12/29なんでや劇場(2)~北方モンゴロイドは東洋人の基層ではない
’10年末なんで屋劇場でモンゴロイドの誕生と拡散が示されましたが、そのうち北方に進出した、モンゴロイドはどうなったのでしょうか。
るいネットのレポートを紹介し、見ていきたいと思います。
九州大学ミニミュージアムからお借りしました。
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『るいネット』「’10年末なんで屋劇場レポート2~モンゴロイドの誕生と北方への進出」
● 南方(スンダランド・インド)で形成されたモンゴロイドの基層的形質
Y染色体分析によると、原モンゴロイドの登場は5.5万年前のインドとされる。インドのドラヴィタ人はその末裔である。また5~4.5万年前には原モンゴロイドはアジアの南方(オーストラリア、スンダランド、中国南方)へと広がっていく。各々をオーストラロイド、スンダ・モンゴロイド、シナ・モンゴロイドと呼ぶことにする。
ここでモンゴロイドY染色体の分化を整理しておくと、
C型 F型
│ │
├──┐ K型
│ │ │
C型 D型 O型
となる。このように多様に枝分かれしたが、旧人とも交配したという最新事実から考えて、基本的に枝分かれした各スンダランド人同士も、温暖湿潤で豊かな環境条件に恵まれていることもあって、共存共栄関係にあったと考えられるだろう。
●4.6万年前頃、寒冷化に伴って、インドのインダス河流域にいた原モンゴロイドが北方のパミール高原・タリム盆地へと進出する。これはこの地域がヒマラヤ山脈の影響を受けて、寒冷化すると南方が乾燥化し、北方のパミール高原の方が湿潤化するためである。こうして北方へ進出したモンゴロイドは4万年前の温暖期には動物を追ってバルハシ湖からバイカル湖へと進出した。彼らを北方モンゴロイド(C型)と呼ぶこととする。
しかし、3.3~2.7万年前の寒冷期には、バルハシ湖からバイカル湖は極寒故に無人化し、人々は大きく二方向に分かれて南下した。主勢力はパミール高原・タリム盆地へと戻り、そこで中央アジア・モンゴロイドと呼ぶべき形質を獲得したと考えられる。もう1派は、更に東へと進路をとって、日本やアメリカ大陸へ進出したと考えられる。(ただし、寒冷期に何故、北上してアメリカへと渡ったのか?は論理的に疑問が残るため、4万年前の温暖期にアメリカへと進出した可能性も否定できない。この点は継続追求課題とする。)
この後、中央アジア・モンゴロイドは温暖期にはバイカル湖へと進出し、寒冷期にはパミール高原へと後退するという「行ったり・来たり」を繰り返しながら、北方適応を進めていった。
しかし、原モンゴロイドのCの形質を強く残している北方モンゴロイドは、多様な交配が進む地域では後発のD,Oの方が免疫力が強いため、基本的に絶滅していった。他集団との交配の少なかった、アメリカ大陸とインドの原住民にかろうじて生き残っているという状態である。
■シベリアは何度も無人化した→北方モンゴロイドが東洋人の基層ではない。!
図解「モンゴロイドの移動」が示すように、5万年前までは北方(パミール高原、モンゴル高原、シベリア)には現生人類(新人)は棲んでいなかった。10万年以前に棲んでいたのは旧人である。旧人は2.5万年前に絶滅したが(但し、ジャワ原人はインドネシアで1.2万年前まで棲息)、それまでは新人と混血していたようである。猿人・原人・旧人・新人は単に形質だけで分類しただけであり、各々が交配できるかどうかは、その分類とは無関係である。染色体の数が近ければ交配は可能である。現に旧人の一派であるデニソワ人が新人と混血していたことが先日報道された。
「デニソワ人が新人と混血していた」
●以下、図解「モンゴロイドの移動」と世界地図を参照ください。
3.3~2.7万年前の極寒期にバイカル湖は一旦は無人化したが、2.7~2.1万年前の温暖期に乾燥化したパミール高原・タリム盆地から中央アジア・モンゴロイド(C3型)がバイカル湖周辺へ移動。2.1~1.8万年前の極寒期にはシベリアは無人化し、中亜モンゴロイドC3の一方は西回りで南下しパミール高原へ、他方は東回りで大シンアンリン山脈→北京方面へ移動。その一部が枝分かれして、アムール川流域→樺太あるいは朝鮮半島を経由して当時陸続きだった日本へ。
1.8~1.5万年前の温暖期には、中国およびパミール高原の中亜モンドロイドC3の一部がバイカル湖周辺へ移動。ところが1.5万年前からの高温期にバイカル湖周辺のステップ草原が縮小し、1万年前には針葉樹林化したので、中亜モンゴロイドC3の一部は、ステップ草原に棲息する大型哺乳類を追ってオホーツク海沿岸、さらには氷河が後退しつつも陸続きでステップ草原化していたベーリング海峡を越えてアメリカ大陸に渡った。そして、先に居住していた北方モンゴロイドCと混血していく。これが原アメリカ人で、1.35万年前にはチリ南部に到達。
1.3~1.1万年前のヤンガー・ドリアス寒冷期には、バイカル湖付近に留まっていた中亜モンゴロイドが東回りでアムール川下流域に移動していった。一部はさらに南下し、中国や朝鮮半島、日本列島にも移動したと考えられる。
この図解「モンゴロイドの移動」が示すように、原モンゴロイド及びそこから分かれて4万年前にシベリアで棲息した北方モンゴロイド(C型)はアジアでは絶滅している。遺跡が発見されたからといって、それ以降もそこに人類が棲み続けていたと考えるのは間違いである。例えば、バイカル湖周辺で4万年前の温暖期の遺跡があったとしても、極寒期には絶滅or移動するのであって、北方のシベリアは一旦は無人化したはずである。また、2.7から2.1万年前にバイカル湖周辺に移動した中亜モンゴロイド(C3型)も1.8万年前の極寒期には移動して、シベリアは無人化している。
このように、5万年前にはアジアの北方に人類は棲んでおらず、また温暖期には北方に移動しても寒冷期にはすぐ無人化した。このことが意味するのは、モンゴロイド(東洋人)の基層は北方ではないということである。では、モンゴロイドの基層を成すものは何か?
☆問題として残るのは、寒冷期に何故より北方に向かったのか?
食糧となる獲物が北方にあったと考えるしかないが、それを最終的に裏付けるには植生分布が必要で、そのために最も精度が高いのは花粉分析。花粉分析が最も進んでいるのは日本だが、世界的にも花粉分析を進める必要がある。
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異常な日々の異常な雑記 | 2011.10.01 18:27
世界に冠たる最強日本……
大袈裟な記事タイトルですいません。
ちょっと厨二病が発症してしまいまして…。
ただ、わりとこういう趣旨で書かれた記事はネット上でよく見かけますね。…