、その私的な婚姻関係を基底単位とする以上、私権(性権→占有権)に基づく私的婚姻=私有婚が社会の基底的な制度として共認されてゆくのは必然である。かくして、元々の遊牧部族の勇士嫁取り婚は、農耕に転身して以降は、私権(占有権)に基づく一夫多妻制へと変質していく。そして、戦争が無くなり戦死する男がいなくなると、世代交代の度に(解脱収束し性欠乏が肥大した)息子たちに土地を分割して与えざるを得ず、土地が小さくなると多数の妻を養うことができなくなる。従って、土地占有権に基づく一夫多妻制は、世代交代の度に土地が細分割されて、必然的にかつ急速に(3~4世代で)、一夫一妻制=一対婚に移行してゆく。更に、それ以上小さく分割できなくなると、次男以下は嫁をもらえなくなっていった。(農耕に転じなかった遊牧部族が一夫多妻のままであるのに較べて、農耕国家の一夫一妻は対象的に見えるが、どちらも私権に基づく私有婚、つまり、男が女を買い取り私有するという婚姻制の本質は同じである。)

次に、「私権の強制圧力と私権統合」から引用。

私権(性権→占有権)の共認によって、社会の全ての財は私権(占有)の対象となり、人々は私権を確保しなければ生きてゆけなくなる。つまり、バラバラにされた個体の性闘争・私権闘争は、私権の共認を媒介として私権の強制圧力(それがないと生きてゆけない、否も応も無い絶対強制力)を作り出す。しかも、武力による収奪や資力による搾取によって作り出された貧困(=絶対的な生存圧力)は、私権の強制圧力を何倍にも強化し、絶対的なものにしてゆく。かくして国も、藩も、家も、個人も、全ての存在が私権(の強制圧力とそれへの収束)によって統合された私権統合の社会が形成された。そこでは、誰もが私権の獲得を目指して争い、互いに警戒心の塊となって、醜い自我に収束する(但し、絶対的な強制圧力が働いているので、近代の様に自我肥大はしない)。
この、私権闘争⇒私権の共認は、強制圧力を伴って私権序列の共認へと収束し、更に生涯固定の身分の共認へと収束する。それによって、私権闘争ははじめて統合され得たのであり、私権序列⇒身分序列こそ、私権統合の中枢を成すものである。かくして、財を収奪し、蓄積し、占有した少数の支配階級(持てる者≒消費階級)と、財=私権を奪われ、それ故に彼らの命に従うしかない多数の生産階級(持たざる者=働くしかない階級)との二大身分が、生涯→末代まで固定された身分社会が出来上がった。

そして、古代宗教が登場する。
以下、『実現論』「支配共認=権力の共認と表層観念の共認」より。

共認を唯一の武器として進化してきた人類は、異性や仲間や集団との共認充足なしには生きられない動物だからである。ところが、性闘争→私権闘争→私権統合によって本源集団は解体されて終ったので、失われた本源価値(異性や仲間や集団との共認充足)を幻想観念化して、頭の中で共認充足するしかなくなって終った。しかも、その様な幻想観念(古代宗教や近代思想)を創り出した思想家たちは、本源価値を破壊した、本源価値の対立物たる現実を否定し、反現実or 脱現実のベクトルに貫かれた非現実の地平に、本源価値を再生する幻想観念(「神」や「人間」や「自由・平等・博愛」やそれらを具有した「個人」や、それらを実現する「民主主義」)を構築した。従って、現実否定から出発し、現実から目を背らせた上で成立している古代宗教や近代思想は、初めから現実を変革できる筈もなく、現にそれら(例えば神の世界や自由・平等・博愛を具有した個人)が実現された例しがない。

私婚⇒私権の共認という男女共認を母胎として古代宗教が生まれたと言ってもよい。
●近代思想は?
『実現論』「性市場→商品市場の発生と繁殖」より引用する。

性市場の猛烈な繁殖は、自由な性(=恋愛)の称揚から個人主義と自由・平等・博愛の思想を生み出し、それらを下敷きにした市場の拡大=商人や労働者の拡大は、旧支配階級を打倒する必要から、民主主義の思想を生み出した。
最も恐ろしいのは、武力闘争や身分序列が、基本的に力で目的を達成しようとする男の方法論(正攻法)なので、反撥を生み(活力を衰弱させることがなく)、問題が見え易い(対策を考えることが出来る)のに対して、私権の共認や市場の共認は性市場や男女解脱共認を母胎としており、従って基本的に懐柔して納得づくで目的を達成しようとする女の方法論(懐柔法)なので、反撥が生じず、問題が殆ど見えないという点である。

次は、『実現論』「性権力を正当化する欺瞞思想」からの引用。

性闘争=恋愛の主体は当然個人であり、その個人は、当然規範から自由でなければならない(何しろ規範破りの性闘争なのだから)。そこで、恋愛が至上のものとして共認され、自由な性市場が繁殖してゆくと、下司な迎合男(近世・近代の思想家)たちが、活力溢れる性市場に幻惑されて(何しろ、そこは社会の最基底の男女共認が形成される場である)、「個人こそ社会の原点であり」、「自由こそ最も大切な価値である」などと主張して、現実には性市場にしか実在しない、個人や自由を社会全体の原点や価値にスリ替え、この事実に反するとんでもない架空観念が性市場の繁殖と共に広く行き渡って、社会共認となって終った。
この様にして、女(と迎合男)たちが恋愛(性闘争)や性権力の共認を男女解脱共認=最基底の支配共認として確立した以上、自由主義・個人主義をはじめ、全ての社会共認が女原理一色に染め上げられてゆくのは必然である。

つまり、性的自我→自由な性市場の男女共認を母胎として近代思想が生まれたということ。
とりわけ、性的自我の正当化を求めた女たちの期待に応えて、近代思想家たちが個人や自由を社会の原点や価値にスリ替えた近代思想を作り上げたということだろう。
このように、守護神信仰も古代宗教も近代思想も全て男女共認を母胎として生まれたものである。
つまり、(既成の思想も含めて)「新しい社会統合観念は男女共認を母胎として生まれる」というのが、歴史法則なのではないだろうか。
 
ということは、社会統合観念とは、社会的な男女共認を形成するため、もしくは男女共認の輪を社会的に広げるために必要なのかもしれない。社会的な男女共認が観念化されたものが社会統合観念(の核心部)なのではないか。(仮説)
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2009-11-05 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

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