2010年11月25日

11/28なんでや劇場に向けて(1) 西アジアの気候変動(2万年前~5800年前)

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次回11/28のなんでや劇場のテーマは「『実現論第二部:私権時代』の改訂1:1万年前~3千年前の気候変動と部族移動」である。
その参考に、西アジアの気候変動の概略を紹介する。
まず、『るいネット』「農耕・牧畜が始まった地域における自然圧力の変化(気候変動)」から引用する。
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農耕・牧畜・遊牧が最初に始まった西アジアの自然圧力の歴史的変化、つまり気候変動を押さえてみます。最初に農耕・牧畜が始まったのが、西アジアのレヴァント地方ですから、この地域を中心に長期的な気候変動を調べました。(レヴァント地方とは、シナイ半島から地中海東岸に面した地域。現在のイスラエル北部海岸・ヨルダン渓谷周辺の地方)
西アジアで雨を降らすのは冬場の寒帯前線であり、これが南北に移動することで、降雨量が増減する。レヴァント地方では、温暖化と降雨量の関係は、次のようになっている。
氷河期など寒冷で、冬場の寒帯前線がレヴァント地方より南下してしまうと、冬雨が降らず乾燥化する。ある程度温暖化すると、寒冷前線が北上して降雨域に入り、恵まれた気候条件になる。ところが、温暖化しすぎると、寒帯前線が北上しすぎて降雨域から外れ、乾燥し砂漠化する。ちなみに、温暖化がピークに達すると、南から熱帯収束帯が北上して、西アジアの南端部分で夏雨を降らす。
レヴァント地方を中心とした、最近2万年間の気候変動は以下の通り。
【1】2万~1万5千年前 最終氷期の中でも最寒冷期(ビュルム・マクシマム期)。
平均気温は現在より6~7度低い。寒帯前線は冬はシナイ半島まで南下し、夏は(現在の冬の南下位置である)シリア方面にまでしか北上しなかったと想定される。レヴァント地方は乾燥。とりわけ、北部は極度の乾燥で人類の活動を示す遺跡は極小。イラク・イラン地方も同様。
【2】1万5千~1万2千年前 最終氷期の終末期。
平均気温は現在より4~5度低かったと思われるが、寒帯前線は【1】のビュルム・マクシマム期よりやや北上。レヴァント地方はやや温暖化し降雨量もやや増。
【3】1万2千~1万1千年前 後氷期に入り温暖化。
それでも平均気温は現在より2~3度低いと思われる。寒帯前線は【2】氷期終末期より北上し、レヴァント地方の降雨増加。植生が急回復し、レヴァント地方では、ここ2~3万年間で植生がもっとも豊かであったのが、この後氷期初頭の段階。定住的な狩猟採集集落増加。
【4】1万1千~1万3百年前 一時的な寒の戻り(ヤンガー・ドリアス期)。
平均気温は現在より4~5度低いと思われる。寒帯前線は【3】の後氷期より南下し、レヴァント地方は降雨減少(おそらく気温・降雨量とも【2】の氷期終末期と同レベルまで後退)。【3】の時期に増加した定住的な狩猟採集集落に打撃。
【5】1万3百~8千年前 【4】の寒の戻りの反動で急速に再温暖化が始まる。
寒帯前線がレヴァント地方に雨を降らせる位置に来て、降雨に恵まれた時期。気温・降雨量とも【3】に近いレベルまで復活したと思われる。この時期にレヴァント地方で、史上初めて農耕・牧畜が始まる。
【6】7千5百年~5千年前 急速な温暖化が続き、最温暖期に。
平均気温は現在より2~3度高い。ところが、寒帯前線が北上しすぎて、レヴァント地方は降雨域から脱落し、急速に乾燥化。特に、レヴァント南部は打撃大で、乾燥化が激しく、遺跡数の減少・集落の小型化・遊牧的適応へのシフトなどの諸現象が広く認められる。レヴァント北部は南部よりましだったが、多少の影響あり。同時に、夏雨を降らす熱帯収束帯が北上し、レヴァント地方からみて東南に位置する内陸部に雨が降るようになリ、それまで砂漠だった地方がステップ化する。トランスヨルダン(ヨルダン川の東側)やメソポタミア南部がそれで、多数の遊牧民遺跡が出現。
【7】5千年前~気温が下がり始め、現在に至る。
寒帯前線が南下し、レヴァント南部は再びかろうじて降雨域に入る。同時に、熱帯収束帯が南下し、メソポタミア南部は、寒帯前線の冬の南下位置からも、また熱帯収束帯の夏の北上位置からもはずれた、降雨の空白域となり、再び乾燥化。今や、西アジアで最も乾燥した地域の一つとなる。
参考『ムギとヒツジの考古学』(同世社 藤井純夫著)

次に、『古代文明と気候大変動』(ブライアン・フェイガン著 河出書房新社)の仮説を紹介する。
以下、『るいネット』「西アジアの気候変動(1)(8200~7800年前ミニ氷河時代、7800~5800年前気候最適期)」

●8200~7800年前 ミニ氷河時代(寒冷化・乾燥化)⇒農耕部族が流浪し、遊牧化
氷河時代後、まず温暖化が始まり、つづいてヤンガー・ドリアス期を迎え、その後、完新世初期に急速に温暖化し、8200年にローレンタイド氷床の崩壊をきっかけにミニ氷河時代が引き起こされた。
8200~7800年前までつづいたミニ氷河時代は、エウクセイノス湖(現在の黒海)からユーフラテス川にかけて存在した多くの農耕共同体にとって大惨事となった。太陽はくる月もくる月も、もはや肥沃ではなくなった大地を執拗に焦がしつづけた。雲一つない空から砂埃が降り注ぎ、湖も川も干上がり、死海はこれまでになく水位が下がった。農耕社会は容赦ない干ばつのなかで、縮小するか消滅していった。多くの人びとは牧羊業に鞍替えし、昔ながらの飢餓対策手段に訴えて住む場所を探し求めた。乾燥化と寒冷化の被害の少ない土地へ移動し、そこで家畜を飼って細々と生活したのである。

●7800~5800年前 温暖化・湿潤化=気候最適期(ヒプシサーマル期)
7800年前、大西洋が再び循環しはじめ、にわかに暖かい時代が戻ってきた。西からの湿った気流は、再び東地中海とバルカン半島まで流れ込むようになった。西から吹きつづける風は、大西洋の海面からヨーロッパ中心部へ熱を運び、冬は穏やかな気温を保ち、夏にはたくさんの雨を降らせた。ヨーロッパの温帯地域は「気候最適期」(しばしばヒプシサーマル期と呼ばれる)に入り、その後2000年間はその状態がつづいた。
そして7800年前になると、よい時代が戻ってきた。大西洋の循環のスイッチが入り、地中海の湿った偏西風がにわかにまた吹きだした。数世代もすると、農耕民は避難していた土地から肥沃な三日月地帯一帯に広がり、より温暖で水利に恵まれた場所を求めて、ティグリスとユーフラテスの川岸へと移動していった。一部の農耕民はかなり川下に定住地を築いた。淀んだ水路と無数の小川が流れる氾濫原に、二つの大河が入るあたりである。この一帯は水が豊富で、貯水池や畑に引き入れるのも容易だった。7800年前になると、メソポタミア南部の土地には小さい農業集落が点在するようになった。
ミニ氷河時代のあと温暖化がにわかに再開すると、農耕共同体は牛と羊の群れとともにメソポタミア北部に広がっていった。今日のイラクのモスル北部に当たるアッシリアや、ユーフラテス川の西にあるシリアのハブール平原など、北部の平原には、まもなく小さい農村が点在しはじめ、それぞれがモザイクのような耕地をもつようになった。牧畜民は冬には大河沿いで放牧し、春と初夏になると平原一帯に散らばるようになり、その後何世紀にもわたって、この季節ごとの移動パターンが繰り返された。降水量が今日より25%から33%ほど多かったため、農耕民は灌漑農地はむろんのこと、冬と春の雨でうるおった耕作地にも頼ることができた。
6800年前には、こうした定住地の一部は壮大な規模にまでなった。ユーフラテス川沿いのウルクはにわかに発展し、そのジッグラト(塚状の神殿)から見える範囲の村すべてを傘下に置いていた。人びとの暮らしは神殿と市場を中心にまわっていた。ウルクは三角洲から遠く離れたところに住む民とも、交易関係を維持していたのである。
その後の1000年間(5800年前まで)、人びとの生活は順調だった。誰もが、便利な河川や天然の貯水池の近くに点在した小さい共同体に住んでいた。そこでは魚も獲れるし、農耕も可能であり、重労働をともなわずに農地を灌漑することもできた。

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List    投稿者 staff | 2010-11-25 | Posted in 14.その他8 Comments » 

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コメント8件

 通りがけ | 2011.08.04 12:29

中国を代表する思想儒教が興った時代でもありますね。
こちらもここと一緒に読まれると一層興趣が深いと思います。
>孔子-Wikipedia
>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90

 ヘンプヒルズ | 2011.08.04 17:56

550年もの長きにわたる戦乱によって、原中国人の心底に警戒心と隙あらばの塊が埋め込まれたのがよくわかりました。
それにしても、中国は“遊牧民の戦乱史”ですね。
それと、
>つまり、中国のもう一つの特徴である思想の原点は、遊牧部族ゆえの交易能力を発達させた、兵法や権謀術数や人身掌握術だったのです>
の認識は重要ですね。
古今東西、思想と呼ばれるものは、民が原点ではなく、一部の権力者(集団)がいかに私益を略奪するか、そのためにあるということを考えさせられました。
シリーズの続きを楽しみにしています♪

 いいじゃん☆ | 2011.08.05 0:02

通りがけさん、ありがとうございます☆
通りがけさんも中国けっこう詳しいんですか?\(^▽^)/
教科書に書いてあるようなことも、今まで何も考えずに見ていましたが、こうやってつながりや意味を考えると面白いですね♪
まだまだ続きますので、ぜひ見てくださいね(*^^*)

 いいじゃん☆ | 2011.08.05 0:08

ヘンプヒルズさん、コメントありがとうございます☆
>550年もの長きにわたる戦乱によって、原中国人の心底に警戒心と隙あらばの塊が埋め込まれたのがよくわかりました。
そうなんです!
同化してみると、「やっぱりそうなるよね!」って分かりますよね。
>古今東西、思想と呼ばれるものは、民が原点ではなく、一部の権力者(集団)がいかに私益を略奪するか、そのためにある
社会を統合する立場にあるから観念(思想)が必要になる。
これって、今後「人々の認識収束はいつ健在化するのか」の問題のヒントになりそうです。
引き続き、応援よろしくお願いします(*^^*)

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