11/28なんでや劇場(1) 地球の気候変動と人種移動
画像はこちらからお借りしました。
11/28なんでや劇場のテーマは「『実現論第二部:私権時代』の改稿」でした。
これから、そのレポートを5回に亙って掲載します。
いつも応援ありがとうございます。
テーマ「『実現論第二部 私権時代』の改稿」シリーズは概ね5回に亙る本格的な理論追求になる。
●『実現論第二部:私権時代』を改稿する理由
2010年から実現の時代に入った。ということは数年後には認識収束が強まり新理論が求められる。そのテキストが『実現論』だが、現状の「第二部私権時代」は性闘争史観で書かれており、360度の視点から見て欠落部分がある。例えば「私有意識→戦争が何故登場したのか?」が私権時代の焦点の一つだが、「戦争の発生も遊牧部族が契機となっている」という認識が『実現論』第一稿の後に発見されている。そこで、来る認識収束に応えるために「私権時代」に的を絞って改稿するというのが、今回のテーマの趣旨である。
第1回目は、文明時代と呼ばれる4000年に至る以前の(歴史の教科書にはない)時代を扱う。1万年前~4000年前までの気候変動と部族(人種)移動がどうだったのかを解明する。
次回以降は、3つのエリアに分けて徹底追求してゆく。
①アジア。つまり、中国・朝鮮・日本。
②北欧・中東・インド。
③ギリシア・ローマからヨーロッパ全体
「1万2千年前以降の平均気温の変動グラフ」
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●まず地球の気候がどう変動してきたのか?
資料「地球の気候変動」
大きな変動を押さえると、
①9万年前~最終氷期。 北極・南極の氷が増え、その分海面が低下。東南アジア周辺が陸地に(スンダランド)。日本列島もユーラシア大陸と地続きに。
2万年前に最終氷期が終わり、温暖化が始まる。寒冷化と温暖化を繰り返しながらだんだん温暖化してゆき、北半球の北部まで人類は進出するようになる。とりわけ、スンダランドが1.4万年前から海没し始め、そこに住んでいた南方モンゴロイドが拡散してゆく。
②1.3~1.16万年前、急激な短期寒冷期(ヤンガー・ドリアス期)
現在より平均気温は7~8℃低い。この時期に栽培→農耕が始まる。
③1.1万年前~温暖期に入る。それ以降1000年前までは現在より1~2℃温暖だった。とりわけ7500~5700年前が最も温暖な時期で、それ以降は寒冷化・乾燥化と温暖化・湿潤化を繰り返し、その度に部族が移動し部族間衝突が起こるようになる。
ちなみに、2万年前以降、地球は間氷期(氷期と氷期の間の温暖な時期)に入ったわけだが、この温暖な間氷期ももうすぐ終わるのではないかという説もある。
☆気候変動は植生→人類の生産様式に影響を与えるが、とりわけ重要なのが弓矢の発明の時期。人類が洞窟から地上に出たのは弓矢の発明によるものだが、その発明は寒冷期なのか温暖期なのかは決定的に重要。定説の2万年前というのは、その時期の鏃が発掘されることが根拠となっている。その鏃の大きさは、現在の鏃の大きさの何倍か? 現在より著しく大きければ、弓矢ではなく投槍に使われたということになる(弓や矢そのものは腐って残らないので)。
「人類の拡散ルート」
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↓なんでや劇場で配布された、より詳細なユーラシア大陸地図はこちらをご覧下さい。
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●人種はどのように移動してきたのか?
現在の人種は大きく分けて、黒人(ニグロイド)・黄人(モンゴロイド)・白人(コーカソイド)に分かれる。
現生人類は19.5万年前にアフリカ東部で誕生したが、その一部は、5000年前まで何度もアフリカからユーラシア大陸へ進出している。そのルートは、アラビア半島・小アジア・東地中海沿岸・メソポタミア・イラン高原西部であるが、この周辺には5000年前頃までアフリカから来た黒人がたくさん居たということである。
「出アフリカは2回だけ=一人のイブが現生人類の祖先」という学説の根拠はミトコンドリア(分子時計)に基づいているが、Y遺伝子も含めて、それらの分析はとうてい科学とは言えない恣意的な見解(むしろ捏造というべきもの)であり、完全に無視した方が良い。この問題については、追って『るいネット』に投稿するが、縄文人を扱うテーマの時に詳しく扱う。
コーカサス地方(黒海とカスピ海の間)は緑が多く相対的に豊かであるが故に、常に人口が密集する。ヨーロッパに向かったコーカソイドは、ここを通ってヨーロッパに向かっている。
アフリカから出発しアラビア半島からインドへと海伝いに移動したのが原モンゴロイドだが、そのうちスンダランドに進み、そこで繁殖したのが南方モンゴロイドで、その後、南洋諸島にも拡散。
原モンゴロイドのうち、オーストラリアに辿り着いたのが褐色人(オーストラロイド)である。
一方、イラン高原の北側~中央アジア(タリム盆地の下当たり)を通ってバイカル湖の周辺まで北進したのが北方モンゴロイドである。
☆ドラヴィダ人の前のインド原住民は誰なのか?
原モンゴロイドor南方モンゴロイドなのか?オーストラロイドなのか?
インドの原住民もオーストラロイドも源流は原モンドロイドであるが、オーストラロイドがオーストラリアや南洋諸島に移動したのは7万年~5万年前であり、その後、オーストラロイドと南方モンゴロイドはそれぞれで独自の適応を遂げている。従って、インドの原住民がオーストラロイドだとは考えられない。だとすれば、インドの原住民は原モンゴロイドが残っていたかor南方モンゴロイドが1.4万年前以降スンダランド海没に伴って進出してきたかのどちらかである。(継続調査課題)
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コメント2件
belgique hermes bags | 2014.02.20 16:58
hermes paket 35 kg 日本を守るのに右も左もない | 『情報紹介サイト』の色彩を前面に出した【 新“るいネット” 】
unimaro | 2011.08.13 10:07
皆様お疲れ様です。
皆様の興味深いエントリから、いつも勉強させられています。(日本語は難しいですね、一見だと勘違いされるかもw)
文の一語一語を精査され、選ばれて、言葉を大切に使われていることも、真剣に書かれていることをわからせます。
今後とも勉強させていただきたいと思っています。
これからも皆様ご健勝されることをお祈りいたします。
さて、私の愚考ですが、
官僚や政治家などといった「目に見える分け方」以外にも、
もうひとつの重要な分け方があるように思えます。
両方を上手くつけば、更に「敵」を見極めるのによいようだと愚考しております。
それをなんと呼べばわからないので、私は便宜的に「団塊脳」と呼んでいます。
勿論団塊世代発生よりずっと昔からあります。日本以外にも見られる現象です。
決して聡明ではなく、小心者たちが、群れて、善悪の区別をする術を持つ資質も無く、己の損得・感情・利害のためだけにこすさで生きて行動している。勿論勇気など持てるはずも無い。しかも、周りの無関係であるが「同レベル(つまりココで言う団塊脳)」の者達を巻き込み見方にしてしまう。
こういった団塊脳人たちは、「平和な時代」のみに増殖し
、戦国時代のような「まともな人間たち」がわかりやすい時代には、影に潜んでいる(当人の中においても、その資質は影に潜んでいる)。
そういった者達は、信号の1-2分さえ待つことすら出来ない特質(小さいきまりなど馬鹿にして守らない)があるので、結構わかりやすい。
ということです。
わからないかもしれませんが、まぁ、一般人の低レベルな愚考だとw
でも、これが見えれば、「敵しかいないじゃん、今の社会」となり、、、OTL、、、