2011年02月09日

2/6なんでや劇場(6) 次回劇場への提起~力の原理と父権制の関係構造は?

 
 
今回のなんでや劇場は、古代コーカソイドの部族移動を押さえながら、戦争の起源にせまるという壮大な内容でした。
そこからは、欧米人の侵略性や私権性がいわゆる文明時代以前から刻印されたものである可能性が見えてきました。
古代共同体の多くは母権的な集団社会であったと考えられますが、いつ頃からどういう背景で父権制に移行したのか?そして、欧米人の私権性は登場したのか?・・・
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   性の姿をかたどった臀部突出型小像(オーストリアのヴィレンドルフ近くの旧石器時代の遺跡)
   狩猟採取社会における多産・豊穣に加えて、安全と成功の象徴であった可能性を示唆している

次回に繋がる課題を最後に整理しておきます。

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るいネット「2/6なんでや劇場(6) 次回劇場への提起~力の原理と父権制の関係構造は?」から引用
【資料】
「■地域別古代史年表」

欧米人がなぜ侵略性・私権性が強く、自我や架空観念度が強いのか? あるいは、なぜ大量の奴隷を使役してきたのか?
これが追求すべき課題であるが、その焦点は彼らの骨身に染み付いている力の原理(力第一の価値観)である。
この力第一の価値観はどのようにして形成されたのか?
戦争に次ぐ戦争によるものか? 遊牧という生産様式によるものか?
力の原理と密接に関係するのが父権制。父権原理がいつから登場したのか?
(注)私権時代を分析する上では、従来の「母系制・父系制」という概念を「母権制・父権制」という概念に置き換える。∵権力の所在と不可分一体だからである。
力の原理は戦争から、父権制は遊牧から発生する。では、この2つのファクターがいつ、どのように重なって欧米人の私権性が登場したのか?
中国では4500年前まで母権制だったが、夏王朝以降は父権制が確立した。印欧語族も4500年前には遊牧という生産様式と戦争圧力から考えて、父権制に転換していたと考えて間違いないだろう。
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古代ギリシアの母親殺し。母権制社会の究極の法を破った罪で、運命の女神から追及された。運命の女神たちは、母親の「内奥にある血」が生命をつくるのであるから、母親殺しより重い罪はないと主張した。しかし アポローンは、たとえ彼が母親である女王クリュタイムネーストラーを殺したとしても、彼女は真の親ではない、真の親は父親だけだという理由で、オレステースを弁護した。

ユーラシア大陸の遊牧部族は大きく、印欧語族、セム族、モンゴロイド(モンゴル・ツングース・トルコ)に分かれる。
【1】これらの遊牧部族が父権制に転換したのは8000~5000年前と考えられるが、それぞれが父権制に変わった理由は何か?
【2】そこに戦争圧力⇒力の原理が加わるとどう変わるのか?(逆に言えば、戦争が起きる前の父権制の力はどの程度のものなのか?)
【3】ここまでは、印欧語族もモンゴロイドも同条件のはずである。では、印欧語族も中国も全く同じと見なしてよいのか? 違いがあるとすれば、その違いはどこで生まれたのか? 
今の段階で言えることは、モンゴルは氏族共同体を残しているが、印欧語族は共同体を破壊し尽した略奪集団である、従って労働の忌避⇒奴隷の使役という違いはある。
この3段階の問題の構造化が、次回のなんでや劇場の追求テーマの予定。

それでは、次回のなんでや劇場をお楽しみに

List    投稿者 cosmos | 2011-02-09 | Posted in 14.その他No Comments » 

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