西洋文明の基層を探る(3) 6000年前以降の印欧語族の欧州侵入
では、印欧語族が欧州に登場したのはいつか?
Y染色体分析によると、印欧語族がバルカン半島に最初に入ったのは6000年前頃のことらしい。
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部族名の次のアルファベットはY染色体のタイプを示す。
年代の色は「極寒期:紫 寒冷期:水色 温暖期:橙 高温期:赤」を示す。
年代は、下記サイトのデータに従った。
「日本人のガラパゴス的民族性の起源!」と『るいネット』から、
「ヨーロッパ最先端のY遺伝子分析より 1~4」
「Y染色体亜型分類の系統樹」
「印欧語族の形成(中間整理)」
6200~5900年前 北緯35度以北は乾燥化。黒海北岸の乾燥化に伴い、原印欧語族(R1a、R1b混合グループ)がバルカン半島に侵入。印欧語族R1aとR1bの一部は、中央アジア~バイカル湖周辺まで移動。
→中央アジアのウィグル族等と混血。6000年前のモンゴル・バイカル湖周辺のコーカソイド人骨。3800年前のタリム盆地のコーカソイドのミイラ。
(但し、この段階では、印欧語族はバルカン半島に止まり、欧州中心部には侵入していない)
6000年前 仏やブリテン諸島など西欧で新石器時代(磨製石器・土器を持つ牧畜農耕文化)が広がる。同時に、巨石文化(共同墓地)も拡大。6000年前頃には、巨石文化はブルターニュとブリテン島、アイルランド島、デンマークなどの北欧の一部とポルトガルの一部に限られていたが、5000年前頃になると、オランダや仏中南部、スペインなどに拡大し、4000年前には、西ヨーロッパ全域に広がり、巨石文化全盛期に。
5700年前~ 寒冷化。北緯35度以南は乾燥化。北緯35度以北は湿潤化。
5500年前 メソポタミアでシュメールの城壁都市。
5400年前 エジプトで城壁都市。
5200年前~ さらに寒冷化。北緯35度以南は乾燥化。
メソポタミアは急激に乾燥化し、シュメール都市国家間の無秩序な戦争が多発。一方、湿潤化したコーカサス地方は人口集中したと考えられる。
5200~3800年前にかけて、印欧語族R1a(バルト-スラブ語族)が独、スカンジナビア半島に侵入。おそらく、R1aが住んでいた(北緯35度以北の)黒海やカスピ海の北岸のステップ北部の乾燥化によるもの。
5000年前 印欧語族R1aとウクライナ原住民IEが混血しスラブ人に。
5000年前~ (現在の西欧人の中心を占める)印欧語族R1b(原ケルト語族・原ゲルマン語族)が黒海沿岸からドナウ河を遡って欧中北部に侵入。おそらく北緯35度以北の黒海沿岸地方の乾燥化によるもの。4500年前には西欧へ到達。北欧ではウラル語族Nと混血。
当時11部族に分裂していた印欧語族のうち、ルウィ族が最も早い時期に移動を始めた。南ロシアから黒海東岸~カフカス山地の西部の峠を越えて南下したが、フルリ人とアッシリア人の抵抗に遭い、西南(小アジア)に向かった。
★5700~5200年前の寒冷期にはコーカサス地方は湿潤化し、人口が集中した。ところが一転して5000年前には温暖化しコーカサス地方は乾燥化した。ここで起こった(印欧語族同士も含めた)戦争により、敗れた印欧語族R1a・R1bが大移動を始めたのではないだろうか。
5000年前 地中海地域で青銅器時代が始まる。
5000~4000年前 アルプス以北で銅器時代が始まる。土の質も素焼き技術もそれ以前の壷と異なる鐘状壷が、ヨーロッパ全域に広がる。さらに、4500年前には欧州中北部に縄文セラミック壷と戦闘斧の使用が広がっている。これもドナウ河中流域から印欧語族R1bが欧州全域に侵入したことを裏付けている。
4300~3800年前 アルプス以北で青銅器時代が始まる。
この時代に葬送形式が変わる。巨石文化時代の集団的埋葬から、木棺による個人的埋葬に変わる。ここにしばしば大規模な盛り土が施され墳墓が築かれた。ブリテン島でもブルターニュ地方でも、貴金属や象牙などが出土する墳墓があり、王の墓と推定されている。
★北からの征服者・植民者「青銅器時代のヴァイキング」のものだったという説もある。
4000年前には、巨石文化全盛期、西ヨーロッパ全域に広がる。
★巨石文化と印欧語族の持ち込んだ文化が並存していることが、印欧語族による全面征服ではなく、穏やかな漸進的侵入・征服という説の根拠になっているようである。
4000年前 印欧語族の一派であるヒッタイト族がルウィ族の軌跡を辿って南下し、小アジアでルウィ族と闘争した。ヒッタイト族が勝利した後、ルウィ族の一部と原住民のハッティ族を従えてハッティ王国を建てた。敗走したルウィ族はエーゲ海に達してアルツァワ国を建設。更に海に出てエーゲ海の島々やギリシャ本土にも活発な殖民活動を行った。→アカイア人、イオニア人のギリシャ侵入。
3800年前 コーカサス地方の乾燥化に伴い、コーカサス地方に残っていた印欧語族R1b(5000年前のコーカサス戦争での勝ち組)が移動開始。→一部はギリシアに定住し3600年前にミケーネ文明。
3500年前 寒冷化に伴い、ウラル山脈の東にいた印欧語族R1a(アーリア人、5000年前のコーカサス戦争で負けてウラル山脈まで追いやられた部族)が第二次移動。イラン高原南西部にペルシア人が侵入。アーリア人がインドへ侵入。
3300年前以降、ギリシアでトロイヤ戦争など、地中海地方は動乱の時代へ。同時に地中海地域は鉄器時代に入る。
3200年前 欧州の印欧語族R1bはさらに大移動。西は大西洋、北はスカンジナビアにまで拡大。東はギリシア、アナトリア。但し、R1aが先に定住していた地域は避ける。
この頃から、埋葬様式が火葬骨壷葬に変わる。「骨壷場文化」。東部ヨーロッパ(ドイツ、ポーランドの境界付近)から火葬骨壷葬の動きが始まり、徐々に西ヨーロッパに波及。
★従来は民族的征服の結果とされてきたが、現在は征服を伴わないor多少の植民を伴う文化的波及説も有力とのこと。
※骨相学的には、ブルターニュ地方は地中海タイプの中型長頭型だが、北方系の大型長頭型が多少見られるようになる。
3100年前 ギリシアのミュケナイ文明滅亡
3000~2800年前 アルプス以北で鉄器時代が始まる。
地中海地域とアルプス以北との関係が緊密化。ギリシア・エトルリア(伊中部)・ローマは、アルプス以北の「蛮族」から、鉱物・塩・琥珀・奴隷を輸入し、金属製orセラミック製の壷・武器・宝石・装身具・ワインなどを輸出。
東地中海でフェニキア人の活動が活発化し、2800年前に北アフリカでカルタゴ建国。
2750年前ローマが建国。
2700年前 フランス・ブリテン島一帯は第一鉄器時代に入る。中欧中心に大規模な王の墳丘が築かれる。2700年前からイタリア中部に出現しはじめ、2500年前までに欧州中部、西部に広がる。軍事的征服などによって富の蓄積が進み、同時に社会的な階級化も進展して支配者の権力が強まった結果。かなりの動乱の時代であったことを示唆する。
★このように、欧州における印欧語族の侵入は6000年前のバルカン半島への侵入、欧州中心部への侵入は5000年前である。
欧州における印欧語の起源は、かつては金属器文化の伝播が始まる5000年前頃と言われていた。ところが近年、9000~8000年前に「ヨーロッパに印欧語が出現」というのが「定説」になりつつあるらしい。ところが、今の所、それを立証する発掘事実はなく、かつY染色体亜型分析でも、印欧語族R1bの欧州侵入は5000年前であることが裏付けられている。「印欧語の起源が9000年前」という「定説」は、ヨーロッパの言語学者が印欧語の起源をできるだけ遡らせて、あたかも白人文明には歴史と由緒があるかのようにする偽装ではないか。
★印欧語族の移動は、概ね次のようになるだろう。
【1】6000年前 黒海北岸の乾燥化に伴い、原印欧語族(R1a、R1b混合グループ)がバルカン半島に侵入。
【2】5700~5000年前の寒冷期にはコーカサス地方は湿潤化し、人口が集中した(この段階では既にメソポタミアでは戦争が始まっている)。ところが一転して5000年前以降は温暖化しコーカサス地方は乾燥化した。ここで起こった(印欧語族同士も含めた)戦争により、敗れた印欧語族R1a・R1bが大移動を始める。おそらく、このコーカサス戦争が印欧語族の自我・私権性の起源ではないだろうか。
【3】3800年前 コーカサス地方の乾燥化に伴い、コーカサス地方に残っていた印欧語族R1b(5000年前のコーカサス戦争での勝ち組)が移動開始。→一部はギリシアに定住し3600年前にミケーネ文明。
【4】3500年前 寒冷化に伴い、ウラル山脈の東にいた印欧語族R1a(5000年前のコーカサス戦争で負けてウラル山脈まで追いやられた部族)が第二次移動。イラン高原南西部にペルシア人が侵入。アーリア人がインドへ侵入。
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