2010年06月07日

統合機運の基盤~十字軍によって開かれたパンドラの箱=性的自我

キリスト教には内面と外面の使い分けという特徴があり、それが面従腹背の正当化⇒自我の温床空間の蔓延をもたらしたことは既に述べた。「キリスト教(内面と外面の使い分け⇒面従腹背⇒自我の温床空間)」
キリスト教には、もう一つ際立った特徴がある。性欲の否定、徹底した罪悪視である。
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「汝(なんじ)姦淫するなかれ」というユダヤ教の規範をさらに徹底したのがキリスト教であり、中世では生殖に結びつかない全ての性行為は悪徳とされていた(生殖のための性行為は必要悪)。実際、キリスト教における性の抑圧は凄まじいものであった。
教会では性交時の体位まで規定していた(「正常位」という言葉は、これ以外の体位を認めないということを含意しており、後背位については罰則が科された)。また中世には「シュミーズカグール」とかいう分厚い寝巻があったそうで、この寝巻には一箇所穴があいてあり、夫はそこからペニスを出して妻と性交することになっていたとのことである。さらにキリスト教の教父の中にはセックスをしなければ人間が滅びてしまうならば、そんな汚らしい人間なんて滅びたほうがいいとまで考えていたものまでいるらしい。
これほどまでに性を抑圧した宗教・思想・文化は類がない。キリスト教の性規範は世界的に見ても極めて特異なのである。
キリスト教がここまで性を罪悪視し抑圧したのはなぜか?
一つには、キリスト教会を拡大し、その支配を強化するためだったと考えられる。
中世キリスト教会の教父アウグスティヌスは言う。
「人間は罪を犯すように生まれついている(原罪を背負っている)。そして、人間の性欲こそ、原罪=人間が悪を制して善を選べないことの証である。そして、原罪を背負う人間の救済は完全に神の手に委ねられている」と。
万人に備わっている本能である性欲を原罪の証であると人々を騙し、「原罪を背負っているお前たちが救われるには神(教会)にすがるしかない」と脅すことで、信者を増やし拡大していったのがキリスト教会ではないか。実際、キリスト教会は「騙せば勝ち」の構造を見抜き、それを布教戦略として成功させ、ついには国家・国王をも上回る共認権力と財力を獲得した。
より根本的には、社会秩序を破壊する性的自我⇒私権闘争を抑止するためであると考えられる。
性的自我は集団や社会の破壊ベクトルを持つが、古代中国・インド・アラブのように本源集団(共同体)が残存していれば、その共認圧力(共認充足力)によって性的自我は一定封鎖される。ところが、掠奪闘争によって本源集団(集団共認)が破壊され尽くした古代オリエント~ヨーロッパ世界では「周りは全て敵」であり、他者否定・自己正当化⇒性的自我が蔓延ることになるが、社会秩序を維持するためには、共認を破壊する性的自我は封鎖しなければならない(あるいはキリスト教の教義に則って人々を面従腹背させるためには、自我⇒私権闘争の発現は抑止しなければならない)。
ところがヨーロッパでは本源(集団)共認が存在しない以上、観念によって封鎖するしかない。それが当時の社会統合観念であるキリスト教が異様なまでに性欲を罪悪視し抑圧した理由であろう(逆に言うと、性欲を徹底的に罪悪視しなければならないくらい、ヨーロッパ世界の人々の心底には性的自我がマグマのように渦巻いていたとも言える)。
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「トリスタン・イズー物語」
ところが十字軍遠征開始(1096年)直後の12世紀に入ると事態は一転する。突如として、南フランスやシチリアに恋愛を叫ぶ言葉が百花繚乱のように現れ、性的自我を美化する恋愛観念が急速にヨーロッパに広がってゆく。これはルネサンスに先行すること、約200年前のことである。
『独協医科大学ドイツ語学教室』「イスラムという視点から見たヨーロッパ(その3)」からの引用。

「新しい恋愛観」ですが、これはトルバドゥール詩人たちによって広められました。新しい愛を歌うトルバドゥールたちが南フランスに現れたのは、やはり12世紀のことです。『イタリア・ルネサンス』(講談社現代新書)の著者である澤井繁男氏は、「(イタリア)ルネサンス文化の源泉」として、「シチリアの文化」と「南仏プロヴァンスの詩と愛」の2つを挙げています。「シチリアの文化」というのは、すでに説明したとおり、12世紀ルネサンスの主要な担い手であったシチリア王国のことですが、「南仏プロヴァンスの詩と愛」がトルバドゥール詩人たちの詩を指していることは言うまでもありません。
セニョボスというフランスの歴史家は「愛は12世紀の発明である」と言ったとのことですが、トルバドゥールたちが歌った新しい愛の形が、ヨーロッパのそれまでの男女関係を根本的に変革し、ヨーロッパ近代小説を生み出す原動力となりました。「(ルネサンスの文芸を代表する)ダンテはペトラルカとともに、ある意味でトルバドゥールの系譜になかにあるといっても過言ではない」と佐藤輝夫氏は述べています(「スーパー・ニッポニカ」の「吟遊詩人」の項を参照)。
ところが十二世紀になると、突然南フランスのラングドックやプロヴァンスの地において、女性を高貴な存在として崇め、彼女に熱烈なロマンティックな愛を捧げるトゥルバドゥールたちの愛の抒情詩というものが高らかに奏でられるようになります。女性を高く評価し、その成就が困難であればあるほど、愛の質が高められるという、新しい「宮廷風恋愛」が出現して来ます。

また12世紀には恋愛物語として名高く、ヨーロッパで広く読まれた「トリスタン・イズー物語」も成立している。この物語は、王妃と騎士の破滅的で情熱的な恋愛物語で、王から邪魔されたりして、決して結ばれることがない設定になっており、最後に死んでから結ばれる。全体を通じて幻想的で奇想な雰囲気を持つ物語。『小説家志望の休暇』「トリスタン・イズー物語」
1096年十字軍遠征の掠奪による市場の持続的拡大が始まったのとほぼ同時に、性的自我を美化する恋愛観念が登場し、急速に広まった。このことは、十字軍遠征を契機として、中世キリスト教の面従腹背⇒自我・私権収束へ、性的自我の抑止⇒性的自我の称揚へとパラダイムへと急速に転換したことを意味している。十字軍遠征が性的自我のスイッチを入れたとも言える。
身分秩序が確立した中世では、私権の拡大可能性が閉ざされており(キリスト教による性的自我封鎖も相まって)男の自我・性闘争も封印されていた。その結果、女の性的商品価値も低下して、婚姻相手は親が決めるなど、性も家父長権を始めとする身分秩序の中に封じ込められていた。これがルネサンスのヒューマニストたちが言う中世の束縛である。
ところが、十字軍による掠奪~交易を契機に持続的な市場拡大が始まり、自我⇒私権拡大の可能性が開かれた。そして、それまでヨーロッパ人の心底でマグマのように渦巻いていた性的自我というパンドラの箱が一気に開放された。そして、恋愛観念が都市を中心として急速に拡がってゆく。そして、14世紀になると、性的自我⇒恋愛至上主義の主体である個人を原点とする思想が登場する。ルネサンスのヒューマニストたちによる「人間性の回復」や「個人の自由」である。
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ボッティチィリ「春」
画像はこちらからお借りしました。
ちなみに、それら性的自我の正当化観念(恋愛観念)は自前で作り上げたものではなく、12世紀当時スペインを占領していたイスラムの宮廷サロンの世界を都合よく解釈して作り上げたものらしい。
『独協医科大学ドイツ語学教室』「イスラムという視点から見たヨーロッパ(その3)」からの引用。

トゥルバドゥールがアラビアの影響を受けたと言われるのは、こうした詩形式の面だけではありません。スペインのアラビア学者フリアーン・リベーラが指摘したように、さらに内容の上で両者ともに官能的な恋愛を歌うこと、そして恋人を守るために自分の身を犠牲にする男性の心情を歌うことも共通しています。トゥルバドゥールの詩は、女性への崇敬と奉仕に基づくものでした。このロマンティック・ラブの理想が、西欧に初めて生じたのは、十二世紀のラングドックやプロヴァンスの地であったわけですが、…(中略)… これが十四世紀にイタリアに伝わるとダンテやペトラルカを含む清新体の詩というものを生み出します。
十一世紀イスラムの最大の詩人であったイブン・ザイドゥーンはこの女性への愛の絶唱を数多く残していますが、そこには後のトゥルバドゥールに見られるのと同じロマンティック・ラブの感情がみなぎっているといわれています。さらにさかのぼって、アラビア世界には古くから「愛のために死ぬのは甘美で高貴なことだ」とするウズラ族の愛の伝統がありました。
イスラム・スペインの宮廷では、女性は、「暗黒時代」の中世キリスト教世界、または近代のイスラム社会とはまるで比較にならないほど、高い地位を占めていたのであって、豊かな教育を授けられていました。ちょうど日本の紫式部のような人を思い浮べてください。彼女らは書記法や音楽、詩歌の優れた嗜みをもっており、その中には王妃や王女もたくさんいたのですが、最も有名な女流詩人はワッラーダです。彼女はスペインの後ウマイヤ王朝のカリフ、ムハンマド三世の王女でした。
『イタリア・ルネサンス』の中で「ルネサンス文化の源流」として挙げられている二つのできごと──中世シチリア王国の文化と南仏のトルバドゥール──のいずれもが、イスラム文化の強い影響のもとで起こったということが、もし事実であるとするならば、ヨーロッパはその近代文明を成立させていく過程で、きわめて多くのものをイスラム文化に負っているということになります。つまり、イスラム文化はヨーロッパ近代文明が成立するための前提である、と言ってもさしつかえないでしょう。
ところで14世紀のイタリアに始まる新しい文芸運動はルネサンスと名づけられ、古典ギリシャ・ローマの文化の復興と解釈されたわけですが、そうすると、上の文明伝達の経路から、ビザンチンとイスラムがすっぽり抜け落ちることになります。──と、ここまで考えて、私は思い当たりました。ルネサンスというのは、ヨーロッパがその独自の高い文明段階へと離陸するに際して、多いに貢献のあったイスラム(およびビザンチン)文化の役割を故意に無視するための用語ではないのか、と。

(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2010-06-07 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

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コメント2件

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