2009年08月30日

「自民or民主」で騒いでいるのはマスコミだけ!?人々の意識は・・・

Kokkai_gijidou.jpg
本日は衆議院選挙の投票日。
その結果も気になるところだが、今回の選挙を通じて垣間見えたマスコミのスタンスと、人々の意識変化について考えてみる。

にほんブログ村 政治ブログへ


今回の選挙に対するマスコミ報道は民主圧勝一色であった。
朝日新聞8月24日付の天声人語における記述が、マスコミ側のスタンスや見解を端的に表しているように思われる。

各紙の情勢調査は「民主党圧勝」である。議席の予測は、小紙「300うかがう勢い」、読売「300超す勢い」、毎日「320超す勢い」。掲載が後になるほど「勢い」が増している。片や自民党には「半減」の悪夢が忍び寄る▼郵政選挙で「純ちゃんブーム」に乗った無党派層が、大挙して「政権交代ムード」に身を任せたかに見える。大盤振る舞いの公約に不安を覚えつつも、いっぺん民主にやらせてみると思い定めた人が結構いるらしい▼風の変化が増幅される小選挙区制の、自民には災い、民主には恵みである。それが4首相でつないだ4年間への審判、我慢の爆発ならば、今さら「ムードに流れる大衆」とくさしても始まらない。前回「ブームで300議席」の自民に、そもそも嘆く資格はなかろう
天声人語2009年8月24日(月)付

無党派層が「純ちゃんブーム」や「政権交代ムード」に乗ったなどと評しているが、そのブームやムードを煽り立てたことについては、反省の色が全く見られない。
 
また、民意についても自民がダメなら民主がマシくらいの意識潮流としか捉えていない。
この民意に対する捉え方は田原総一朗氏のコラムでも似たような見解が示されている。
 

以前から、今度の総選挙では民主党が優勢だと言われていた。
 だが、自民党が100を割る可能性があるという。ここまで徹底してしまったのはなぜだろう。
 私は、その理由はわりと単純だろうと思っている。
 それは、国民の多くが「このへんで一度、政権交代をさせたほうがいいのではないか、こんなに長く、1955年から一回も野党が政権を握れないのは異常だ」と考えているからだろう。
 「そんな国は共産主義にしかない。このへんで政権交代させたほうがいいのではないか」という思いを持ち、そして、「政権交代となるならば、自分自身が政権を変える一員になりたい、政権交代に参加したい、新しい政権をつくれるチャンスだ」と、国民の多くが考えているからだろう。
 一方で、自民党のどこが悪いとか、民主党のどこがいいとか、もっと言えばマニフェストなんかは、もうどうでもよくなってしまった。
 麻生さんや自民党の幹部が、民主党のマニフェストがばらまきだと言っても、そんなことはどうでもいい。「とにかく一回、政権を変えてみよう。そして変わるならば、変えることに自分も参加したい」となってしまった。
◆田原総一朗の政財界「ここだけの話」◆
『民主圧勝、自民激減』報道の裏で置き忘れられたもの◇より

選挙という既存の制度を通して人々の意識を覗いているから、人々の意識についても「自民がダメなら民主」といった表面的な捉え方しかできず、により底流で起きている変化を察知できていない。
 
一方で、田原氏は同じコラムで、マスコミを取り巻く環境の変化について言及している。

 私は日曜の番組の冒頭で、「民主300議席超、と各紙が書いているので、私は少し、麻生さんの応援をしたい。残酷な応援だけどね」としゃべったが、これに対するクレームがすごかった。「田原は自民党の犬か」とまで言われた。
 テレビも含めてマスコミは今、守りに入ってきている。問題を起こすのを避ける空気が強くなっている。クレームが来るのを、嫌がっている。
 しかも最近は、まともに突っ込むと批判が多くなる。何となくいやな時代だなと感じる。
◆田原総一朗の政財界「ここだけの話」◆
『民主圧勝、自民激減』報道の裏で置き忘れられたもの◇より

傍観者スタンスは変わらずとも、マスコミがクレームをこれまで以上に嫌がってきており、守りに入ろうとしているのは事実なのだろう。
しかし、まともに突っ込むと批判が多くなるのではなく、まともでない(本質を外した)突っ込みだから批判が多くなっているのだ。
 
すでに当事者として自分たちの社会をどうするかという課題に向き合う意識が、人々の中では顕在化してきていることの現れだろう。

外向収束→認識収束の潮流の中では、発信の中味こそが重要である。可能性のある認識には収束するが、選挙で繰り広げられる、目先の大盤振る舞いやネガティブキャンペーンには共感するものがない。
当事者度が低いから「争点」がずれる。日本をどうしていくのか根底的な議論がない。
社会の圧力に真正面から対峙する国民の方が政治家や学者やマスコミ以上に「国をどうする?」という当事者度は高い。
この当事者度を収束させるのは、今や選挙ではなく「新しい共認形成の場」である。普通の人たちの共認形成の場が顕在化し広がれば、それはみんなの羅針盤となる。そうなれば国政選挙の結果も普通の人たちが作り出す世論によって左右される。
◆るいネット◆
マスコミに変わる世論形成の場が渇望されている◇より

人々は、「自民or民主」といった既存の枠組における二者択一ではなく、「自分たちで社会を創っていくにはどうすればいいか」という判断軸で模索を始めているのだと思う。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
応援よろしくお願いします。

List    投稿者 lived104 | 2009-08-30 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2009/08/1342.html/trackback


コメント2件

 ようこそイサオプロダクトワールドへisao-pw | 2010.02.16 21:50

右顧左眄、鳩山政権の正念場!

★右顧左眄、鳩山政権の正念場!画像はクリックで拡大します。相も変わらずマスコミの

 hermes bags red | 2014.02.01 15:55

hermes uk jobs 日本を守るのに右も左もない | 2010年代はどういう時代か?第1話 ~イントロダクション~

Comment



Comment