2009年11月19日

戦後マスコミ史年表2:【1970年代~1980年代】

戦後マスコミ史年表1:【戦後~1960年代】に続いて、1970年代~1980年代を見てみましょう。
 
豊かになった日本で、マスコミは何をしてきたのか、社会にどの様な影響を与えてきたのかを改めて振り返ってみます。
 
           moretsu.jpg
 
★’70年代:マスコミ発”自由な性”と私権権力の衰退 
 
(るいネット「潮流2:戦後日本の意識潮流」より)
  

従って、序列規範が衰退しても、貧困が残存している上に、企業には序列制度がそのまま残存しており、身分や私益を追求する私権欠乏は衰えを知らずむしろ強まってゆく。だからこそ、’60年代、’70年代は、自由な性(正確には商品価値の性=自我・私権の性)が花盛りとなったのである。
 
要するに、戦後も、私権統合の社会であることに何の変わりもなかった。しかし、その間に、恋愛と消費に支えられたマスコミ権力が強固に根を下ろしてゆき、マスコミの共認権力は、資本権力に迫る勢いを示し始める。

 
(るいネット「潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向」より) 
 

’70年、豊かさの実現(=貧困の消滅)をもって、人々の意識は私権収束から共認収束へと大転換を遂げたのである。従って、資本権力も衰退過程に入り、代わってマスコミの共認権力が第一権力に躍り出る。

 

にほんブログ村 政治ブログへ


 
るいネットの記事「戦後マスコミ史年表2:【1970年代~1980年代】」からの引用です。
 

●【1970年代】
1970 日本万国博覧会開会式
   よど号ハイジャック事件
   「モーレツからビューティフルへ」
   大阪地下鉄工事ガス爆発事故
   日本初の「人工衛星」打ち上げ
   朝、毎、読、日経が朝刊24ページ一連印刷へ
1971 米・中の雪どけ、共同がスクープ
   連続女性誘拐殺人魔<報道の在り方>
   全日空・自衛隊機衝突事故<報道倫理>
   連合赤軍リンチ大量殺人事件
1972 カラーテレビ所有世帯50%に
   NHK総合テレビが全番組カラー化
   連合赤軍浅間山荘事件
   (NHKと民放が生中継、最高視聴率総計約90%)
   外務省沖縄密約漏洩事件、記者のモラルが問われる
1973 日航機ドバイ空港ハイジャック事件
1974 石油ショックの影響により、NHK、民放各局が深夜番組を自粛
   NHK初の大型ニュース番組「ニュースセンター9時」放送開始
   甲山事件<犯人視報道>
   千葉・松戸OL連続殺害事件<えん罪>
   田中角栄研究
1975 TV広告、新聞広告を抜く
   ニールセン社、自動装置による視聴率の即日調査開始
   「支店長はなぜ死んだか」<犯罪報道の在り方>
1976 田中角栄元首相逮捕<ロッキード事件>
   ロッキード事件捜査の進展で各紙相ついで号外発行
1977 小説「落日燃ゆ」事件<謝罪広告/控訴棄却>
   NETテレビが全国朝日放送(テレビ朝日)に社名変更
   毎日経営危機
1978 日本テレビ「24時間テレビ・愛は地球を救う」を放送
   宮本顕治・日本共産党委員長、袴田里見関係記事を名誉毀損で告訴
    (サンケイ、週刊新潮)
1979 芦田均日記改ざん報道(『東京新聞』)
   『月刊ペン』事件<名誉毀損/有罪、控訴棄却>

 
 
10088546137_s.jpg1970_3.jpgc7621934.jpg%E8%B1%8A%E7%94%B0%E5%95%86~1.JPG
 
★’80年代:マスコミによる「人権・同権を楯とした否定と要求」の社会へ
(るいネット「潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向」より)

しかし、それは行動の大転換となって顕在化した肉体的な潜在思念の大転換であり、現実には市場は利益追求のまま、企業は序列制度のままなので、顕在意識は私権収束→私権統合のままである。むしろ、圧力の衰弱によって、’70年代、’80年代は、いったん私権意識が肥大した面(ex自由な性)もある。
加えて、顕在意識は相変わらず「否定と要求」を正当化する近代思想に支配されたままである。従って、肉体的には「否定」は空中分解したにも拘わらず、外圧=私権圧力が衰弱したことによってむしろ抑圧を解かれた不満や要求や主張が肥大し、マスコミ主導で「人権」「同権」etcの架空観念が、いったんは蔓延してゆく。
同様に、私権追求の欠乏が衰弱してゆく以上、「自由」を追求する欠乏も無意味化し、空中分解してゆくが、顕在意識は相変わらず「自由」という観念に支配されたままで、むしろ外圧が衰弱したことによって「自由」という架空観念がいったんは肥大化し蔓延してゆくことになる。(例えば、この頃「自己実現」などという紛い物も跋扈した。)

 
 
(るいネット「潮流2:戦後日本の意識潮流」からの続き)
 

●【1980年代】
1980 富山・長野の連続女性殺害事件<誘拐報道、えん罪>
   「スター交歓図」事件<名誉毀損・有罪>
   「北方ジャーナル」事件、事前差止めに対する損害賠償、最高裁棄却
   パリ留学生射殺事件<実名・匿名報道>
   ロス疑惑事件(三浦和義)<人権と報道>
   MANZAIブーム「8時だョ!全員集合」
1981 大型文字、一段14字詰め制実施始まる
1982 日航機羽田沖墜落事故<実名・匿名報道>
1983 大韓航空機撃墜事件<誤報>
   NHK「おしん」大ヒット、平均視聴率約53%、最高視聴率約63%
   コピーライター/広告ブーム
   「放送大学」が首都圏の第16チャンネルで開講
   民放TV局が100局の大台に
1984 グリコ・森永事件<劇場型犯罪>
   「南京大虐殺」<捏造>
   三浦和義「疑惑の銃弾」(『週刊文春』)
   NHKが衛星放送の試験放送を「NHK衛星第1テレビ」として開始
1985 豊田商事事件めぐり報道のあり方が問われる<報道倫理>
   日航ジャンボ機墜落事故<報道倫理>
   テレビ朝日「アフターヌーンショー」事件<やらせ>
   「ニュースステーション」スタート、ワイドショー的報道のさきがけ
1986 各紙が経済情報の充実図る
   朝日、国際版を発行
   三井物産マニラ支店長誘拐事件<誤報>
   写真週刊誌の加熱取材
   ビートたけしら、講談社『フライデー』に乱入
1987 朝日新聞阪神支局襲撃事件
   小説『逆転』<慰謝料請求、94上告棄却>
   TBSとフジテレビ、24時間放送開始
   「朝まで生テレビ」スタート(激論!中曽根政治の功罪)
   「サンデーモーニング」スタート
1988 高知学芸高校上海列車事故<報道倫理>
   リクルート事件<隠し撮り>
   幼女連続誘拐殺害事件(宮崎勤)<過熱報道、誤報>
   女子高生コンクリート詰め殺害事件<少年法、実名報道>
   「ちびくろサンボ」絶版に<黒人偏見・差別>
   ハイビジョン生中継始まる
1989 朝日「サンゴ損傷事件<捏造>
   グリコ・森永事件犯人取り調べ<毎日、誤報>
   宮崎アジト発見<読売、誤報>
   フォーカス「エイズ死神戸の女性」事件<慰謝料請求、和解>
   「サンデープロジェクト」スタート
   「筑紫哲也NEWS23」スタート

 
  top.jpg
 
豊かになったことで多くの人々の社会に対する「否定意識」は急速に遠のいたが、「否定」を餌にしてきたマスコミは、否定対象の『捏造』という暴挙に走った。
 
(るいネット「批判するしか能がないから、捏造する」より)
 

実際、戦後日本のマスコミは’70年まで左派系の論調が強かったが、その論調をリードしてきたのは朝日新聞であり、その立脚点になったのが「人権」等の旧観念=アンチの思想である。
 
ところが、’70年貧困が消滅し序列原理が崩壊して以降、庶民を抑圧するもの=否定対象がなくなっていく。そして、アンチの思想=旧観念は大衆から見放された(9050)。にもかかわらず、社会党も朝日も「では、次の社会をどうする?」という答えを持たず、否定しかできない体質は変わらなかった。そして社会党と朝日はどうなったか?
 
まず社会党が大衆の支持を失い凋落した。’80年代末の珊瑚礁事件以降、朝日の捏造は枚挙に暇がない。150254
これは否定対象がなくなった結果、悪者を捏造して叩くしかなくなったからではないか。マスコミ各社の中で朝日の捏造が著しいのは、旧観念支配度が強く、否定体質が最も強いことの顕れではないだろうか。

 
 
~続く~
 

List    投稿者 cosmos | 2009-11-19 | Posted in 12.現代意識潮流No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2009/11/1444.html/trackback


Comment



Comment