150年前 岩倉遣欧使節団が見抜いた欧米諸国の本質と、現代の共通点
明治維新期に派遣された「岩倉遣欧使節団」
メンバーは岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、といった明治新政府の重鎮達であり、その規模、内容共に今日でも非常に有名な使節団です。
この使節団は昨今の物見遊山的な視察旅行とは全く次元が異なる、高い外圧、内圧を背景に編成されたものでした。
日本が列強諸国の圧力と対等に渡り合うために、富国強兵、殖産興業による近代国家の実現が急務であり、政府高官の半分を割いてまで長期間の外遊に打って出たのでした。
教科書では、彼らは欧米大国の進んだ文明に驚愕し、同時に日本の後進を憂い、欧米化の必要性を強く悟ったかのように書かれます。
しかし彼らは、権謀術数の限りを尽くして幕末の風雲を切り回し、新国家建設に命を懸けた、高い能力を持った革命家達です。
西洋文明を手ぶらで礼賛したわけではなく、むしろ欧米諸国の「負」の部分をも冷静に分析し、新国家日本の範となるかを怜悧に見極めていました。
岩倉使節団による評価や報告は、随行した書記官・久米邦武による「欧米回覧実記」をはじめ、様々な形で纏められています。
それによれば、
■アメリカ
自由主義、民主主義の元に急成長発展した新進気鋭の国家。その発展エネルギーの源泉は「物力」と「生産力」。
しかし国民は攻撃的で競争心が強い。この自由さは国民のやる気の向上や活力として発展途上では有効だが、下層民までが完全に自由・平等とはいえず、モラルは低下し国家による安定と秩序の維持を困難にしている。また貧富格差の弊害も大きい。
さらに行き過ぎた民主主義は、政治家の大衆迎合と衆愚政治を招く危険がある
■イギリス
世界の覇権国に相応しい進取の気性、積極的な海外との交易、機械生産力の増大に見合った商業経済の拡大が国力の源泉。
しかしその根底には、狩猟民族アングロサクソンの特有の狡猾さ、植民地化政策による実質的な他国侵略・支配がある。
未開発国からの富の収奪、資本家重視の冷徹さや貧富格差の増大などといった資本主義社会の矛盾を露呈している。
■フランス
フランス革命により、いち早く共和制、啓蒙思想、人権主義を開花させた近代国家。
しかし人民に無限の主権を与えるこの行き過ぎた思想は、要求主義が蔓延し国家の統制を欠く状態となっていた。
使節団が目の当たりにした花の都巴里は、前年のパリ・コンミューンの砲弾のあとが生々しく残る荒廃した都市。フランス革命後の歴史をたどると、「フランスの人心は協和を保つことがむずかしく、80年間に国制を6回も改め」るなど、政情が不安定なことも見逃さなかった。
■ロシア
広大な国土と強大な軍事力を持ち、王侯貴族の専制国家として全盛期にあったが(ロマノフ王朝)、その実態は未だ議会も憲法も持たない前近代国家であった。
いずれ民衆の不満の爆発からの内政混乱、権力闘争、貴族社会の崩壊があるものと感じ取っていた。果たしてそれはロシア革命として現実のものとなる。
【岩倉遣欧使節団 外遊ルート】
以上
岩倉使節団の面々は決して大国に圧倒されたわけではく、その矛盾と限界を一見して見抜いていました。
そして新興国日本が範とすべきは上記のような大国ではなく、むしろドイツ、オランダ、ベルギーといった小国のあり方を注目をしていたのでした。
さらに興味深いのは、岩倉使節団による米・英・仏・露の評価が、現代においても通ずる点です。
・行き過ぎた民主主義が国家運営を圧迫し、ポピュリズムが横行するアメリカ。
・未だ階級社会が残存し貧富の差が激しく、また、国際協調よりも自国の利を優先する独自外交を展開するイギリス。
・人権の濫用から大衆の要求と暴動に歯止めがかからず、国家の統制を完全に失っているフランス。
・専制君主のごとき強力な指導者の元に大国たろうとするロシア
ここからも、岩倉使節団の分析は卓見に富んでおり、その国家と民族の本質を見抜いていたことが分かります。
150年前の知見ですが、欧米世界の現在を分析し今後を考える上でも、この見識は極めて有効であると思います。
(by yamakow)
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