2010年06月01日

5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」Ⅰ 話し言葉と書き言葉の断層はどこから登場したのか?

      b758c308d67348cf0559-LL.jpg考える?ネコ
4/29のなんでや劇場「観念力とは何か?」に続き、5/30になんでや劇場「観念力を鍛えるには? 暗誦千回で大丈夫?」が開催されました!今回も、気付きがいっぱいでした!
前回の復習から、扱われましたので、前回参加出来なかった方、少し記憶が薄れかけている方も、じっくり読み進めてくださいね。
では、なんでや劇場レポートを3回にわけてお送りします。
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るいネット5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」(1) 話し言葉と書き言葉の断層はどこから登場したのか?より引用します。

前回のなんでや劇場では、「言語能力を鍛えるには暗唱千回が最も有効という結論」だった。既に『実現論』斉唱などを実践し始めたグループがいくつかある。そこでどんな成果が上がったか? 同時に暗唱千回で本当に観念力が身につくのか?(足りない所はないのか?)
まずは、前回の復習をしながら、より一段踏み込んだ分析をしてゆく。
●観念機能(言葉・文字)は他の動物にはない人類固有の機能だが、それはサル時代の共認機能(相手の期待に応えて充足を得る)を土台に形成されている。人類の最大の活力源は共認充足であり、サル時代の共認機能の形成過程は『実現論』の中でも最も重要な部分。実現論 ニ.サル時代の同類闘争と共認機能
●観念能力の形成過程は、赤ん坊の頃から「聞く 話す 読む 書く」と順で段階的に発達する。
    image_features02.gif
注目すべきは、言語能力の土台にある「聞く 話す」という行為は、聞いて真似をするということであり、これは一般動物にも備わっている学習本能によるものであるということ。但し、人類は話せるようになるまで1~2年を要する。
さらに2~3年後、幼稚園児くらいになって初めて文字に出会い、読むという行為が始まり、その後に書くという行為が始まる。このように、「聞く 話す 読む 書く」の各段階で時間がかかるが、そのことは各段階において断層があることを暗示している。
また、断層を暗示する、もう一点は、使用頻度の違いである。聞いたり話したりすることは日常で絶え間なく発生するが、読むという行為は1日のうち稀にしかやらない。読むのは娯楽や仕事上の必要がある場合に限られる。しかも今や、遊びの失速で娯楽のための読書は減る一方であり、残る動因は仕事上の必要に限られる。書くという行為にはもっと距離があり、仕事上の必要の中でも、報告書を提出する局面でしか書くことはない。
このように、とりわけ話し言葉(聞く、話す)と書き言葉(読む、書く)との間の断層が極めて大きい。ほとんどの生徒は作文が苦手という事実がそのことを示している。
●話し言葉と書き言葉の断層はどこから登場するのか?
サル以前の動物には右脳・左脳で機能的な差はなく、人類だけが右脳・左脳の使い分けをしている。人類固有の観念機能の登場によって、右脳・左脳に役割分担したと考えられる。
     unousanou.gif
では、観念機能が登場したら、何故、右脳・左脳が役割分担する必要があるのか?
観念機能は極めて負担が大きいからである。なぜ、負担が大きいのか?
観念機能のうち、まず話し言葉について考える。
人類の話し言葉は、動物も本能上の音声機能による交信と大差はなく、負担は大きくない。動物の感覚機能は生きるか死ぬかという外圧に適応するために形成されたものであり、それは本能的な欠乏と直結している。同様に、人類の話し言葉も本能欠乏・共認欠乏と直結しているor断層は少ない。
それに対して、書き言葉(文字)は? 文字は視覚の対象だが、文字以外の視覚対象と何が違うのか?
動物の視覚機能でも、本能的な欠乏に基づいて(外敵か?餌か?といった)照準が合わされる。ところが、文字は餌にもならないし、襲ってもこない。つまり、文字は本能機能・共認機能と結びつかない、単なる無秩序なデジタル記号にすぎない。デンタル記号にすぎない文字を本能・共認機能と結びつける(=意味づける、秩序化する、統合する)には膨大なエネルギーを要する。それだけ習得するのに時間がかかり、日常の使用頻度も小さいのも、そのためである(この共認回路と文字との断層をどう乗り越えるか? それが言語能力上昇のための課題である)。
このように文字は、意識的に努力しないと本能・共認回路と結びつかない。そのために膨大な脳容量を使う。共認機能はサル時代には右脳・左脳の両方にあるが、この膨大な脳容量を使う機能を左脳が司るようになると、共認機能は主要には右脳が担うようになっていったと考えられる。

るいネット5/30なんでや劇場レポート「観念力を鍛えるには?」(2) 5000年前の文字登場以降、共認機能は衰弱している?より引用します。
       Cuneiform_script.jpg紀元前3500年頃にシュメール人によって発明された楔形文字

話し言葉は一見アナログ情報に見えるが、一個一個の単語にバラせばデジタル記号であり、右脳・左脳が役割分化したのは、話し言葉が登場した時代(200万年前)にさかのぼるが、それでも話し言葉は共認機能と直結しており、文字よりもはるかに断層は小さい。
文字ができたのはわずか5千年前だが、それ以降、文字情報の増加によって左脳の負担は増している。このことは、今後も、右脳・左脳の役割分担が進んでゆくことを暗示している。
観念機能の原点は200万年前の精霊信仰、つまり、万物の背後に視覚では見えない精霊を共認対象として措定することにある。これが観念原回路であるが、それは共認機能が最も進化した先端で生まれたものである。つまり、観念機能の土台に共認機能があるわけだが、観念機能登場後も文字の登場までは、共認機能は進化し続けてきた。その中でも話し言葉が増えるにつれて右脳・左脳の棲み分けは進んでいたが、右脳・左脳の分化が急加速したのは文字の登場後である。
それにつれて(文字の登場以降)共認機能は衰弱しつつあるのではないか? それにつれて観念の暴走とも呼ぶべき現象が進んでいる。
例えば、法律の増大である。
原始時代~採集時代までは、人類集団は不文律によって秩序化されてきた。それは万人に適用されるものであるが故に、万人がそれを肉体化して知っていることが前提条件であるが、近代の法律は法律家でもわからないくらい膨大な量に膨れ上がっている。万人が知らない所で法律が作文され、それによって規制されている。そもそも万人が共認すべき規範という領域において、法律家という専門家が存在して、それを独占していること自体がおかしい。
文字登場の歴史は2段階に分かれる。
他集団との交易が始まり、その記録の必要から。
②時代が進んで、徴税のための記録。
いずれも経済がらみである。
★果たして、人類にとって文字は必要なものなのか?(次回以降、扱う)

(2)に続きます

List    投稿者 gabor | 2010-06-01 | Posted in 12.現代意識潮流2 Comments » 

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コメント2件

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