2014年01月16日

【情報戦】5.裏切りに次ぐ裏切りが常態化した古代ヨーロッパ~「諜報の必要」よりも「国家秩序意識」が希求された~

 中央ユーラシアの乾燥地帯の遊牧民によって切り開かれた商業関係→戦争関係によって取引思考詐欺的思考にまで発展し、古代社会は諜報と謀略が日常という世の中に入っていった。しかし、同じ中央ユーラシアの遊牧民の影響を受けながらも、その東側(中国)と西側(ヨーロッパ)では、その後、異なる発展を遂げていく。
 諜報という視点で言えば、諜報を国家戦略の中に位置づける理論体系=孫子の兵法を中国は生み出したが、ヨーロッパではそのような理論書は登場していない。それどころかキリスト教は「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と闘争放棄とでもいうべき言葉を残している。しかし、ではヨーロッパで諜報や謀略がなかったのかというとそんなことはない。伝説「トロイの木馬」に代表されるように、諜報はヨーロッパでも常態であった。しかし、そのような主体的な諜報以前に、敵国に寝返る売国奴も後を絶たなかったようだ。
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トロイの木馬
 たとえば、ソクラテスを処刑台送りにした張本人アルキビアデースという人物の例を見てみよう。

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ペロポンネーソス戦争はアテナイ側とスパルタ側の戦争でした。その中で注目すべき人物がいます。アルキビアデースという人物です。 名門、知性、美しい肉体、美貌(びぼう)、弁舌、愛嬌、激しい気質で万人に愛されました。・・・25歳で3人の将軍の1人となりました。現在なら官房長官や財務大臣でしょう。25歳ですから凄いことが判ります。功をあせって攻撃を計画し議会も承認します。その後の戦闘には加わらなかったものの、大失敗をして餓死者もだしました。すると追っ手を買収して、敵国のスパルタに逃げ込みます。敵国を強く憎んでいれば決して出来ない行為です。すると、祖国アテナイの軍事情報を売って、知性がありますからアテナイを倒す作戦を提案します。さらに、スパルタの王妃との間に子供をもうけます。すると、今度はペルシャに逃げ、アテナイとスパルタの共倒れを策謀します。これも脅されたのでしょうか。さらに、ペルシャから逃げて、アテナイの海軍基地に逃げ込み、弁舌で指揮官になり戦果を挙げてアテナイに帰還します。アテナイ市民もこれを迎えます。さらにアテナイが負けそうになると小アジアに逃げて、最後はスパルタの暗殺者に殺されてしまいます。ソクラテス裁判の真の理由は、アルキビアデースがペロポンネーソス戦争で拡大させ敗戦に追い込む大きな要因になったのにも関わらず、民衆が反省せずにソクラテスに押し付けたことでした。アルキビアデースがソクラテスの弟子、というだけなのです。
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アルキビアデース
 この例に見られるように、古代ヨーロッパは、裏切りに次ぐ裏切りの連続であったことが分かります。密告者は後を絶たず、しかもその密告者もいつ裏切るか分からない・・・そんな疑心暗鬼が支配する時代だったといえます。
古代の情報戦(1)~裏切りに次ぐ裏切りが常態だった古代ヨーロッパより引用

何故、古代ヨーロッパで「裏切りに次ぐ裏切りが常態化」していたのか。それは彼ら自身が、争いに次ぐ争いの結果、集団を喪失した海賊・山賊の寄せ集めだったからであろう。
それでは彼らがどのような思考で社会を統合していこうとしたのだろうか。以下の記事が参考になる。
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パルテノン神殿

 古代ギリシア・ローマが奴隷社会であったのは間違いがない。しかし、遊牧民によるいくつもの征服国家とは違う側面がある。それは、「自由」が価値あるもとして賞賛され、専制統治国家にはない「民主主義」を作り上げたからである。
それが、古代ギリシア以来の「民主主義」の後継者を任ずる近代ヨーロッパ人の自信の根拠となっている。
 ただし、その「自由」・「民主主義」は奴隷の労働に依拠しており、労働から免れたごく少数の人間たちが行う独善的な自由である。
 にもかかわらず、この独善的な自由を正当化できる背景に奴隷制社会がある。
ギリシアの奴隷制においては、債務奴隷の中にはギリシア人もいたが、戦争で捕虜になったバルバロイ(異邦人)が奴隷のほとんどを占めていた。
 このギリシアの奴隷制社会を正当化したのが、プラトンやアリストテレスなど、ギリシアの哲学者たちである。彼らにとってバルバロイは、知的な面で劣った者と映った。バルバロイへの軽蔑感が「バルバロイはそもそも劣った連中だから、奴隷にされても当然だ」という奴隷天性論の理論的支柱になり、奴隷制を肯定する思想的支援になった。
 そして、アリストテレスを始めとするギリシア人が、奴隷使用を正当化するために開発した思想の核にあるのが「自由」という観念である。
 『白人の源流~ギリシア・ローマ編~8』 人種的には異なれど、近代ヨーロッパは、古代ギリシア・ローマの文化(略奪性)と文明(正当化観念)を受け継いでいるより引用

 ギリシア哲学は非常に普遍的秩序の根拠を追い求める哲学である。それは共同体が解体され、規範を失い、しかもそれ故に力の序列原理では統制が利かなくなり、法制統合のために統合観念が必要になったという時代の要請を背景にしている。そして、そのような「誰に命令されなくても自明であると誰もが認めるような不動の秩序の体系を自然の中にも求めた」のである。しかし、元来、自然は融通無碍なものだし、変化していくものであって、混沌と秩序を反復するものである。従って、「誰もが認めうる不動の秩序原理」とはそうあってほしいと願望したところの価値観念でしかないし現実にはありえない架空観念である。しかし、そのような自然は誘導無碍だなどという観念を許容していては、バラバラになった個人の欲望を制御することは極めて困難だ。だから、彼らギリシア人はなんとしても「誰もが認める不動の秩序原理」を求めたし、それは価値観念であるが故に「自然の秩序は、均斉が取れ、おのずから調和した美しいものであるという」方向へと向かっていった。
(中略)
 このはじめに自然は規則正しいor美しいという仮説が始めにありきで、そのような視点から自然が観察され、それを証明する数式が探求される、そして証明されれば、絶対普遍の自然の秩序が証明されてこととして固定される、というこの数学的自然観
『科学はどこで道を誤ったのか?』(3)古代ギリシアの時代~人工集団を統合するための分配の原理から数学的自然観をつくりだした古代ギリシャより引用

 そう考えると、むしろ、「諜報の必要」よりも「国家への忠誠や国家秩序意識」こそが希求され理論化されたのは当然だろう。実際、古代ギリシャの哲学は「人工国家への秩序収束」を体系化したものだった。といっても人工集団であるギリシャの都市国家の収束軸は「平等な分配」であり「平等、民主」といった観念に収束するしか無かった。ここからギリシャ哲学に独特な「民主国家」とそれを支える「数学的自然観」が発展していったのである。

List    投稿者 yoko3 | 2014-01-16 | Posted in 14.その他No Comments » 

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