2010年11月17日

西洋の自我・私権性の源流~海賊集団「海の民」⇒交易集団フェニキア⇒古代ギリシアでは?

『るいネット』で「西洋の自我・私権性の源流」というテーマが続いている。
確かに、西洋人がなぜ自我の塊となったのか?なぜ、排他的な唯一絶対観念(一神教や近代思想)に自我収束し、全世界を侵略し、あるいは、騙しの近代社会を形成してきたのかというテーマは、西洋文明が終焉を迎えつつある今、極めて重要である。
『るいネット』「西洋の自我・私権性の源流」では、西洋文明の源流とされる古代ギリシアに焦点が当てられているようだ。
それも踏まえて、中間的な仮説を提起してみたい。
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●古代エーゲ文明を含む東地中海を略奪・破壊し尽くした、海賊集団「海の民」
「地球人の歴史6.海を越えて」より引用。

クレタのミノス王は海軍を組織して海賊を一掃したとある。ただ、クレタ人は概して平和的な交易で勢力を拡げたようである。そのことは、宮殿に城壁がないことなどからもうかがえる。
それに対し、ミケーネを中心に台頭してきたギリシア人はきわめて戦闘的で、軍事力のもつ意味をよく理解していた。彼らはおそらく、海洋国クレタに挑戦する手段として海賊行為を採用していたと思われる。複雑な海岸線と小島嶼からなるエーゲ海は、待ち伏せに最適な「海賊の天国」だったのである。前1400年頃、執拗な攻撃を受けたクレタはついにギリシア人の軍門に降った。新興国が海上覇権国に対し通商破壊戦で挑むという図式のはしりといえるだろうか。
ところが、覇権を奪ったギリシア人諸王国もまた、前1200年頃にあらわれた未曾有の海賊集団に襲われてことごとく崩壊してしまうのである。
この破壊者は「海の民」とよばれているが、どのような集団かはっきりしない。おそらく、気候の悪化によって南下してきた人々や、それによって玉突き式に海へと押し出された難民だろう。その後、「海の民」は、小アジアに大勢力を誇っていたヒッタイト王国をも滅ぼした。エジプトはかろうじて撃退に成功したが、国力をすり減らし没落してしまう。「海の民」は各地に散らばって住みつき、大動乱は終わったが、繁栄を極めた地中海沿岸はすっかり荒れ果ててしまった。

●「海の民」をはじめとする掠奪時代=「暗黒時代」の果てに成立した、古代ギリシアのポリス社会
「海の民」とは、前13世紀末から前12世紀にかけて、バルカン・エーゲ海方面より来襲して、東地中海一帯の諸国家・諸都市を掠奪し破壊し尽くした諸民族の総称である。この「海の民」の襲来によって、二大強国の一つヒッタイトは滅び、もう一つのエジプトは衰退した。それだけではなく、ギリシアのミケーネ諸王国は完全に崩壊した。
ミケーネ諸王国は前1300年頃から城壁を強化するなど、外部からの攻撃におびえるようになったらしい。その後まもない前1200年から前1100年にかけて、アテネなどを例外としてほとんどの王宮は炎上し、ことごとく廃墟と化した。諸王国は次々に滅んでゆき、王宮の住人たちは殺されるか逃亡し、民衆たちもまた避難先を求めて流浪し、ギリシア本土の人口は甚だしく減少した。、この時代はギリシアの「暗黒時代」と呼ばれ、エーゲ世界では文化的生活が姿を消し、文字も忘れられ、全ての秩序が破壊され、混乱を極めた時代である。この「暗黒時代」は400年も続いた。
そして、「海の民」の掠奪を契機として東地中海一帯が400年間に亙って破壊された果てに成立したのが、アテネやスパルタといったポリス(都市国家)社会なのである。
●「海の民」とは何者か?⇒ヒッタイトやエジプトの傭兵集団か?
ブログ「今を知る為の歴史探求」「海の民 概略」によれば、「海の民」とはヒッタイト、エジプトの傭兵武装集団だったという。

確実に海の民であるとはっきりする最初の言及は、エジプト王メルエンプタハ(前1213年-前1204年)の時代の石碑に見える。メルエンプタハ5年(前1208年)の文書では、リビア人及び海の民の連合軍の侵略に打ち克ち、6,000人の兵を殺し9,000人の捕虜を得たと書かれている。
このときの海の民は、アカイワシャ人、トゥルシア人、ルカ人、シェルデン人、シェクレシュ人の5つの集団から構成されていたことが記録されている。アカイワシャ人はホメロスの伝えるところのアカイア人、すなわちミケーネ文明の担い手であったギリシア人、トゥルシア人はエトルリア人、ルカ人は小アジア南西部のリュキア人、シェルデン人はサルデーニャ人、シェクレシュ人はシチリア人に比定されている。
ルカ人やシェルデン人は海の民出現に先立つ紀元前1286年にはヒッタイトとエジプトが戦ったカデシュの戦いにおいて、両陣営の傭兵として活動していたことが記録されている。また、紀元前14世紀中葉のアマルナ書簡でルカ人の海賊、シェルデン人の王について言及したものが知られる。

つまり、ヒッタイトやエジプトの傭兵集団「海の民」が400年に亙って東地中海を掠奪し、それまでの平和的なエーゲ海の部族連合社会を破壊し尽した。その上に建てられたのが西洋文明であり、それが西洋人が自我の塊となった原点ではないだろうか。

邪心集団による掠奪闘争は極めて激しい容赦の無いものとなり、皆殺しが常態となる。従って、仲間を皆殺しにされて一人二人と生き残った者たちは憎悪と警戒心の塊となり、共認基盤を失って終ったことと相俟って、全面的にかつ強く自我収束する。そんな者たちが生き延びる為に寄せ集めの新たな掠奪集団を形成しては他部族を襲うという形で、数百年に亙って掠奪闘争が繰り返された。そんな生き残りの末裔が、西洋人である。それ故に、本源共認の基盤を根こそぎ解体して終った西洋人は、本源的な共認収束力≒集団収束力が極めて貧弱で、自我収束が極めて強い。しかし、自我だけでは共認を形成できない。そこで彼らは、専ら自我に基づく本源風の架空観念に収束し、架空観念で共認を形成する。

『実現論』「私権時代ロ.私権文明を問い直す(東洋と西洋)」にある、この記述は、古代ギリシアの暗黒時代にこそ、当てはまるものだろう。
●「海の民」の掠奪が始まったのはなぜか? 
最も有力に考えられるのが、気候変動(寒冷化と乾燥化)である。
『Ddogのブログレッシブな日々』「気候文明史を読む その5」に注目すべき記述がある。それによると、3500~3000年前(紀元前1500年~紀元前1000年)は世界は寒冷化・乾燥化に見舞われたらしい。とりわけヨーロッパ世界では、紀元前1627年の工ーゲ海サントリー二島が噴火し、さらに紀元前1159年のアイスランドにあるヘクラ火山が噴火したらしく、これが寒冷化と乾燥化に拍車をかけたことが推測される。
この寒冷化・乾燥化を契機として、ヒッタイトやエジプトの傭兵集団「海の民」による400年間に亙る掠奪と破壊が始まったのではないだろうか。
●掠奪集団「海の民」⇒交易集団フェニキア?
「海の民」によってヒッタイトが滅び、エジプトが衰退するのに代わって、東地中海地方に興隆してきたのが交易民族フェニキアである。地中海沿岸にビブロス・シドン・ティルスなどの都市国家をきずいていたフェニキアは、クレタ・ミケーネ勢力が後退したあとをうけ、前12世紀より地中海貿易をほぼ独占し、また地中海沿岸にカルタゴをはじめとする多くの植民市を建設した。
交易民族の出自のほとんどが掠奪集団であることから考えて、交易集団フェニキアとは、海賊集団「海の民」が交易に姿を変えた集団ではないだろうか。つまり、フェニキア=「海の民」であり、彼らが東地中海を掠奪した果てに、古代ギリシアのアテネやスパルタをつくったのではないだろうか。
実際、その後のギリシアもやっていることはフェニキアと同じである。
ギリシアは前8世紀半ばから植民を広く行い、植民者は適地をみつけて、母市と同じようなポリス(都市国家)をつくり、先住民とはあまり融合せずにギリシアの文化や生活を守りつづけた。しかし母市からは独立しポリスであり、母市とも戦争もしたらしい。まずミレトスが黒海沿岸に植民し、コリントはシチリアにシラクサなどをたてた。ビザンティオン・マッサリア(現在のマルセイユ)・キュレネ・タラス・ネアポリス(ナポリ)などが代表的植民市である。
注目すべきは、2800年前のフェニキア滅亡、2200年前のカルタゴ滅亡後も、ここを拠点としていた金貸したちは、莫大な資産を持ってイベリア半島に脱出したが、その後、イタリア半島に舞い戻ってきたという説があることだ。彼らは、697年に誕生したヴェネチアなどを拠点都市として近世以降、闇の支配勢力として市場社会を牛耳るようになったという。つまり、フェニキア→カルタゴ→ヴェネチアという系譜説であるが、この系譜に古代ギリシアも含まれる可能性がある。『るいネット』「裏の支配勢力史1 ヴェネチア~十字軍・騎士団~スイス都市国家」
●ギリシアにおける大量の奴隷は、商品奴隷ではないか?
こうして考えてゆくと、何故ギリシアに大量の奴隷がいたのかも、説明できるのではないだろうか。
掠奪集団「海の民」は略奪・戦争によって大量の奴隷(戦争捕虜)を獲得する。「海の民」が交易集団に姿を変えたフェニキア人がその奴隷を売買する。実際、フェニキアはギリシアだけでなく地中海全域に都市国家を形成していた。そして、その周辺には労働力として奴隷を必要とする国家群が存在していた。ギリシアを含めた、それら都市国家群の生業が交易であるが、その主力商品が奴隷貿易だったのではないだろうか。実際、ギリシアのデロス島などには大規模な奴隷市場があったらしいが、ギリシアが地中海全域の都市国家の奴隷市場(供給地)になっていたのではないだろうか。
つまり、古代ギリシアにいた大量の奴隷は、ギリシア本土で使用する奴隷だけではなく、地中海全域のフェニキア系都市国家群で使用される大量の商品奴隷を含んでいたのではないだろうか。
●古代ギリシアの強力な父権制は、掠奪婚が原点では?
古代ギリシアが掠奪集団の末裔であると考えれば、その婚姻制度が強力な父権制であり、夫にとって妻≒女奴隷であったことも説明できるのではないか。『古代ギリシャの婚姻形態』
ギリシアにおいては前508年のクレイテネスの改革により、父系一夫一婦制が法的に確定したが、その源流はそれ以前にある。掠奪集団「海の民」は財の掠奪や戦争捕虜(男奴隷)の獲得だけでなく、女の掠奪、つまり掠奪婚を400年に亙って繰り返してきたのであり、その果てにできたのが、ギリシアの父権制=女奴隷制ではないだろうか。
これも元々は、「海の民」がヒッタイトやエジプトの傭兵集団(男集団)であったことに起因するのではないだろうか。少なくとも、「海の民」が前13世紀から掠奪を始めた段階では既に母系集団でなく掠奪婚→父権制であっただろう。さらに遡れば、ヒッタイトやエジプトの傭兵集団であった段階で、傭兵集団であるが故に遠征する先々で女の掠奪を繰り返していたと考えられる。これが、その後のギリシアの父系私有婚の原点ではないだろうか。
●以上が中間仮説であるが、それに対して、教科書に載っている常識的な説が「インド=ヨーロッパ語族(アーリア人)が北方からやってきてアテネやスパルタをつくった」という説である。この説については次回、検証することとする。
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List    投稿者 staff | 2010-11-17 | Posted in 14.その他3 Comments » 

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コメント3件

 unimaro | 2011.07.23 11:12

おつかれさまです。
ケミカルなんかかなり偽善の上になりたってますが、
DNA操作はその偽善さえ嘘ばればれの、悪魔の行為としか思えませんよね。
そういう欠陥人間には「法で規制」しか方法は無いのでしょうね。

 lived104 | 2011.07.23 23:44

>unimaroさま
臨戦的には法規制での対応が、実効性を得られそうですね。
ただ、この近代法も社会期待に基づいて制定されているかというと微妙なところがあると感じております。
時間はかかりますが、最終的には皆の充足体験(or非充足体験)から形成される規範圧力の中で育った人間が、科学者(他分野でも)になる資格を得られるように整備していくことになると考えています。

 holland hermes handbags | 2014.02.01 22:45

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