2011年03月01日

イラン高原とモンゴル高原の遊牧部族の違い(仮説)【1】

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「イラン高原の遊牧」
画像は『縄文と古代文明を探求しよう』からお借りしました。
「父権制と力の原理の関係構造仮説(イラン高原)」において、次のような仮説を提起しました。

父権制遊牧部族では、
【1】物的欠乏と部族間の相対自我⇒富族強兵共認⇒私有意識と自我の肥大。
【2】父権制への転換→女たちの存在不安⇒自我収束から不倫をはじめとする規範破り。
【1】【2】による自我⇒規範破りを制圧し集団統合を維持するために、父権遊牧部族は力の原理に移行し、力第一の価値観が形成された。
これが父権制遊牧部族が力の原理に移行し、力第一の価値観が形成された原因仮説である。

そして、狩猟(勇士婿入り婚)から遊牧(父系嫁取り婚)に転換したイラン高原の遊牧部族と、14000年前までスンダランドで採集(総遇婚)で、温暖期に入った1万年前モンゴル高原に入って以降、遊牧(父系嫁取り婚)に転換したモンゴル高原の遊牧部族では、自我・私権意識の成立構造や在り様に何らかの違いがあるであろうことを提起しました。
今回は、その問題に入ります。
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7800~5700年前の最温暖期に辛うじて生存可能となったイラン高原において、父権制遊牧部族が登場した。
彼らは元々はコーカサスやアナトリアにいた狩猟(勇士婚)部族or狩猟派生の牧畜部族であったと考えられる。
そして、彼らが父権制(嫁取り婚)になる前は、母系の勇士婿入り婚だったと考えられる。
以下、『実現論』「前史チ.採取時代の婚姻様式」から引用する。

東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。

それに対して、ヨーロッパの森林地帯に留まった白色人(コーカソイド)をはじめとする狩猟部族は、その狩猟という生産様式から、まだまだ強い闘争圧力を受けて強い集団統合力を維持し続けており、その結果、首雄集中婚の規範が長く残り続ける。しかし、外圧の低下によって次第に解脱収束が強まり、集団規模も拡大してゆく。そこで狩猟部族は、首雄集中婚を踏襲しつつ、首雄=族長という資格を一段下に拡張した勇士集中婚を形成していった(これは、女長老が采配する母系氏族の姉妹たち全員が勇士を迎え入れる、勇士婿入り婚とも言える)。

狩猟部族の勇士婿入り婚は、男の性闘争本能を刺激し、それをエネルギー源にすることで男の活力→戦闘力上昇を目的とした婚姻様式である。この婚姻制度においては、勇士の資格、つまり男の力が重要視されている。そして、勇士としての力を判定するための(人工的な)資格儀式が設けられている(注目すべきは、この段階で既に、力の原理の萌芽が見られるということだ)。
以下、『実現論』「前史チ.採取時代の婚姻様式」から引用する。

だが、ここに大きな落とし穴があった。
首雄は、原モグラ(哺乳類)以来の自然な存在であり、かつ唯一人である。それに、皆が評価し共認した族長に対して不満などあろう筈がない。仮にもし不満があったとしたら、直ちに皆が認める新たな族長に替わるだけである。しかし、勇士は一人ではなく何人もいる。しかも、勇士の資格は人工的に作られた資格である。従って、男たちの相対性と各々の正当化から自我を発生させて終う余地が大きい。何より問題なのは、首雄集中婚や総偶婚では集団規範によって性(婚姻)の相手は決まっており、従って娘たちは12歳前後で、思春期を迎えるや否や直ちに性関係に入ってゆく事ができる(=女の最大欠乏たる性的役割欠乏が充足される)のに対して、人工的な勇士婚では相手は決まっておらず、勇士が決まり婚姻が決まるまで、娘たちの性欠乏=存在理由欠乏は宙に浮いてしまうことである。

このように、勇士婿入り婚では男女ともに、自我⇒性闘争を発生させる余地が大きい。
さらに、勇士の資格(男の力の証≒甲斐性)が人工的な資格儀式から物財(婚資=婚姻料)に変わってゆく。
「『婚姻論』付 世界の各部族の婚姻形態」によれば、

■勇士婚の風習を持つ部族
●インディアン40 部族(セネカ・イロコイ族等)
発見当初には既に短偶婚に移行していたが、「長女と結婚する者は、その妹たち全てを妻にする権利を有する」という慣習を残存させている。未婚男女間の社会的交際はほとんどなく、婚姻の取り決めは母に委ねられ、当事者の事前の承諾を必要としない。男が娘の氏族的親族に贈り物をすることが、婚姻取引における特色。
●マサイ族:南東アフリカケニア
・婚姻-一夫多妻。女性は結婚に際して割礼を受ける。氏族内通婚は禁止。他民族との通婚は、男性のみ許される。第一夫人を迎える手続は――男が見初めると、首飾りを贈り、娘の両親に結婚の意思表明として少量の蜂蜜を送った後に、大量の蜂蜜と牛乳を送る。結婚の申し入れが受け入れられると、男は娘の両親に心付けの品物を贈り、式の当日、2頭の牝牛と1頭の去勢牛、2頭の牝牛と1頭の仔羊、1頭の牝山羊を婚資として持ってくる。正式な手続を踏んだ結婚では、妻側の離婚要求は認められず、話し合いによって離婚成立の場合も、妻は婚資の牛や羊を返却する。

このように、婿入りする男が婚資を払う狩猟(勇士婚)部族が、遊牧に転ずると、どうなるか?
乾燥化などの自然環境の変化で食えなくなった遊牧部族が派遣した斥候部隊(男部隊)が次第に規模が大きくなり、移動距離も長くなり、滅多に母集団に帰ってこなくなると、派遣集団が母集団に「女をよこせ」と要求するようになり、こうして父系嫁取り婚を共認した史上初の父系集団が登場した。
派遣部隊(男部隊)が「女をよこせ」と要求するわけだから、母集団としては当然、その見返りとして婚資を要求したであろう。
従って、父系嫁取り婚の父権集団が登場した段階で、嫁入りの見返りに嫁を迎えた氏族が婚資を払うという様式が成立していたはずである。
当然、その婚資は娘を出した家族の所有物となったであろう。
すると、どうなるか?
イラン高原は貧しい。
当然、嫁を出す氏族は少しでも婚資を吊り上げようとする。
また、各氏族や家族にとっては娘は婚資を得るための「商品」となる。
おそらくは、父権嫁取り婚に転化してまもなく、娘の性的商品化が始まったのではないだろうか。
そこでは、少しでも高く売るための幻想化や挑発力の強化が必要になる。
これが、西洋人の騙し能力や中東の遊牧部族の女の挑発力の起源ではないだろうか。
また、父権制による女の存在不安⇒女の自我は、自らの性的商品価値に収束してゆくはずである。
つまり、氏族の富を拡大するための娘の性的商品化→女の性的自我の増大という構造を孕むことになる。
このように、イラン高原の遊牧部族では、父権嫁取り婚が登場してからまもなく、女の自我⇒性的商品価値(性幻想や挑発力)によって男の自我⇒性闘争本能を刺激し男の戦闘活力を上昇させるという、私権時代の活力様式が成立していたのではないだろうか。
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List    投稿者 staff | 2011-03-01 | Posted in 14.その他No Comments » 

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