2011年03月12日

アーリア人のミトラ信仰⇒本源共認を喪失した略奪集団を統合するための観念収束

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「牡牛を屠るミトラの図」
画像はこちらからお借りしました。
3/13なんでや劇場のテーマは「欧米人の、侵略性と支配志向と観念収束の成立構造」とのことです。
今回はその参考に、アーリア人の観念収束の源流の一つである原始ミトラ信仰について投稿します。
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『るいネット』「全ての古代宗教の起源? アーリア人の原始ミトラ信仰」より引用。

原始ミトラ教は、アーリア人の宗教の神の一柱ミトラを主神とした宗教で、メソポタミア周辺に定住したアーリア人(イラン・アーリア人)のミトラ信仰が元になって、原始ミトラ教が作られた。
それが分裂してゾロアスター教が生まれた。ゾロアスター教では、この世は善(光明)の神アフラ=マズダと悪(暗黒)の神アーリマンが絶え間なく戦い、最後に悪は敗北し、世界は大火災による終末を迎え、人は最後の審判を経て救済されるとした。
ユダヤ人はゾロアスター教から二元論的終末論を採用し、ユダヤ教を作り上げた。それがキリスト教にも受け継がれた。
一方、インド・アーリア人は、ミトラ信仰を元に、土着の信仰を取り込んでバラモン教を作り出し、そこからヒンドゥー教や仏教が生まれた。仏教の「弥勒」の起源も、ミトラ神らしい。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が同じ起源をもつことは知られているが、原始ミトラ信仰まで遡ると、ヒンドゥー教や仏教まで同じ起源となる。つまり、儒教を除いて、古代宗教の全てが同じ起源だということになる。近代思想の起源はキリスト教だから、古代宗教⇒近代思想の源流は、ミトラ教にあるということ。
ミトラ神・ミトラ信仰とはどのようなものだったのか? それを解明することで、どのようにして古代宗教が生まれたのかがわかるはずである。

アーリア人の原始ミトラ信仰が儒教を除く古代宗教の源流であるとまでは断定できないとしても、ゾロアスター教・ユダヤ教→キリスト教など、印欧語族の古代宗教の源流の可能性はある。
少なくとも、その観念構造において、何らかの共通点があるはずである。
『るいネット』「原始ミトラ信仰の成立過程」より引用。

ミトラ神は、古代アーリア民族の信仰した7柱神の中の最高神。ミトラ信仰の起源は、6000年前の中央アジア(現在のカザフスタン)にまで遡れるらしい。それが、原始ミトラ教の形をとるのは、3700年前ころらしい。但し、資料が残っていないので、これは、後世の資料からの推察である。
ミトラ神とは、インド・アーリア人、イラン・アーリア人が分かれる以前の時代にまで遡る古い神格で、その名は本来「契約」を意味する。 また、契約によって結ばれた「盟友」をも意味し、友情・友愛の守護神とされるようになった。
(ミトラ神は)ヴァルナ神とは表裏一体を成す。ミトラ神が契約を祝福し、ヴァルナ神が契約の履行を監視し、背いた者には罰を与えるという。後世のインド神話ではあまり活躍しない。大女神アディティの産んだ十二人の太陽神(アーディティヤ)の一人で、 毎年6月の一カ月間、太陽戦車に乗って天空を駆けるという。『ウィキペディア』「ミトラ」
雨が降ると草木がいっせいに芽生え出る。古代インド人は、これを水の神ヴァルナの天地創造と呼んだ。ヴァルナ崇拝は、雨に代表される自然力をいわゆる共感魔術により分けてもらうことで、自然を支配する力を持とうという発想と結びついている。それゆえ、ヴァルナ崇拝のテーマは、自然に対する人間の優位性の確保である。
ところが、文明が発展し、人間がある程度自然を支配するようになると、人間は自然の上に安定的に君臨するようになった。この結果、自然克服魔術(呪術)の重要性は減り、人間同士の関係、すなわち社会契約(友情)の重要性が高まった。これにともない、ヴァルナの地位は下がり、ミトラが上位の神になった。
『ミトラ神話学』

この記述から、精霊信仰からの変質を読み取ることができる。
15000年前までの人類にとって、精霊は同化対象・感謝の対象であった。ところが、遊牧→父権制への転換によって自我→性的商品価値が芽生えるとともに、自然対象に対する感謝・畏敬の念は衰え、食糧増産のための自然支配期待が高まる。とりわけ、極乾燥地帯であるイラン高原をはじめとする中央アジアの遊牧民族にとっては、水が決定的に重要である。そこでアーリア人たちは精霊たちの中から(自分たちに都合のよい=最も重要な)水の精霊を最高神として祭り上げる。それが水の神ヴァルナらしい。
その後、アーリア人は略奪闘争によって本源集団を解体し、略奪集団(山賊集団)と変す。本源的な共認充足は失われているので、集団や社会を規範では統合できない。従って、本源価値を頭の中だけで再生した本源風の観念(盟友・友情)が必要になる。
しかし、そんな奇麗事だけでは山賊(泥棒)集団が統合できない。彼らを統合するには利益共認が不可欠である。利益の山分けを求めて、逃亡奴隷や滅亡部族の生き残りが集まる。彼らを統合するには「戦利品は平等に分配する」という約束事=契約が不可欠である。
本音は利益共認にすぎないものを、「盟友」や「友情」という観念で美化しているわけであって、これが西洋人の騙し思考の原点ではないだろうか。
かつ彼らの最大課題(最先端課題)は自然圧力の克服そのものよりも、略奪に移行している。
だから、アーリア人にとっては、契約と友情の神ミトラが最高神となり、水の神ヴァルナはミトラ神の補佐役に降格されたのではないだろうか。この最高神ミトラがユダヤ教・キリスト教・イスラム教における唯一絶対神の起源だと考えられる。
実際、ゾロアスター教におけるミトラ神は、正義、契約、盟約、真実を司る。また、死者の霊は三日目に裁かれるとされ、裁神としての性質も持っている。さらに、家畜や住居をはじめとする多くの富を与えると共に、戦闘における守護神としての性質も持つようになったとのことである。
『実現論』「第二部私権時代 ヘ.支配共認=権力の共認と表層観念の共認」にあるように、古代宗教に共通する基本フレームは「現実に失われた本源価値を、頭の中で再生した幻想観念」。すなわち、現実対象から不在対象(頭の中に内在する本源価値⇒耳障りのよい欺瞞観念)への逆転という、古代宗教から近代思想を貫く基本フレームの原点は、略奪集団アーリア人のミトラ信仰だったのではないだろうか。
本源集団という現実の共認基盤を失った略奪集団を統合するための幻想観念(契約や盟友・友情)、それがアーリア人のミトラ信仰であり、それが西洋人の観念収束⇒古代宗教⇒近代思想の起源ではないだろうか。
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List    投稿者 staff | 2011-03-12 | Posted in 14.その他Comments Closed 

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