2011年01月10日

12/29なんでや劇場(6)~日本語の起源は?/寒冷適応説の根拠は?

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「インドの言語分布」
画像はこちらからお借りしました。
●日本語の起源は?
日本人の起源に続いて、日本語の起源について新たな説が提起された。
インドのタミル語と日本語は親近性が高いと言われる。この理由も秦の江南(倭人)征服に原因があるのではないかという説である。
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2200年前、秦に追い詰められた長江流域の江南人が逃げて、長江上流を遡った。長江上流域はメコン川をはじめとする大河の源流が集中している。一つ山を越えれば大河の源流に行き当たる。その大河を下ればベンガル湾に流れ着く。おそらくは、ミャンマーのヤンゴン、あるいはバングラデシュ辺りに落ち延びた倭人たちが、そこから海路でベンガル湾を渡って、インド東岸のタミル地方に辿り着いた。
つまり、秦に追い詰められた江南人(倭人)の一方は日本に、一方はタミル地方に流れ着いた。それが、タミル語が日本語と親近性が高い理由なのではないだろうか。
だとすれば、日本語の起源は南方系ということになるが、一方で日本語の基本語彙は南方系だが、文法は北方系だとも言われる。参考:「日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか?」
日本語はどのようにして成立したのか?
『るいネット』「’10年末なんで屋劇場レポート6~モンゴロイドの歴史を巡る残課題」から引用。

モンゴロイド、そして日本人の起源、という点で、残されたテーマのひとつが、「日本語の成立」という問題である。この問題も日本人が北方起源か、南方起源か、という問題に大きく関わっている。よく語彙は南方系、文法は北方系とされる。つまり、基礎的語彙は、ポリネシア語等、南方言語との親近性が高いが、文法は動詞が後に来る、膠着語の文法になっている(助詞、助動詞の存在)などの形態から日本語は北方のアルタイ語族に分類される。ここで、文法は変わりにくく基層的であると考えれば、縄文人北方起源説も成立することになる。しかし、基本語彙こそ基層的で、文法は支配部族によって持ち込まれたものであり、人為的・強制的に変化しうる考えれば(実際、ヨーロッパでは先住民も印・欧語の文法に変更させられている)日本語の北方的影響は後発的であるとすることもできる。
本日は、膠着語の特徴を持つ言語がかなり古い(シュメール人やドラヴィダ人にもみられる)ことから、先住の縄文人も文法はアルタイ語族と同じだったのではないか?それ故に、後発のツングース族の言語ともうまく融合したのではないかという仮説が提起された。この点も継続追求課題である。

このように、日本語は基本語彙は南方系であるが、文法は膠着語だということだ。そこで調査すべき課題は、チベット語が膠着語であるかどうかである。
つまり、チベット語が膠着語であれば、日本語の文法もスンダランドDの部族由来のものであるということになり、語彙・文法とも南方系であるということになる。
逆に、チベット語が膠着語でなければ、日本語の文法は、新モンゴロイドO3が1500年前以降に日本に持ち込んだものだということになる。

このように、チベット語が膠着語であるかどうかが、日本語の起源を明らかにする決め手になるだろう。
【注】後日『ウィキペディア』「チベット語」で調べた所、「文語体では接辞が文法機能を担う例が多く膠着語に近いが、現代語ではこれらの多くを失い、孤立語化が進んでいる。名詞と動詞に関して日本語と似た敬語組織が発達している」とのことであり、チベット語は文語体、つまり元々は膠着語であったと考えるべきだろう。
●寒冷適応の根拠は何なのか?
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「モンゴル出身の横綱朝青龍」
画像はこちらからお借りしました。
最後に扱ったのは、シベリアに移動したモンゴロイドが寒冷適応したという説が常識のように語られているが、その根拠は何か?という問題である。
『るいネット』「’10年末なんで屋劇場レポート6~モンゴロイドの歴史を巡る残課題」から引用。

最後の難問は、いわゆる「体型はズングリ・ムックリ、顔は扁平」とされる北方モンゴロイド的形質が形成されたのはいつか、という点である。
アメリカ・インディアンは遅くとも1.5万年前にはアメリカに到着しているとされるが、インディアンにモンゴロイド的形質は認められるものの、北方モンゴロイド的形質を獲得しているとはいえない。従って、いわゆる北方的形質の獲得はかなり新しく、新モンゴロイド以降ではないか、と考えられる。これは中国北部で北方的形質の形成が確認されるのは8千年前以降の人骨であるとされる事実とも合致する。
しかし、それでは温暖化してから獲得した傾向ということになり果たして、北方適応の結果といっていいのか、という疑問もある。
そこで、この時期、乾燥したモンゴル高原で牧畜を開始した新モンゴロイドが家畜に起因するウィルスに対抗するために体温維持するべく獲得した形質ではないか、とする仮説が提起された。また、食生活の変化による変化ではないかとする仮説も提起された。しかし、いずれも決め手に欠けるため、この点も継続追求課題となった。

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「アラスカのエスキモー」
画像はこちらからお借りしました。
熱が逃げないように、身体の(体積比)表面積を可能な限り小さくする。そのために体型がズングリムックリになったというのが寒冷適応説だが、より北方にいるエスキモーの体型はズングリムックリしていない。
そもそも、いつ寒冷適応したのか?
バイカル湖周辺に移動したのは温暖期であって、そこでは寒冷適応する必要がない。あるいは、1.5万年前にベーリング海峡を通ってアメリカ大陸に渡ったインディアンの体型もズングリムックリではない。このことから考えて、新モンゴロイドがズングリムックリ体型になったのは、それ以降1.5万年前以降、つまり最も温暖な時期だということになる。
一体、いつ、どこでズングリムックリ体型になったのか?
このように、寒冷適応説は常識のように語られているが、その根拠に乏しく、説明がつかない。
かろうじて説明できそうなのは、『るいネット』で提起されている「乾燥による粘膜(ウィルス防御壁)の機能低下⇒体内免疫機能を強化(≒新モンゴロイド)ではないか?」という説である。
つまり、シベリアは乾燥化しているので粘膜機能が低下するので、ウィルスが体内に入りやすい。そこで、免疫機能を下げないように体温を下げないようにする必要がある。熱が逃げないように身体の表面積を小さくしたのがズングリムックリ体型であるということだ。
この乾燥説を検証するには、同じくシベリアに住み、かつズングリムックリではないロシア人などは免疫機能が弱いのか(例えば、風邪をひきやすいのか?)といったことを調べる必要がある。
あえて説明しようとすれば、寒冷×乾燥×家畜によるウィルスという3つの条件がそろってはじめて、免疫機能を下げないために身体の表面積を小さくするようにズングリムックリな体型になった(=寒冷適応した)という説が提起されたが、寒冷適応の原因については未だスッキリと説明できる根拠がなく、継続して追求すべき課題である。
るいネット
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List    投稿者 staff | 2011-01-10 | Posted in 14.その他1 Comment » 

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コメント1件

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