2011年02月27日

モンゴル方面の遊牧部族における母権制⇒父権制への転換(2)

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画像はこちらよりお借りしました。
2/20の記事に続いて、モンゴル方面(アルタイ山脈~大興安嶺山脈)における遊牧部族の父権制への転換について、探っていきます。

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モンゴル高原では、約1.4万年前からの温暖期(→海面上昇)にスンダランドが水没を始めたのに伴い、スンダランドからモンゴロイドが移ってきましたが、約1.3万~1.15万年前の寒冷化によって一旦無人となりました。
そして約1.0万年前からの温暖化の時期に再びスンダランドからモンゴロイド(トルコ族・モンゴル族・ツングース族の祖)が移ってきています。
この1万年前の温暖化以降に起きている寒冷化の時期に焦点を当てて、各時期で発掘されている遺跡から読み解ける生産様式や婚姻様式を検証して、父権制への転換時期を探っていきます。
寒冷化の時期と遺跡については、以下の対象を中心に検証する予定です。
(1)8200年前頃:興隆窪文化
(2)5500年前頃:紅山文化
(3)4000年前頃:下層夏家店文化

「モンゴル方面の遊牧部族における母権制⇒父権制への転換」より
 
◆各遺跡の検証(生産様式、母権・父権、同類闘争圧力etc.)
(1)8200年前頃:興隆窪文化
<遺跡に見られる特徴>
・遺跡からは大量の獣骨(シカ類が大半)と、野生植物の実が出土し、生産工具に狩猟道具が多い。ことから、狩猟と採集が主要な生産様式であったと考えられる。
※雑穀農耕も行われていたようだが、比率は小さい。
・集落(50~200戸)の周囲に環濠が巡らされているが、規模(興隆窪集落の環濠:幅2m、深さ1m)や集落間の距離(最近接地点で間隔10m)、争いの痕跡がないことを考慮すると、氏族の区切りや自然外圧(野獣の侵入)への対策と見られる。
・埋葬形態としては住居内埋葬や山頂葬が行われていたが、明確な階層分化は見られない。
・竜の像や龍文を施した土器の他、女神像も出土しており、女性が崇められる対象となっていたことが伺える。
 
生産様式は狩猟・採集が主体で、同類闘争は発生しておらず、母系集団として暮らしていたと考えられます。
 
(2)5500年前頃:紅山文化
 
<遺跡に見られる特徴>
・狩猟や漁撈も行われていたが、農耕が発達し、生産工具として石鋤や石刀も多く出土している。遺跡からは豚、牛、羊の骨も出土しており、家畜の飼育や遊牧も営まれていたと考えられる。
・牛河梁遺跡からは女神廟(大きな女性を表した人物塑像が祀られている)が発掘されている。この女神廟は一集落を越えた地域集団の祭祀用と見られる。
・墓の副葬品には、被葬者間で違いがあり、階層差があったと見られるが、副葬品に後の時代のような武器類はなく、玉器が主であった。
 
前述の興隆窪文化(+趙宝溝文化)を継承しており、生産様式は狩猟・採集・漁撈に加えて、農耕の発達、牧畜や遊牧も営んでいるが、女性の地位は高く、母系⇒母権の社会であったと考えられます。
 
(3)4000年前頃:下層夏家店文化
 
<遺跡に見られる特徴>
・雑穀農耕が主要、遺跡からはブタやイヌの他、ウシ、ヒツジ、シカの骨が出ているが、過去の遺跡と比較して骨の出土量は、シカ類(狩猟の獲物)が減少し、ウシやヒツジ(家畜)が増えており、おそらく森林の減少、(乾燥化等による)周辺の草原化が進んでいたと見られる。
・この地域としては初めての囲壁集落が登場している(囲壁+環濠もあり)。発掘時で2~3.5mの高さがあるものもあり、異民族の侵入に対するの防衛策と考えられる。
・墓地の遺跡(ex.大甸子墓地)からは、階層が伺えるが、大型の墓は男性の比率が多く、祭祀用の特殊な土器が副葬品として収められているのは、2/3が男性であった。また、女性の墓で高級副葬品が収められている場合、必ず近くに同様の男性の墓があり、男性が主導的な地位にあった事をうかがわせる。(男性の場合は、単独で高級副葬品が収められていることもあった)
生産様式は雑穀農耕に狩猟、牧畜・遊牧を営み、囲壁の様式から同類闘争の発生がうかがえ、また埋葬の形態から、父権制へと転換していると考えられます。
 
◆モンゴル方面における父権化の要因(仮説)
このように遺跡を見てみると、モンゴル方面(特に東部)では、紅山文化頃までは、採集・狩猟~半農半牧の生産様式が主であり、遊牧が行われても大遠征ではなく、母集団から近距離の範囲での遊牧にて適応可能で、それ故に父権制への転換を迫られなかったと考えられます。
 
それが、紅山文化の末期から、部族間での戦争圧力(潜在的な緊張圧力)が高まってきて、父権制への転換が進んでいきます。(5000年前~4000年前の間に徐々に進んだのではないか?)
夏王朝が中原を制覇して父権制(世襲制)の部族連合国家を樹立しており、夏家店下層文化においても、防御用城壁の登場と合わせて明確な父権制への転換が起きています。
 
つまり、モンゴル方面では、戦争圧力によって、闘争圧力に対応する戦力度の高い男を残留させることと、(人質として)女を嫁がせることで部族間の同盟を結ぶことなどの必要性が急激に高まり、それゆえに父権制への転換が起こったのではないでしょうか。
 
【参考文献】
図説中国文明史Ⅰ文明への胎動(稲畑耕一郎監修:創元社)
世界の考古学6 中央ユーラシアの考古学(藤川繁彦編:同成社)
世界の考古学9 東福アジアの考古学(大貫静夫:同成社)
 
最後まで読んでくれてありがとうございます。
応援もよろしくお願いします。

List    投稿者 lived104 | 2011-02-27 | Posted in 14.その他4 Comments » 

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コメント4件

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