2009年02月15日

東南アジア諸国と日本 ~南アジア・インド編 その1~

『東南アジア諸国と日本』シリーズの第3段です。(前回は、タイでした。)
今回は、東南アジアから少し外れますが、南アジアのインドを取り上げます。
紀元前1000年アーリア人によって農耕が行なわれ、紀元前300年マウリヤ朝(仏教)
⇒紀元後300年グプタ朝(ヒンドゥー教)⇒紀元後1600年英国支配という長い歴史と多宗教・他民族国家
を形成してきたインドであるが、英国・東インド会社によってもたらされた略奪統治以降の市場社会の
歴史は浅い。
11億人もの民が息づく国家である。今回は、その大国インド(=印)の可能性を探求してみたい。
■インドの基本データ・・・主要データは、以下リンク先 → を参照
インド基本情報・・・政府・国民・経済・地理
インドの言語地図
%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E8%B2%A7%E5%9B%B0.png
1991年のインドの貧困人口比率は、26.1%(2億6000万人)であるが、インドでは、毎年2500万人の中間層が増えており、マレーシアの総人口に匹敵する人数である。
また、世界銀行・IMF主導で行なわれた、途上国を市場に巻き込んだ「緑の革命」も起因している。
■歴史的背景
インドの歴史
インド政権、政党の歴史
以下、本題に入りますが、その前に「ポチッ」と1クリックをお願いします。
るいネット
メルマガ

にほんブログ村 政治ブログへ


■従来の経済政策(インドは独自路線で、国内産業の活性化をはかった時代)
☆≪独立前≫ イギリスによる分割統治支配の時代
イギリスはインド統治に際して分割統治の手法をとった。インド人知識人層を懐柔するため、1885年には諮問機関としてインド国民会議を設けた。国民会議派の中心を占めたのはヒンドゥー教徒の知識人・官吏・地主など比較的めぐまれた階層の人びとが多く、その主張や活動は穏健なものであった。しかし、民族資本家(各財閥)の形成に伴い反英強硬派が台頭したこと、1905年の日露戦争における日本の勝利などから反英機運が一層強まり、インド国民会議派は急進的な民族主義政党へ変貌していった。また、タタ財閥を含めた主要な財閥コミュニティーは、イギリス植民地時代から形成されてきた財閥である。



☆≪独立後≫ 非同盟主義 
1947年国民会議派は、マハトマ・ガンディーの指導の下に民族独立闘争を闘った。外交思想は、ガンジーと共に闘った初代ネルー首相の基で、『第三世界を結集して米ソ冷戦構造を批判する非同盟主義(保護貿易)路線』を実行し、銀行・保険業などの国営化政策を実行した。
(尚、パウル判事の言動は、このような国勢からきている。)
独立直後のインド経済は、社会主義的な計画経済で、1951年から、5年ごとに、『五ヵ年計画』が立てられた。消費よりも生産の『基幹産業を育成する』社会主義的な体制がとられた。軍事産業のほか、石炭、鉄鋼、造船などの分野が、中央政府の直接の責任下で育成され、長期的な経済成長を狙う、ネルー首相の下で、そのような国家戦略がとられた。重工業を独占したのは財閥だった。
タタ、ビルラ、リライアンスといった巨大財閥が、同族経営で様々な事業を展開している。
財閥となるビジネスコミュニティにはインドの地域性が反映されており、バンジャビー、パルシー、マルワリなどがある。(財閥は、中堅を含めて20余りの財閥が存在する。パルシーだけで約7万人。)
インドの財閥は、政権との結びつきが非常に顕著で、公然のものであった。財閥は、独立運動と深く関わりあいながら、政治の力で急成長した。
また、ネルー、パテールといった独立運動の指導者達は、財閥の邸宅を国民会議派の会場として使用した。財閥のスタンスは、一貫して民族資本家だったが、一部の人達に冨を築くことはあっても、インド全体の経済レベルを引き上げることにはなかった。また、インド経済を停滞させることになった、もう一つの原因は、国産品の奨励策(スワデジ・スワラジ)にある。国産品の奨励、保護貿易を是認とする産業は国際競争圧力の中で育ちにくかった。



☆≪多党化の流れ≫
独立後の初代首相ネルー時代には一党優位体制を保持したが、娘のインディラの時代から党の組織、機能が乱れ始め、89年以降多党化が進んだ。
多党化は、独立当時の地主や知識層を中心とするエリートによる国づくりから、大衆政治に変化していった。また、インディラの時代は、非同盟主義を掲げつつもソ連と密接な関係を保ち、軍事力を増強し、内政的には、銀行の国営化を更に推進した。
およそ5億人の有権者を抱える農民票は、高カーストの指導者からなる巨大政党の国民会議派やインド人民党を選択するのではなく、地方では、同じカースト出身者が立ち上げた政党を支持している。現在、政権運営えお維持する国民会議派は、このような小数多党政党と連立を組むことで、指導力を維持しているが、政権を維持できるかどうかは、農村部に他ならない。過度の市場開放を行なうと、もっとも「痛み」を受ける農村部の貧困層の不満が政権交代を促す仕組みとなっている
しかしながら、都市部と農村部との大きな経済格差や、グローバリズムの被害者として位置づけている人は見当たらない。今ある自分の生活そのものに対する不安のみで、多世代大家族を始めとした同族階層集団を大切にする彼らの精神性が垣間見れる。
(現地の人々は、カースト制度を身分制度という色眼鏡でみるのではなく、自集団の役割と捉えるのが正しい。)
以上の流れから垣間見ても、植民地時代の痛手から大国インドは、社会主義的な独自路線を推進していたことがわかる。ただ、私権追求が、開放された為に多民族国家インド国内の軋轢が様々な形で現れる事となる。
インド経済の歴史 独立後の概要
たっぴ
%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89map.gif

List    投稿者 kyupibekamu | 2009-02-15 | Posted in 09.国際政治情勢の分析3 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2009/02/1044.html/trackback


コメント3件

 !うにまろ!日記 | 2009.06.07 23:13

児童虐待と躾

対照的な2記事を。
児童虐待防止 法務省「親権制限」研究会
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/tri

 hermes dark gray | 2014.02.01 22:50

hermes handtaschen gebraucht 日本を守るのに右も左もない | アメリカ没落後の世界⇒日本はどうする?①~中国は軍事侵攻するか?

 mbt off price | 2014.02.22 4:33

mbt shoes review 日本を守るのに右も左もない | アメリカ没落後の世界⇒日本はどうする?①~中国は軍事侵攻するか?

Comment



Comment


*