2019年02月11日

歴史的な背景から見た英のEU離脱、英仏の思惑。

 

イギリスのEU離脱が現実のものとなってきました。
EUの基幹国家であるイギリスの離脱は、EU崩壊を招く見方もある一方で、フランスがEUの主導権を握る機会とみる向きもあります。

かつてはポンドを基軸通貨とし、小さな島国国家ながら世界の覇権国だったイギリス。
第二次大戦後その地位をアメリカに譲りましたが、イギリスはアメリカに対抗するように、ヨーロッパ全域に渡る連邦構想を持っていました。それがやがてEUに繋がります。

EC、EUはイギリス主導の戦略でした。しかしイギリスはあくまで各国家の独立主権を尊重した連合体を構想していました。
しかし現在のEUはその構想とはかけ離れつつあります。よって歴史的視点に立てば、イギリスのEU離脱は決して突飛なことではありません。
十分な相互調整の無きまま国家連合が進む現在のEUは、そもそもイギリスの外交構想とは相容れないものでした。

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一方、もう一つのヨーロッパの大国として、フランスがあります。(当時独、伊は敗戦国であり、発言権はありません)
フランスはイギリスの思惑とは逆で、国家の主権を制限してでも、強力な連邦国家の樹立を目指していました。

古来よりイギリスとフランスは、「英仏百年戦争」「アメリカ独立戦争への介入」「フランス革命戦争への介入」等々、歴史的に常に衝突を繰り返してきました。
現在のヨーロッパの覇権争いもその一環であり、EUを舞台にした英仏の覇権争いと言えそうです。

以下、「今日も普通の日常」さんの記事を紹介します。リンク
EUをめぐる英仏の思惑の違いが端的に説明してあります。

歴史的な背景から見たイギリスのEU離脱(Brexit)について

 ●戦後のイギリスによるヨーロッパ構想

イギリスのヨーロッパ外交という点からは、グラッドストーンでのヨーロッパ協調やソールズベリによる帝国主義の推進による所謂「光栄ある孤立」といった注目すべき点が多いが、現在の欧州統合に直接の影響を与えているという点から、チャーチルのヨーロッパについての考えから語っていきたい

第二次世界大戦前のイギリスはヨーロッパの繋がり強化といった事よりも、コモンウェルスへの経済依存を中心に行動していた。戦争を経て、イギリスはヨーロッパの繋がりの強化をする必要性を主張するようになった。

例えば、1946年のチャーチルによるスイスの演説では、「ヨーロッパ合衆国」という言葉を用い、ヨーロッパ統合の重要性そして、「欧州審議会」の創設、仏独の連携を希求する。また、イギリス外務省からも今後のヨーロッパの安定のため英仏協調の重要性が主張され「西欧ブロック」が提案された。この事から、1948年「西欧同盟」成立へ向けたブリュッセル条約が調印されることになる。このようにして戦後直後はヨーロッパの安定のために各国は協調して統合の方向に向けて進んでいた。

しかし、1948年のハーグ会議で、イギリスとフランスの統合についての考えの違いが明らかになる。イギリスは主權を放棄するような、連邦主義的な統合は求めてなかった、一方でフランスはビドー外相の「欧州議会」の設立から見るように、ヨーロッパの問題(特にドイツ問題)は主權を放棄した連邦的な政策によって実現出来ると考えていた。このような意見の相違の末、欧州審議会の基本枠組みは連邦主義的な要素をイギリス政府が排除することで機構化されるという結論に至った。

(中略)

また、この時のアメリカはソ連などの東側の脅威や、経済的な面から欧州の自立自助を行って欲しいという点から西欧統合を重視しており、マーシャル・プランなどを通じて援助を行っていた。そして、西欧統合に関しても、イギリス主導で進められる事を期待していたが、実際にはフランスによって行われることになる。

(by yamakow)

List    投稿者 nihon | 2019-02-11 | Posted in 09.国際政治情勢の分析No Comments » 

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