ツタ考3~森がはぐくんだ“円環の思想”~
日本人の歴史、その民族性をいわゆる歴史時代からさらにさかのぼって考えるとき、重要なテーマの一つとして、縄文土器に表された文様は何を表しているのか、そこにどういった思いが込められているのかという論点があります。
以下に紹介する仮説では、それは、縄文人の信仰の対象てあった蛇、そしてそれと見立てた「ツタ」であると言います。蛇=ツタは、生命エネルギー、男女の交わり、共同体の継承、大自然の循環などを複合的に表した、縄文人の世界観、統合観念そのものだったのではないかとと言います。「縄文と古代文明を探求しよう」から転載させていただきます。第3話です。
第2話 ツタ考2~森の言葉(コトノハ)~
ここまで調べてきた“ツタ”ですが、わたしの考えでは縄文土器の隆線紋は“ツタ”を表していると考えます。
“樹木に絡んだツタ”と“土器に施された隆線紋”は太い円筒に細い紐状の物が貼りついている状態であり、相似関係だと思われます。
深鉢形土器/岩手県盛岡市繋字館市出土
資料をご覧いただければ一目瞭然の相似関係だと思われます。特に隆線紋を施された土器に注目すると隆線紋の下地になる部分には縄目文様が施されています。
粘土で作陶・塑像などを体験された方はわかると思いますが、この表現は非常に手間がかかります。なぜ苦労してまで縄目文様を施したのでしょうか?
私はこの部分の縄目文様は樹木の樹皮を表していると考えます。もちろん隆線紋は“ツタ”になります。
縄文土器は円筒です。樹木も円筒です。森で生活をした私たちの祖先は樹木の生育状況から土器に施す装飾のアイデアを思いついたと考えられるのではないでしょうか。
“ツル・ツタ”、“ヒモ・ナワ・ツナ”の実生活における使用用途も考えましょう。人類の進歩を測る尺度には石器・鉄器などを用いるのが一般的です、例えば時代区分を石器時代、青銅器時代、鉄器時代などに分ける考え方です。
日本における時代区分には新石器時代の代わりに縄文時代という名称が使われています。あまりにも多くの縄目文様を施された土器のかけらが発掘されるからです。
私は“叩く・切る”ことを進歩の尺度にするのではなく。“結ぶ・縛る・束ねる”ためのロープを使いこなし、生活の質を上げてきた人類の進歩を重要視する見方もできるのではないかと考えます。
考古学の見地からすると現物として残った発掘品がなければ仮説も証明も成り立ちません。そのため石器は重要な位置をしめます。ロープに使われた“ツル・ツタ”“ヒモ・ナワ・ツナ”は腐ってしまうため残念ながら発掘品としてほとんど残りません。
しかし、縄文土器に縄目文様として残されているため重視されていたことがわかります。土器には必ずと言っていいほど縄目文様が見受けられます。
そこで衣・食・住で必要になる道具を考えると
「衣」は布を作るため植物繊維を撚り合わせて糸を作り、織りあげます。
「食」は狩猟のため、そして解体作業のため石器が必要になります。
「住」については、ほら穴での生活から住居での生活をするためには木材を組み合わせるためにロープが必要になります。
以上のように糸やロープは石器と並ぶ、生活必需品です。そしてもう一度思い出してください。糸やロープは2本以上をより合わせた螺旋構造です。そして二重螺旋は蛇の交尾と相似関係です。
螺旋構造“ツナ”による縄目文様はただの飾りではありません。
それは蛇の交尾を象徴しています。その内容とは男女の繋がりを表し、命の連鎖を表しているのではないでしょうか。
ここから縄文土器の装飾を更に分析します。
顕著に見られる装飾を3点取り上げます。そして本文の分析に関係づけます。
① 隆線紋(s字紋・渦巻き) =ツタ =伝える
② 縄目文様 =ツナ =繋がる
③ 円環 =ワ
土器に施された3点の装飾の意味はこれで明確になります。
それは、「子孫に“ツタ”伝える。永遠に“ツナ”繋がり続ける。何度も繰り返し“ワ”環になる。」
日本語が縄文由来の言語であるならばこのように解釈できるかもしれません。
これこそが1万年以上安定して続いた縄文時代を支えた思想ではないでしょうか。私はこれを「循環する時間軸」「円環の思想」と名付けます。
では、「円環の思想」とは何か?それは森の循環に即した食生活です。
おいしいものをおいしい時期においしくいただく。それを毎年繰り返す。そして深く感謝する。このことを子孫に伝え、永遠に繋がり続け、何度も繰り返す。これが「円環の思想」です。
縄文人は同時代の世界の人々と比べても多品目の食糧を見つけていました。
小林達雄「縄文カレンダー」より
岡本太郎は隆線紋の分析には、狩猟をテーマにしています。この文章は何度読んでも魅力的ですが、縄文人の見方としてはやや一面的だと思われます。行き当たりばったりの狩猟ではなく。小林達雄先生の作った縄文カレンダーから考えると狩猟・採集・漁労の三本柱を組み合わせ、四季に沿った食糧計画をつくっていたようです。このカレンダーのような円環のイメージを縄文人は持っていたのではないかと私は想像します。
ここまでの説明だけでは、まだ「円環の思想」にどのような重要性があるかは、理解しがたいかもしれません。私は「円環の思想」は超越概念だと考えています。
“神様”と聞いたら一神教の神様を思い浮かべる現代の感覚からは超越概念の持つイメージが違ってきます。
私は縄文人には一神教や造物主の神様は創造していなかったか、もしくは創造されてはいたが、さほど日々の生活には重要ではなかったと考えています。
私はそのような神様を想像する前に時間という概念が産み出され、循環する季節のなかで日々の生活を営み、祖先と子孫に繋がる“命の循環”に気付くことが大発見であると考えます。それは一神教の神様や造物主を創造する前の超越概念だと考えています。
この「循環する時間軸」「円環の思想」という超越概念が“カミ”ではないかと考えます。
「循環する時間軸」「円環の思想」を象徴する最適な生物がいます。
それが“蛇”です。
蛇こそが“カミ”であったと私は考えています。
以上、「縄文と古代文明を探求しよう」さんからの引用でした。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2019/11/9454.html/trackback