2019年10月21日

ツタ考1~縄文土器が“ツタ”える蛇信仰

日本人の歴史、その民族性をいわゆる歴史時代からさらにさかのぼって考えるとき、重要なテーマの一つとして、縄文土器に表された文様は何を表しているのか、そこにどういった思いが込められているのかという点があります。

以下に紹介する仮説では、それは、縄文人の信仰の対象てあった蛇、そしてそれと見立てた「ツタ」であると言います。蛇=ツタは、生命エネルギー、男女の交わり、共同体の継承、大自然の循環などを複合的に表した、縄文人の世界観、統合観念そのものだったのではないかとと言います。「縄文と古代文明を探求しよう」から転載させていただきます。http://web.joumon.jp.net/blog/2011/11/001335.html

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本ブログ『縄文と古代文明を探求しよう!』の会員様から寄稿していただいた論文『ツタ考』を、今回から4回に分けてご紹介します。

さまざまな現象を深く洞察され、感性豊かに伝わってくる文章に、私達も感銘を受け、読者の皆さんにも是非お読みいただきたいと思いました。

筆者の方は、画家を専業としつつ里山保全の活動もされています。詳しくは、下記HPをご参照ください。

『SHIRAI TADATOSHI OFFICIAL WEB SITE』

それでは、第1章をお届けします。

 

現在、日本美術は“縄文土器”から始まります。当たり前だと思われるかもしれませんが、以前は“はにわ(埴輪)”でした。それまで縄文土器は考古学上の“発掘品”であり“美術品”ではありませんでした。

変化のきっかけは、岡本太郎が1952年に発表した「縄文土器論」です。発表当時に話題となり、各分野に影響を与えました。岡本太郎の功績により日本美術は縄文土器から始まることになります。

「平面的で穏やかな印象」であった日本美術は突如「立体的で重厚、複雑な美観」から始まることになったのです。

しかし、とはいっても“縄文の美”を本当に“日本美術の美”として捉えていいのか、いまも美術界は消化不良のままでいます。

理由のひとつが「土器に施された装飾がいったい何を表しているのか?」という謎がそのままになっているからでしょう。岡本太郎も判断を保留しています。

「縄文土器における紋様その他もわれわれの想像するよりもはるかに具体的、現実的にある他のものと関連しているに違いない。それが具体的に、どういう風に、なんに結びついているかは今日では到底感知しえない。(縄文土器論より)」下線筆者

謎は保留にされたまま60年が経とうとしています。

私は「縄文土器に施された装飾の具体的モチーフ」を森の中で発見しました。これから、このテキストで明らかにします。

始める前に、なぜ私が縄文土器にこだわるのかを“ツタ”えます。

それは縄文土器から始まる日本美術史に正統性と誇りを感じるからです。そして縄文土器を作った人々と私が“ツナ”がっていると確信するからです。始まりのキーワードは“ツタ”です。

●信仰における樹木・植物の役割

神道では神棚には榊をお供えします。神社には杉の巨樹が育っています。

クリスマスツリーのモミの木、フレイザー「金枝篇」のヤドリギ、ドルイド僧にとってのオーク。仏教の睡蓮など各信仰・宗教にはシンボリックに扱われる樹木や植物があるものです。

民俗学者吉野裕子先生は新しい視点として日本原始宗教には南方経由による“蒲葵(びろう)”が神木とされていたのではないか?という研究をされました。(詳しくは吉野先生の著作「扇」をお読みください。)

このたび私は新たに重要な植物として“ツル・ツタ”を考察します。たかがツル・ツタに神性や霊性を感じるであろうか?と思われるかもしれません。このアイデアの着想は私が参加した里山保全活動による経験です。

30年間放置された里山はジャングルのようになっています。ツル・ツタは樹木に絡まり、絡んでいる樹木よりも勢いよく育ち、樹木が変形するほど締め付けています。その姿は樹木を絞め殺そうとしている大蛇のようです。

森の生成循環を司るのは蛇であり、森を支配しているのは蛇なのではないか?と考えるようになりました。そこから森に暮らした縄文人へと思いを巡らし、森に通い続けるなかで私は原始蛇信仰に思い至りました。

原始蛇信仰と言われてもほとんどの方は「何それ?」と思うかもしれません。日本だけにあった信仰ではありません。世界中にあった信仰です。

数例をあげますとエジプトのツタンカーメンの額につけられたコブラ、インドのナーガ、オーストラリア先住民アボリジニにも虹蛇ユルルングルの神話があります。メキシコにもケツァルコアトルがありますから、まさに世界中の人々が蛇に畏敬の念を持っていたようです。

驚かれるかもしれませんが日本には蛇を表す図像が多く残されています。神社のしめ縄は蛇を表します。正月飾りの鏡餅は蛇のトグロを表します。そして縄文土器の装飾は蛇を表します。

蛇の重要性は民俗学では吉野裕子さん、考古学では藤森栄一さんが早い段階に注目していました。しかし残念ながら蛇信仰は現在でも考古学の中心では扱われていません。

民俗学においても特別に重視はされていません。唯一、環境考古学者 安田善憲さんが引き継がれ、世界文明と環境をテーマに古代に神聖視された“蛇”を論及されています。

では、なぜ蛇なのか?

人類が森で生活していたからだと思われます。一神教が産まれる前のアニミズムです。

吉野裕子先生の推察によると、蛇信仰の基本的要因は

① 外形が男根に相似→生命の源としての種の保持者

② 脱皮による生命の更新→永遠の生命体

③ 一撃にして敵を倒す毒の強さ→無敵の強さ

以上三点となります。

ではなぜ“ツル・ツタ”でなければならないのか?

それは見た目の形状です。ツル・ツタの成長そのものが蛇の動きに似ています。蛇を神聖視していた古代の人々が類似や連想をしていただろうと考えます。

次に絡み合ったツタは紐(ヒモ)縄(ナワ)綱(ツナ)と同じ二重螺旋の状態です。このツタとツタが絡まる形状は蛇の交尾と重なります。

ここで“ヒモ・ナワ・ツナ”に潜む意味を説明するために、里山保全活動の作業内容を紹介します。その一つが樹木に絡まるツタを取り外す作業です。そのままにしておくと絡みつかれた樹木は枯れてしまいますので取り外さなければなりません。

一本のツタが樹木に絡んだ場合は案外、簡単に取り外すことができます。しかし2本のツタが絡まり合い、樹木に巻きつくと途端に強度が増します。そうなると数人がかりでの取り外し作業となります。

この体験から2本以上のツタが絡まり撚られるとツタの強度が増すことが理解できます。古代の人々は経験的にこのことを感じ取り、植物繊維をより合わせた

紐(ヒモ)・縄(ナワ)・綱(ツナ)が発明されたのでしょう。

ここで連想が広がります。ツタが螺旋に絡まる状態は蛇の交尾と相似関係です。私は男女の性交に対する考えがここに強く表れていると推論します。

つまり「一本より二本のほうが強い」「一人より二人のほうが強い。」

男女の性交による繋がりは、より強い関係であり、より強い存在になる。というポジティブな性意識があったのではないでしょうか。

ここで日本書紀に書かれたイザナギミコト・イザナミノミコトの子作りは象徴的です。

なぜなら柱を中心に“回る”からです。

私には単に柱を中心に回る男女の姿を想像するほど清潔で単純な発想をすることはできません。これは樹木に絡むツタをイメージしているのではないでしょうか。そしてそれは螺旋に絡み合う蛇の姿を想像します。

(続く)

List    投稿者 nihon | 2019-10-21 | Posted in 14.その他No Comments » 

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