2021年04月05日

文明原理、縄文のネットワークとは?

文明の時代とは、略奪闘争→収奪 →国家成立による文明であり、私権文明である。
西洋人の学者が文明の条件として挙げる「都市・城壁」「文字」は、全て、略奪闘争の必要性からであり、その帰結としての支配・管理・収税のために「文字」が必要になった。・・・その国家が、戦争抑止の結果として、まもなく終焉を迎える。

戦争のない時代の原理はどうなっていくのか?
その参考になるのが、原始の人間性を文明的なレベルまで発展させた、我々日本人のルーツ、縄文文明だと思う。

縄文文明こそ日本文明 リンク
縄文の文明原理を考える リンク

縄文が文明レベルと言えるのは、
武力で統合しないのに、広大なネットワークを構築したこと

彼らは何のために広大なネットワークを構築したのだろうか?
自然圧力に対応するためなのか?なんらかの同類圧力に対応するためなのか?
ここでは縄文人のネットワークがどのようなものだったのか記事を紹介したいと思います。
・・・その本質について考えたい。(世界情勢のあい間に、いっぷく~。)

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以下和楽さんリンクより引用です

日本全国縄文ネットワーク① 翡翠(ヒスイ)の道

日本全国に張り巡らされた縄文人の集落間ネットワークの代表例として、翡翠(ヒスイ)を巡るネットワークが挙げられます。ヒスイは、緑色に輝く宝石の一つで、縄文時代〜古墳時代にかけて、主にシャーマンが用いるペンダントなどに使われました。このヒスイ、良質なものは新潟県糸魚川流域でしか採れないのにもかかわらず、北海道や東北から、九州、そしてなんと沖縄でも見つかっているのです。

青森県/三内丸山遺跡で出土した新潟県産の翡翠。(三内丸山遺跡センター)

ヒスイは、日本で産出する岩石の中でも最高度の「硬さ」を誇る宝石で、それを加工し、製品化するには大変な労力と技術を要します。にもかかわらず、製作途中の未完成品が出土する地域は全国でも数箇所に限られています。これは、石を加工、製作できる集団が限られ、完成品を製品として全国に届けていた(あるいは取りにきたのかもしれませんが)ことを物語っています。

新潟県産の翡翠(拡大)(三内丸山遺跡センター)美しく、加工が困難な翡翠を身につけることができたのは、シャーマンやムラの首長など限られた人々だったと考えられています。

日本全国縄文ネットワーク② 黒曜石の道

ヒスイの他にもう一つ、縄文時代の集落間の交流を盛り上げた主力製品があります。黒曜石(コクヨウセキ)です。黒曜石は、加工が容易なのに加えて包丁並の切れ味を発揮することから、石鏃(せきぞく・石で作った矢尻)としての需要がかなり高かったと見られています。黒曜石の原産地は全国に数十箇所ありますが、中でも透明度が高くて縞模様の入った長野県産の黒曜石は全国的に大流行したようで、600キロ以上離れた青森県にも流通しています。
左が長野県産、右が北海道産の黒曜石。(どちらも青森県・三内丸山遺跡センター)青森ならどう考えても北海道のほうが近いのに、わざわざ長野から取り寄せていたあたり、「信州ブランド」の強さを感じます。

ちなみに、長野県和田峠周辺には、「星糞峠(ほしくそとうげ)」なる地名があります。この一度聞いたら忘れられないインパクト大の名前は、江戸時代につけられたもののようで、「星をばらまいた峠」という意味です。実はこの場所は、縄文時代に黒曜石の採掘坑として(おそらく)名を馳せた場所なのです。江戸時代の人々が、数千年の時を超えて縄文人の残した黒曜石のキラキラ輝く採掘坑を発見し、夜空の星がばらまかれたのだと思ったのかもしれませんね。

こちらは千葉県で出土した神津島産の黒曜石。(飛ノ台史跡公園博物館)約200km離れた離島から、はるばる運ばれてきたのです。

お金は天下の周りもの・・・ではなかった?!

縄文時代に流通した品は、黒曜石やヒスイだけではありません。アスファルト、漆、コハク、麻、土器、貝、さらには山の幸や海の幸などの食糧まで、まるで現代のモノの流通さながらです。これらのモノを全国に流通させた経済原理がどのようなものであったか、については、実はまだほとんどわかっていません。とはいえ、もちろん縄文時代にお金はありません。そもそも、貨幣経済が日本で成立したのは、実はとても最近のことです。それまでは長いこと、「お米」がお金の代わりだったのです。では、お米が作られるようになる前の、縄文時代はどうだったのでしょうか。

実は縄文時代にはそもそも、「対価を支払う」という概念がなかったのではないか、とも言われているのです。なんと縄文時代の経済を動かしていたのは、現在でも日本文化として根強い「お土産」だったのでは、という説があるのです!

山梨県甲ッ原(かぶつっぱら)遺跡で発掘されたコハク垂飾。(山梨県立考古博物館)垂飾(すいしょく)とは、ネックレスのこと。こちらも原産地は200km以上離れた福島県いわきだと考えられています。

お土産文化の起源? 縄文時代の「贈与経済」とは

現在、世界を動かしている経済システムは、「市場経済」といいます。市場経済では、商品が生産者から切り離された市場(しじょう)に出され、同等の対価を支払うことでモノが流通していきます。同等の対価を支払うのですから、貸し借りや後腐れはありませんし、商品には人と人の関係性や感情は介入しません。

一方、縄文人の採っていたと考えられるシステムは、「贈与経済」といいます。これは、世界の様々な民族に最近まで見られたシステムで、モノが人から人への「贈り物」や「お土産」によって流通するのです。贈与経済において、「商品」の対価として支払われるものは、強いて言えば「仲間意識」です。

たとえば、内陸に住んでいる人に海産物をお土産として持っていけば、きっと感謝されるに違いありません。「恩を売って」おけば、何かがあった時にはきっと助けにきてくれるでしょうし、山で鹿が余分に捕れたら優先的に分けてくれるかもしれません。

そこで贈与されるものは、ただの「モノ」ではなく、集落間の強固な関係を作っていくための大切な「お土産」であり、人から人への思いやりを形にした「贈り物」なのです。この、田舎の「ご近所付き合い」のような、あるいは親戚同士のお中元やお歳暮のような関係性が、日本列島全域の経済を動かしていたというのです。

こちらは千葉県取掛西貝塚より出土した約1万年前のツノガイで作られた装飾品。(船橋市教育委員会)約2,000点が出土していることから、ここで製作したものを、各地へ供給していたと考えられます。

贈与経済の原動力:カミからの贈与

贈与経済が成立する社会の特徴の一つに、「カミ」という第三者の存在があることが挙げられます。本来、自然界の恵みはカミに属すものであって、人間が所有できるものではない、という考え方です。縄文人の「カミ」がどんなものであったかはわかりませんが、捕れた獲物や採掘した石などを、全て自然というカミからの贈り物だと考えたとしても、決して不思議ではありません。
・・・・・・
これは何も、特殊な考え方ではありません。今でも私達は、「皆様でどうぞ」と人からいただいた差し入れなどを、一人で独占してしまうのは心理的に抵抗を感じます。そんな現代の私達の「いただきもの」と、縄文時代の自然の恵みは全く同じだったのではないでしょうか。

引用以上

縄文人面白い。こうやって振り返ると、縄文人の気持ちと現代の日本人の意識も、やっぱり深いところで繋がっているな~と思う。

by Hiroshi

List    投稿者 nihon | 2021-04-05 | Posted in 12.現代意識潮流, 18.市場経済崩壊後の新社会へNo Comments » 

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