言葉の起源:ことばは、世界と身体をシンクロさせるために生まれた
・先の記事で、原始生命→哺乳類→原猿→類人猿→原始人類に至る「身体感覚と知能の進化」を(ざっくり)たどりました。
・数億年の塗り重ねの上に、人類固有の「言葉=観念機能」が登場、人の知能は飛躍的に進化スピードを上げることに。
・「言葉と身体の共創関係」。頭でっかちな知識から創造性は生まれない。常に身体の存在を意識し自らの言葉で語り続ける。身体知を学ぶには、実は言葉が重要な役割を果たすことを述べました。その続きです。
■人はいつ、なぜ、言葉を使い始めたのか?
これはまさに「ヒトが誕生した瞬間」とも言えるのですが、ことばの起源はいまだ明らかにされておらず、人類史最大の謎(ミステリー)とされています。
★ここでの仮説は、【「未知なる世界」(宇宙)と「身体」(からだ)をシンクロ(一体化)させるために、音声・リズムそのものが持つ「触感・波動」を導きとして探索を重ねた、その結果、言葉が生まれたのではないか?】というものです。
■言語の起源 諸説(ウィキペディア)
・ワンワン説(Bow-wow theory):初期の言葉は、獣や鳥の鳴き声の模倣から生まれた。
・プープー説(Pooh-pooh theory):最初の言葉は、感情的な不意の発声、苦痛、歓喜、驚愕などの絶叫から生まれた。
・ドンドン説(Ding-Dong theory):全ての物は自然に共鳴振動しており、それが初期の言葉に反映された。
・エイヤコーラ説(Yo-he-ho theory):言語は集団でのリズミカルな労働から生まれた。
・タータ説(Ta-ta theory):ヒトは手振りをまね、耳で聞くものにした舌の運動から初期の言葉を作り出した。
他にも、とにかく数多の説があるようで、、、最近では岡ノ谷一夫さんの「歌起源説」も面白い。
■オノマトペ(擬音語・擬態語)と、やまとことば
まだ文字のない時代から、日本ではオノマトペを源流にもつ「やまとことば」があり、後の漢字伝来以降も、やまとことばは、日本人の身体言語(からだことば)として、精神文化の基層を育んできた。世界の言語の中でも日本語は特にオノマトペが多い。
□親と子の心をつなぐ〈ことばの卵〉-オノマトペのちから その1
※黒川伊保子さん『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書、2007年)から。
日本語は、「最初のひとしずくの源流ともいえる音韻の時代から、おそらく一貫して同じ風土で培われてきたもの」。
「ことばの発音体感と、その実体のイメージが合致していると気持ちいい」=美しいと感じることばの第一法則。
「情景と語感が一致している」オノマトペの表現例。
カラカラ、サラサラ、タラタラ。カラカラは、硬く乾いた感じ。KaRaKaRaのたった二文字をSに変えただけなのに、サラサラは、木綿の表面を撫でたときのような、空気を孕んですべる感じになる。タラタラになると、濡れて、粘性を感じさせる。
クルクル、スルスル、ツルツル。クルクルは、硬く丸いものが回転する感じ。スルスルは、紐が手のひらをすべっていく感じ。ツルツルは、まるでうどんをすする音のようで、汁を含んだ粘性のある物体を感じさせる。
コロコロ、ソロソロ、トロトロ。コロコロは、硬く丸いものが転がる感じ。ソロソロは、廊下をすり足で行く感じ。トロトロは、粘性を感じさせる。
□親と子の心をつなぐ〈ことばの卵〉-オノマトペのちから その2
一つひとつの音韻、「あ・い・う・え・お」の一音一音ごとに「かたさ」や「やわらかさ」、「あかるさ」や「しずけさ」の響きがあり、それは言霊(ことだま)、音魂(おとだま)と呼ばれる。例えば、「あ」は開かれる音、からだを縮めて「あ」とは言いにくい。「あ」がからだを通るときの「感じ方」のごとく、一つひとつの音韻特有の響き、感じ方は「からだ感覚」と一体になっている。
※野口三千三さん『野口体操 からだに貞(き)く』(春秋社、2002年)から。
人間が、土や植物などの自然と一体であるというのと同じで、人間にとってのコトバというのは、書かれた文字とか、単なる音とかいうものじゃなくて、まさに生き物じゃないだろうか。からだそのものじゃないだろうか、とそんなふうに感じられるわけです。
■カタカムナ文明:(学会では正式に認められていないが)古代日本に存在したであろうと言われる、原日本語圏文明。カタカムナ文献は、独自の図形文字が渦巻き状に並んだ、80首のウタヒ(歌)からなる。
★「カタ」とは「見えるモノ」。「カム」とは「見えないモノ」。「ナ」とはそれらの「カタ」と「カム」を統合(十)した核=本質(それ自身)。すべての存在は、その「カタ」と「カム」が繋がって「ナ(名)」という核で一つに溶け合う根元を持っています。(カタカムナとは | 吉野信子オフィシャルサイト (katakamu-na.com))
■人の言葉は、動物の鳴き声のような単なる伝達手段ではない。
原始の人類を想像してみるに、おそらく、本能や五感でとらえる対象を超えた「何か」をつかもうとした、その「何か」を、自らの身体(からだ)とシンクロ(一体化)させようとした。
そうした、言葉が生まれる手前の意識に秘密があるように思われます。極限的な生存外圧→生命力への渇望から、トランス回路(変性意識)を開き、音声・リズムそのものが持つ触感・波動を導きとして探索を重ねた、そのような姿が想像されます。
(原始人類の多くが、「洞窟」(音の響きが独特で幻想的)に隠れ住んでいたことも関係しているかもしれません。)
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