2010年05月05日

4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(4)~観念力の本質である考える力とは

●共認統合力としての観念力には、考える力が不可欠である。
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この画像はこちらからお借りしました
考えるということ自体、どういう場面で登場するか?
「聞く」「話す」は瞬間瞬間の行為で、「読む」段階でも娯楽の場合はほとんど考えていないし、仕事上の必要で読む場合も深く考えているわけではない。思考上の必要で読む場合も、立ち止まって考えるよりも先に進めていく読み方がほとんど(こういう読書法は、論語千回と対極で何も身につかない)
このように「モノを考える」という行為に迫られる場面は限られている。
どういう場面で考えることを迫られるのか?
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○現実の圧力を前にした「どうする?」

考えることの中心軸の一つは、現実の圧力を前にした「どうする?」という実践思考にある。
それに対して、「悩む」というのは倒錯思考の産物である。「思考次元2 否定意識の倒錯思考」
実践思考は、闘争圧力が高まる(弱まる)ほど高まる(弱まる)。現在は、私権圧力の衰弱によって、実践思考という点でも考える力が最も衰弱した時代。

○体制or価値観・パラダイムの大転換期

実践思考以外に、考える必要に迫られる場面として体制or価値観・パラダイムの大転換期が考えられるが、日本人は、戦後民主主義への転換期も黒船来航~明治維新の転換期も何か真剣に考えたわけではない。西洋、アメリカのやり方に飛びついただけである。
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この画像はウィキペディア黒船来航よりお借りしました
もっと大きな転換は、縄文時代(原始共同体)から私権時代(古代王朝)への転換であるが、この時も日本人は何も考えていない。これは日本人の特殊性である。朝鮮半島での負け組が当時の支配階級だが、彼らは中国や朝鮮の支配体制を持ち込んだだけであり、支配される縄文人も舶来信仰で、大陸での負け組⇒流れ者の支配階級の言う通りにやっただけ。
このように日本人は考えたことのない民族であり、日本史の中では体制・パラダイム転換によって考える必要が生じた事例は見つからない。
従って、外国に例をとると、2600年前、同時期に仏教・儒教・ユダヤ教という古代宗教が登場し(2700年前にはゾロアスター教)、その300~400年後にそれぞれの地域で統一国家が成立している。なぜか?
それまでの部族連合国家では守護神信仰や神話の共認によって統合されていたが、部族間の緊張圧力や交易や連合、さらには服属部族をどう支配するかといった課題に対しては、部族間の意思疎通が不可欠であり、その部族の中でしか通用しない守護神や神話では統合できない。観念に世界的普遍性をもたせる必要がある。
こうして各部族の潜在意識のレベルで社会統合機運が上昇し、それを鋭敏にキャッチして、守護神や神話を超えた、より普遍的な観念(古代宗教)を作り出したのが、釈迦や孔子やユダヤ教の預言者たちである。
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この画像はウィキペディア両界曼荼羅よりお借りしました

○これからは考える必要が高まっていく

このように、考えることを迫られる場面は2つ。①実践思考(←闘争圧力の高まり)と、②体制転換・パラダイム転換⇒統合機運である。
現在は、戦争時のような闘争圧力発で考える必要が高まる可能性は小さいが、統合機運は今後上昇するはずである。官僚・検察の暴走、企業をはじめとする私権体制の崩壊から秩序崩壊の予感が顕在化する。そこで特権階級の無能視が普遍化すれば、大衆が自分たちでなんとかしなければという統合機運が生起し、一部の人間が新理論の構築に入ってゆくだろう。そして、千回反復に値するテキストが作られてゆく。
このような全社会的な転換とそれに伴う旧観念から新理論への転換といった次元でなくても、私権原理から共認原理への転換は至る所で顕在化している。例えば、職場でも従来のやり方では上手くいかないといったケースが頻発しており、そこでは「どうする?」思考で考える必要性はどんどん高まっている。
このようにモノを考える必要性は高まる一方だが、その妨害物が旧観念である。共認回路発で言葉(記号)の意味を掴むのが観念回路だが、この観念回路に旧観念群が定着していると、その被害は甚大である。何を考えるにしても私権時代の旧観念に絡め取られて答が出てこない。それに対して、思考を前進させる土台になるのが新理論である。

○観念力とは何か?

まずは私権原理から共認原理への大転換という状況を直視して、どうする?という問題意識を形成すること。
どうする?という実践思考では、まず状況認識が必要(ex.敵を知る・・・)だが、状況認識にもレベル差が無限にある。新聞レベルの浅い状況認識では答えは出せない。答えを出すにはより深い位相で構造化する必要があり、そこで答えが出なければもっと深い位相で追求する必要がある。
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徹底した追求の場「なんで屋劇場」
そうした追求の果てに、私権原理から共認原理への大転換という実現基盤を発見する。そこまで行けば、共認充足をどう実現するかという答えに繋がる。私権時代の旧観念から脱却できない官僚や学者やマスコミには、こういう答えは出せない。だからこそ、彼ら特権階級は何をやっても行き当たりばったりで、失敗を繰り返すのである。

旧観念からどこまで脱却できるか?
新理論をどこまで使いこなせるか?⇒テキストの反復千回。

これができれば答えが出せるようになる。これが観念力形成の真髄である。

List    投稿者 nodayuji | 2010-05-05 | Posted in 12.現代意識潮流6 Comments » 

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コメント6件

 unimaro | 2010.12.17 22:32

お疲れ様です。
だから女が駄目駄目になった今の時代は、男どもも女同様にどうしようもなくなってしまったのですね。
女の権利や、女を社会に出すことが「社会を駄目にする」として、ウーマンリブ等を推進した”彼ら”の目論見は完璧でしたね。
土偶の写真を見ても、やはり当時は地球土着の人間以外にもいたようにも思えますね。
更に、
縄文と言うあの時代に他の民族が持ち得なかった「芸術」というものを持っていた縄文人たちは、「別モノ」だと考えたほうがしっくりくるようにも思えます。
というかそれを否定してしまうほうが違和感あるので、そう考えてしまうというか、、、、
海外の土器等に、似たような傾向があったでしょうか?
もしあるのであれば、私の妄想は大馬鹿妄想でしかないですが、、、
日本人のルーツの事実を知りたいものです。

 ハリマ | 2010.12.18 21:24

unimaroさんコメント有難うございます
精霊の存在は世界的に見られ、人類の基底部にある共有の意識であったと考えられます。それで私も縄文時代の海外の土器についての知識は、ほとんどないのですが、縄文人が作った土偶が、縄文人が思い描いた精霊だと考えると海外の土器にも、似たような傾向があるかも知れませんね。

 もえおじ | 2010.12.21 2:18

梅原猛氏の言う「縄文文化は日本文明の原点」という意見には同意できませんね。 現代日本人は、大陸やその他アジアからの人の流入によって縄文人との混血によって生まれた人達です。 そして、縄文人と直接の血縁関係にあるとされるアイヌ人や沖縄人を征服して現在の日本があるのです。 縄文文化は日本文明の原点という主張は、北海道アイヌ人や沖縄人からしたら都合の良い主張に聞こえるでしょう。(欧州に当てはめると、英国文明の原点はケルト文明だというのと同じ都合の良い話です。) また、歴史的に日本は19世紀末から20世紀前半にかけて台湾・朝鮮半島・満州に植民地を作っており、これらの過去を全て忘れてしまうことはできません。
世界の先住民族とされる人たちに、狩猟採集を基礎にした自然信仰が根強くあるのは事実ですが、それと日本文明の原点を結びつけるのはおかしいと思います。 むしろ、争いを起こさないために江戸時代に築かれた平和的将軍支配(一種の官僚社会)の方が日本文明の原点なのではないでしょうか。 平和な時代に女性の役割が大きくなるのは自然なことです。

 ハリマ | 2010.12.21 21:14

江戸時代の平和な時代が260年も続いたのは、世界でもあまり見られない出来事だと思います。
なんでこのような平和な世界が存続することが出来たのか。その一つの理由は、当時の基本単位である村では、縄文人が持っていた本源共認が色濃く残っており、様々な外圧に対する当事者意識が残存していたことではないでしょうか。すなわち村が自然圧力、村内のもめ事、近隣とする村とのいざこざなどあらゆることを自分達で解決する自治権を持っていたことが大きいと思います。

 青春18切符で行く,日本の「城」巡り37 | 2011.01.06 11:55

犬山城

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