2008年06月26日

多極化の具体像⇒新ヤルタ体制?

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田中宇氏が2008年6月17日「ヤルタ体制の復活」で、多極化の具体的なイメージとして「ヤルタ体制」を挙げている。
ヤルタ体制とは、1945年2月にソ連クリミア半島のヤルタで行われた、米ルーズベルト・英チャーチル・ソ連スターリンによる首脳会談(ヤルタ会談)によって決められた、戦後の世界支配体制のこと。
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世界は、ブッシュ政権の(故意の)失策によって、多極化(無極化、覇権共有化)の傾向を強めている。冷戦後の米英の覇権は、デリバティブを使った金融の大儲けに立脚する金融覇権だったが、昨夏以降の金融危機で、米英ともに金融界は破綻しそうで、覇権通貨であるドルは弱体化して世界にインフレをまきちらし、経済面でも米英覇権は危機である。
今のところ、国力から見ると、世界各国の中でまだアメリカが圧倒的に強いが、今後、金融危機とドル危機で経済面の覇権が崩れていくと、ドルに代わる国際通貨が出てくるかどうか(中国人民元やアラブ産油国の通貨が国際通貨になりうるか)など、世界の覇権構造は、予測の難しい状況になる。しかしあえて、過去の歴史からアメリカの多極主義者が目標としている状況を類推するなら、それは「ヤルタ体制の復活」である。

ヤルタ体制とは、第二次大戦末期の1945年2月、米英ソ連のトップがソ連の避暑地ヤルタに集まり、欧州と極東を中心とする戦後の世界の分割状況を決めたヤルタ会議など、大国間の世界分割談合で作られた戦後の世界体制のことである。ヤルタ会談に先立つ1943年のカイロ会談(米英と中国の首脳で、アジア方面の勢力分配を決めた)、テヘラン会談(米英ソ連で、中東・中央アジア地域の勢力分配を決めた)、ドイツ降伏後に行われたポツダム会談と合わせ、戦後の世界体制(ヤルタ体制)が確立された。
ヤルタ会談では、国際連合の設立についても話し合われ、世界の重要事を決める特権的な大国である国連安保理常任理事国に、米英仏の欧米3カ国と、ソ連、中国を入れた。ヤルタ体制の特徴は、米英中心型でなく、中露に米英と対等な立場の覇権を与えた多極型の世界体制を作ったことにある。多極型を望んでいたのは、アメリカの多極主義者(ニューヨークの資本家ら)である。
これに対し、イギリスは「イギリスが立案した世界戦略に沿って動くアメリカのみが世界の覇権国になる」という米英単独覇権主義で、アメリカを二度の世界大戦に引っ張り込み、戦前に覇権を急拡大させていた日本とドイツをアメリカに潰させたのはイギリスである。イギリスがアメリカを操って日独を潰し、米英単独覇権を作りかけたところに、アメリカの資本家が横やりを入れて主導権を奪い、ソ連と中国に戦後の覇権を分配するヤルタ体制を作った。

イギリスはこれに対抗し、アメリカの政界やマスコミを扇動してソ連と中国の脅威を煽り、1950年には北朝鮮の金日成を引っかけて南侵させ、朝鮮戦争を起こして冷戦体制を作り出し、欧米とソ連中国が仲良く談合して世界を統治するヤルタ体制を破壊した。
だがその後、ヤルタ的な世界体制は、1972年のニクソン訪中や、その後の米ソ軍縮あたりから少しずつ復活の兆しが見え、1989年に冷戦構造が解体された。冷戦構造を失うイギリスに対し、アメリカの資本家は、ロンドンを国際金融センターにして儲けさす代償を与えた。冷戦後の「新ヤルタ体制」の大国間談合体制には、ロシア、中国のほか、EUとして統合していく独仏中心の欧州も加えられた。日本も、希望すれば大国の仲間入りできたはずだが、日本自身が対米従属から脱したがらず、大国になりたがらなかった。
冷戦後、イギリスは金融立国として満足したが、イギリスが1970年代にアメリカ操縦のノウハウを教えて米中枢に送り込んだイスラエルは、米英からパレスチナ人との和解を強制された。イスラエルは1990年、米中枢を動かしてイラクのクウェート侵攻を誘発し、湾岸戦争によって、米軍が中東に恒久駐屯してイスラエルを守る新体制を作ろうとしたが、米側(パパブッシュ大統領)は米軍をイラクに侵攻させず、失敗した。
その後、イスラエルは97年ごろから「欧米イスラエルがイスラム(アラブ・パレスチナ人)と恒久戦争する」という「テロ戦争」の概念を作り出し、2001年の911事件で、テロ戦争がアメリカの世界戦略の中心に据えられ、03年には、10年前からイスラエルが望んでいた米軍にイラク侵攻させる件も実現した。冷戦後、冷や飯を食わされたイスラエルが、大反撃に成功したかに見えた。
しかし、隠れ多極派のブッシュ政権は、テロ戦争やイラク戦争を過激にやってイスラム主義を扇動し、イスラエルを窮地に追い込むとともに、イギリスがアメリカに追随して操縦することも不可能にし、その一方で中国やロシアに嫌がらせをして、中露を反米方向で結束させつつ、中露の台頭を容認し、新ヤルタ体制を強化している。

新ヤルタ体制下では、アメリカは世界の大国間のまとめ役を目立たないかたちで続けるだろうが、自らは西半球のみを影響圏とし、ほかにロシア、中国、インド、EU、中東イスラム圏(サウジ、イラン中心)が地域覇権勢力になりそうだ。その他、南アフリカを中心とするアフリカ(サブサハラ)や、アメリカとは別のブラジル中心の中南米などが地域的なまとまりになるかもしれない。日本は当面、中国の影響圏の端の方に位置する鎖国的な国、という感じになる。
大国どうしが競っていた対立的な第一次大戦前の多極型とは異なり、今後予想される多極型の世界体制は、世界に対する大国間の共同管理のような形を取る(これは旧ヤルタ体制で、すでに目指していた)。大国どうしが戦争して単独覇権を目指すという、戦前の動きとは逆方向である。世界は、今よりも安定するだろう。ただしその前に、窮したイスラエルやイギリスによる最後の逆襲的な戦争誘発があるかもしれない。
アメリカは来年新政権になるが、ブッシュ政権が敷設した、財政・金融・軍事などの自滅策が爆発し始めるのはむしろこれからだ。米の次政権は、財政やドルの破綻、イラクやアフガンの軍事占領破綻などと格闘するだけで手一杯となる。多極化を容認してロシアや中国、イランなどに助けを求めることはできても、逆の方向の米単独覇権主義に戻ることは、誰が次期大統領になっても、おそらく不可能だ。

多極支配とは、新ヤルタ体制=大国同士の談合による支配体制という見方は興味深い。
ヤルタ協定では秘密協定があった。①ドイツの降伏後、ソ連が対日参戦する。②南カラフト・千島列島のソ連への引渡し。③満鉄の中ソ合弁経営等。これによってルーズベルトはソ連に妥協したとして、戦後批判の的となったが、中ソへ覇権の分配であったと考えれば辻褄が合う。
あるいは、戦後アメリカの占領政策は敗戦直後は民主化路線であったが、その後反共の防波堤路線へ転換したのも、戦勝国同士の談合支配から、米英一極⇒談合支配の破壊⇒冷戦へ転換したという記述と符合する。
符合しない点も残る。田中宇氏の説によれば、1945年のヤルタ会談で多極支配型の政治体制が決められたということ。では通貨体制の方はどうか? それに先立つ1944年のブレトンウッズ体制で決められたのは、ドル基軸通貨体制(事実上の不換紙幣体制)という一極支配型の通貨体制である。
第二次世界大戦の終末期に構想された支配体制は、政治体制は多極支配型、通貨体制は一極支配型というズレを孕んでいたことになる。一極派と多極派との戦後の支配権力を巡るせめぎ合いがあり、それがこのようなズレを生んだのかもしれない。
いずれにしても、第二次世界大戦の終末期に、ヤルタ体制という多極型支配体制が構想されていたという提起は、今後の一極派と多極派のせめぎ合いの動向、多極派がどのような支配体制を考えているのかを探る上でも傾聴すべき内容だと思う。
(本郷猛)

List    投稿者 hongou | 2008-06-26 | Posted in 09.国際政治情勢の分析2 Comments » 

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コメント2件

 日本を守るのに右も左もない | 2008.10.10 5:12

『近代国家成立の歴史』2 国家と教会の結託 ~ローマ帝国を事例に検証する~

『近代国家成立の歴史』1 はじめに ~市場拡大が第一の近代国家~ の続き シリ…

 hermes belgium | 2014.02.03 2:26

hermes printec homepage 日本を守るのに右も左もない | 『近代国家成立の歴史』1 はじめに ~市場拡大が第一の近代国家~

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