12/29なんでや劇場(1)~人類史を追求する意義と視点
地図は「民俗学伝承ひろいあげ辞典」さんからお借りしました。
2011年、新たな年を迎え、私権社会から共認社会へと大転換していく中、私たちがこれから進むべき方向をしっかり見据えるためには、歴史的事実を踏まえての追求が不可欠となる。
そこで、今回から6回に渡り、12月29日に開催された「なんでや劇場」の詳細レポートをお送りしたい。
東洋人、そして日本人がどのように形成されていったのかを、モンゴロイドの歴史を通じて解明している。
るいネットの山澤さんの記事 「’10年末なんで屋劇場レポート1~人類史を追求する意義と視点」から引用。
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’10年末なんでや劇場のテーマは人類史の追求という決して万人受けする内容ではないにもかかわらず、多数の来場があり、まさに課題収束という意識潮流を象徴するような追求の場となった。「モンゴロイドの歴史」の概略は既に投稿されている243120、243121、243124、243125、243129、243130 が、以下に、劇場でさらなる追求を行った部分をレポートする。
● 今何故、人類史を追求するのか?
経済情勢はドル・米国債の暴落へと向かっており、少なくとも21世紀初頭には世界は大転換を向かえるだろう。それはこれまでの追求によれば、おそらく西洋文明から東洋文明への転換ということになると予測される。我々の進むべき方向性はどこにあるのか?激動の時代を生き残っていく可能性のある民族はだれか?そもそも私たち日本人の祖先とは?こうした疑問に、まずはしっかりと歴史的事実を踏まえて答えを出していくことが今、必要とされている。
このことは言い換えれば、激動の時代には新たな可能性を切り開いていく新理論が求められる、ということでもある。新理論への期待に応えるものとしては既に「実現論」がある。ただし実現論は「前史及び始原人類の時代」についての考察は十分、新理論期待に応えるものとなっているが、私権時代(所謂、文明誕生以降の歴史時代)については、不十分かつ、実現論公開後にも新認識が登場しており、改訂を必要としている。そこで、来るべき、理論収束に向けて、前回より、実現論・私権時代の書き換えに着手している。今回は、3000年前までのモンゴロイドの歴史(東洋史)について追求する。
●人類史を考える上での学説の取り扱い方について
今回、モンゴロイドの歴史の考察にはY染色体遺伝子分析の研究資料を用いている。しかし、遺伝子分析を鵜呑みにしてはならない、という点は最初に付け加えておく。そもそも現時点では全遺伝子が解明された訳ではない。タンパク質合成に無関係とされる非コード領域については明らかにされていないし、遺伝子相互の関連性も不明である。そのような状況で、たったひとつの遺伝子を取り上げて一体、何がいえるのか?という根本的な疑問がある。実際、モンゴロイドの遺伝子分析については日本の研究者である崎谷氏と、その元資料ともいえるアトラスでは、年代に2~3倍の開きがあるという状態である。
それに分子時計というモノサシを使って、しかも現在の人々の遺伝子を見比べて、どこで別れたか、という逆算をしているが、この分子時計についてもまだまだ科学的事実といえる根拠は乏しい。
また、現生人類はアフリカのたった一人の女性から枝分かれしたとするミトコンドリア・イブ説も、極めて疑わしい説である。そもそも、最末端から出発して、その元は?、更にその元は?とたどってゆけば、最後は必ず一人にゆきつくが、そのような発想法そのものが根本的な誤りなのではないだろうか。最近、新人は旧人とも交配したとされているが、系統樹は末広がり形だけでなく、その逆の混血による末窄まりの系統樹も想定され、実際には末広がりと末窄まりの系統樹を重ね合わせたような形になっていると考えられる。
従って、まだまだ幼稚な遺伝子研究に基づく説だけではなく、遺跡考古学や環境考古学とも組み合わせて考える必要がある。少なくとも現在の学問状況から言えば、遺跡の方が信頼度は高いと考えるべきであろう。今回作成した年表も、遺跡考古学とつき合わせて作成したものである。
★図解「モンゴロイドの移動」
この図解の年代の色は「極寒期:青 寒冷期:水色 温暖期:橙 高温期:赤」を示す。モンゴロイドの種類についているC、D、OはY染色体のタイプを示す。
遺伝子分析の中でも一番マシなのがY染色体分析であるが、崎谷氏と元資料のアトラス研究所との間には、年代に2~3倍の開きがある。例えば、スマトラ北部でスンダランドC型から枝分かれしたD祖型の分岐年代は、崎谷説1.5万年前に対してアトラス研説5万年前と3倍もの開きがある。
分子時計というモノサシを使って、しかも現在の人々の遺伝子を見比べていつ分岐したか、という逆算をしているわけだが、この分子時計はあらゆる変異が一定の確率で起きるという想定を前提としている。しかし、それは本当に事実なのか? そのことが科学的に証明されたわけではないのである。
現生人類は12万年前のアフリカの一人の女性から枝分かれしたとするのがミトコンドリア・イブ説だが、それが疑わしい根拠はもう一つある。10万年前以降も、人類はおそらく500~1000年に1回くらいの頻度(200回)くらいはアフリカを出てユーラシア大陸に拡散しているはずである。ところが、10万年前以降にアフリカを出た人類はイブ説の系統樹には入っていない。彼らは一体どこに行ったというのだ? 全て絶滅したとでも言うのであろうか?
これだけでも学者の言っている説が嘘であることがわかるであろう。
以下、最も信用に足る遺跡の発掘事実と、遺伝子分析の中でも最も信用に足るY染色体亜型分析をつき合わせて、歴史事実を解明してゆく。
19.5万年前、アフリカ東部(現エチオピア)にて、最古の現生人類が誕生した(単一起源説)。以後、アフリカ大陸で人口を増やしていった現生人類の一部は、12万年前の間氷期(温暖期、+2℃)を初めとして、それ以降何度もアフリカ大陸からユーラシア大陸へと渡ってきたと考えられる。
アフリカからユーラシア大陸へは、温暖湿潤期にはシナイ半島~東地中海沿岸のルート、寒冷乾燥期にはアラビア半島南東部沿岸のルートを通ってきたと考えられている。
アフリカを出て、東方へ向かった人種はモンゴロイドと呼ばれる(最も遡れば7万年前)。約7万年前から最終氷期(ヴュルム氷期)に入ったため、寒冷化→極地の氷河発達によって海水面が下がり、東南アジアにスンダランドと呼ばれる大陸が出現していた(マレーシア、インドネシア、フィリピンなどが繋がっていた)。
5.5~5万年前までの小間氷期は、南アジアも温暖・湿潤だったと言われており、原モンゴロイドはインダス川流域に留まっていたと考えられる。
東方へ向かった原モンゴロイドは、インド亜大陸を通って、5.0万年前以降にスンダランドに到達。彼らはスンダランドの気候に適応し、形質が固まっていく。これをスンダ・モンゴロイドと呼ぶ。同様に、オーストラリアに移動し適応したモンゴロイド(オーストラロイド)や、中国南部に移動し適応したモンゴロイド(シナ・モンゴロイド)も存在した。
5.1万年前~4.6万年前の小間氷期は、南アジアも温暖・湿潤だったと言われており、原モンゴロイドはインダス川流域に留まっていたと考えられる。
続いて2回目は、「北方モンゴロイドの誕生と北方への進出」をお送りします。
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コメント6件
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