2006年11月03日

東大生にも蔓延!?・・・

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」にちょっと驚く記事があった。
 
~以下引用~
 
私は、9年前にも、東大教養学部で教えたことがあるが、そのときも東大生の知的水準の低下に驚いて、 「東大生はバカになったか」 (2001、文藝春秋)という本を書いた。
その時紹介したエピソードとして、東大の理科1類(理学部と工学部に進学する予定)の学生に簡単なテストをした結果がある。

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簡単なテストとは、「東京札幌間の直線距離」、「1円貨の直径」「1枚の紙の厚さ」といったリアルな日常世界の常識的な数値を与えられた1群の答えの中から選択するというものだった。
 
その結果は、正解に近い数値を選択した学生がいちばん多いことは多かったが、
 
「答えの最小値、最大値あたりを見ていくと、頭がおかしい、頭がこわれているとしかいいようがない答えがならんでいる。
 
 東京と札幌の間が30キロメートル以下とか、10万キロメートルとか、1円玉の直径が0.1センチとか、5センチとか、紙1枚の厚さが1000ミクロン(1ミリ)以上といった、根本的常識、日常感覚に欠けている答えを見ると、お前ホントに、東大の理1に受かったのかといいたくなるだろう。
  
 こういう学生を合格させてしまう(スクリーニングできない)東大の入試試験のやり方はまちがっている。こういう資料を見ると、ナルホド東大生はバカになったなと思われるだろう」
 
その本で主として論じてたことは、学生(中学生高校生)の理科離れの問題とか、高等学校理科の履修制度を変更してしまったため、どれほど多くの大学生の頭から理科の常識が吹き飛んでしまったか、といったことだった。
 
~引用終わり~
 
これが真面目に答えた結果だとすると、本当に驚愕の事実である。
 
1円玉が、5センチ・・・・・・・・ 
 
って、君の財布どんだけでかいのっ!!
と思わず突っ込みたくなる。
 
この結果は極端な事例かもしれないが、このような根本的常識、日常感覚の欠如、観念と日常が分離してしまっている学生は、実のところ大多数を占めているのではないだろうか?(自分もその一人だったりして・・・。)
 
続けて立花隆氏は東大生に限らず、現在の日本の教育問題を取上げこういっている。
 
 
~以下引用~
  
破綻ををきたした「ゆとり教育」
はっきりいって、「ゆとり教育」は完全に破綻をきたしている。小学校から大学にいたるまで、あらゆるレベルでその弊害が生まれている。小中学校では、学力低下問題として、高校では、「必修科目履修漏れ問題」としてである。
  
~中略~
  
さぞや「ゆとり教育」によって、心身ともにゆとりをもって、自発的学習能力が高い創造性豊かな子供たちが育ってきたのかと思ったら、全くさにあらず、その正反対なのである。
  
教師にいわれたことは、一所懸命、いわれた通りやろうとするが、教師がインストラクションをあまり与えず、学生に自由に自発的学習行動をさせようと思うと、全くだめという学生が多いのである。 
  
自分で目標を設定して、その目標達成のためのプログラムを自ら作って頑張るということができない。
 
 「やる気」というものがさっぱり見られない。こういう学生たちが、4年後、いっせいに社会人として世の中に出ていくとき、日本はいったいどういうことになるのか。「ゆとり教育」は日本という国を滅ぼしつつある。
 
~引用終わり~
 
「ゆとり教育」よりも何よりも、今や「学校教育」そのものが国を滅ぼしつつあるのではないだろうか?  
  
個性あふれる心豊かな生徒を育成するという教育方針のもと、結果的には対象性の欠落した自己中の子ども達を大量生産しているのである。
 
確かに社会は、経済的には豊かになった。
しかし決して問題課題がなくなってしまったわけではない。
 
ただ、それらを対象化する術や方法を知らないだけである。(昔は教わらなくとも自然に身についていたが。)また、それらについて深く追求する場が学校の中だけという狭い枠の中に留まっていたからである。
 
本来学ぶべきことは「社会」を対象化していく過程の中に全て詰まっているはずである。
 
今、子どもたちに必要なのは「ゆとり教育」でもなければ「学校教育」でもないだろう。
 
必要なのは、社会を対象化する「社会教育」であり、社会全体で子ども達を育てていくという「社会共育」なのだ。
 
byぴんから体操

List    投稿者 d0020627 | 2006-11-03 | Posted in 12.現代意識潮流3 Comments » 

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コメント3件

 ozawa | 2006.11.09 21:23

>社会に物言う商売をしている人たちは‘それなりの総括’をして転向したのだろうと思いますが、それ以外の大半の人は無自覚のままに、その後の「反戦運動」「消費者運動」「環境運動」など『目先のごまかし運動』に加担してきたのではないでしょうか?
 「社会に物言う」とは所詮は要求しているだけで、どうすれば変わるかという答えを提示してるわけではなかったということですね。貧困が消滅し、自分の豊かさ追求が開かれた時代です。ほんとうに社会のことを考えていたかが疑問です。
 その時代はまだ子供だったので本当かどうかは知りませんが、「社会に物言う」というスタンスをとることで大学生は女の子にもてたと聞いたこともあります。だから就職する時は髪を切ったという歌まであったみたいです。
 現代は本当に社会のことを考えないと滅亡するという時代になってしまった、変わったのだと気づかなければなりません。
小澤
 

 ゜○゜ | 2006.11.16 21:12

>現在、社会に物言う商売をしている人
>たちは‘それなりの総括’をして転向し
>たのだろうと
してません!!

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