アイヌ=縄文ではない。シベリア系狩猟採集民が、縄文文化を受け入れてアイヌとなった。
日本人の起源について追求するとアイヌとは何者かというテーマにも突き当たる。彼らはいわゆる渡来人のもたらした弥生以前の文化を保持しており、アイヌこそが縄文との見方もある。しかし、そうではなく、アイヌはもともとはシベリア系の狩猟採集民で、のちに縄文と長く接する中でこれを受け入れていったものと思われる。
例えば、日本語とアイヌ語には確かに「似ている」と判断できる語彙がままありますが、身体部位を表す語などの「基礎語彙」100語、200語での比較では似ているとは言えない。また、文法骨格もかなり違っている。つまり、もともと別の言語、文化だったが、長い相互接触の中で互いに取り入れた語彙がままあるということと考えられる。
アイヌ成立の過程は、現状、以下のストーリーが有力と思う。崎谷満氏の「DNAでたどる日本人10万年の旅」引用します。
Y染色体で見ると、この北からと南からの両方のDNAのアイヌ民族の流入がはっきりと見て取れる。Y染色体の分析で、アイヌ民族のデータではC3系統が12.5%、D2系統が87.5%確認されている。
まず、このC3系統ヒト集団は、第1章で示したようにシベリア東部・極東において言語族の壁を越えて多くのヒト集団に高い集積を示している。そして後期旧石器時代のシベリアに出現した細石刃文化はこのC3系統ヒト集団によることが推定されている。サハリン経由で北海道へ流入する文化・ヒト集団の流れは後期旧石器時代において約2万年前の細石刃文化の流入が最も重要なもの考えられる。このサハリン、北海道を経て日本列島へ細石刃技法をもたらしたヒト集団のホームランドはシベリア東部だと推定されており、C3系統集団だと考えていいであろう。(中略)
アイヌ民族のY染色体分析ではもう一つのグループであるD2系統が87.5%見られることが報告されている。このD2系統の現在の分布はC3系統とは全く異なりシベリア東部・極東には見られず、日本列島にのみに高い集積を示している。このD2系統は新石器時代における縄文文化の担い手であることが推定されており、新石器時代に朝鮮半島をへて九州に流入してきた可能性が考えられる。このD2系統ヒト集団の流れは、北海道において本州北部経由の縄文文化の南方からの流れを示すことになる。文化の伝播は必ずしも人の移動を伴うものではない。しかし、北海道のアイヌ民族のケースでは縄文文化の担い手であるD2系統がアイヌ民族の中に高い頻度で確認されることから、縄文文化の担い手がアイヌ民族の構成要素の一つとして役割を果たしていることがDNA多型分析の結果は示している。このD2系統の遺伝子の流れはこのように北海道において南からの人の流れを示している。(以上、引用)
このように、もともとアイヌはシベリア系の細石刃文化と言語をもって北海道へ入ったが(C3系統)、その後、大陸から朝鮮半島をへ経て日本列島へ入ってきた縄文文化(D2)を長い期間をへて受け入れていった、ということになると思われる。
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