2011年02月08日

2/6なんでや劇場「コーカソイドの移動」(1) 1万年前以前の極寒期には南欧以北の欧州は無人だった

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「最終氷期最寒冷期の地球環境」
この画像は「日本人のガラパゴス的民族性の起源!」からお借りしました。
この時代、ヨーロッパ~ブリテン諸島の中北部は氷床で覆われていた。
現在の地図と違うのは、当時は海水面が最大120m低下し陸地が広がっていたため(東南アジアにはスンダランドがあり、ヨーロッパとブリテン諸島も陸続きだった)。
氷床の南もヨーロッパでは現在のハンガリーのセゲドまで、ほぼ全域が永久凍土(ツンドラ)が続いており、当時の人類にとって到底、住める環境ではなかったことがわかる。ヨーロッパで唯一、人類が住めたのはイベリア半島・イタリア半島・バルカン半島の先の方だけだったと推定される。
2/6なんでや劇場のテーマは「コーカソイドの部族移動」でした。
その内容を6回に亙ってレポートします。
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このテーマは、11/28「1万年前~3千年前の気候変動と部族移動」12/29「3000年前までのモンゴロイドの移動」から続くテーマですが、ここで「今何故、人類史を追求するのか?」その理由を改めて、再掲します。

経済情勢はドル・米国債の暴落へと向かっており、少なくとも21世紀初頭には世界は大転換を向かえるだろう。それはこれまでの追求によれば、おそらく西洋文明から東洋文明への転換ということになると予測される。我々の進むべき方向性はどこにあるのか?激動の時代を生き残っていく可能性のある民族はだれか?そもそも私たち日本人の祖先とは?こうした疑問に、まずはしっかりと歴史的事実を踏まえて答えを出していくことが今、必要とされている。
このことは言い換えれば、激動の時代には新たな可能性を切り開いていく新理論が求められる、ということでもある。新理論への期待に応えるものとしては既に「実現論」がある。ただし実現論は「前史及び始原人類の時代」についての考察は十分、新理論期待に応えるものとなっているが、私権時代(所謂、文明誕生以降の歴史時代)については、不十分かつ、実現論公開後にも新認識が登場しており、改訂を必要としている。そこで、来るべき、理論収束に向けて、前回より、実現論・私権時代の書き換えに着手する。

【資料】
「■コーカソイドの部族移動」図解
「■Y染色体亜型の世界的分布」地図
『るいネット』「2/6なんでや劇場(1) 1万年前以前の極寒期には南欧以北の欧州は無人だった」から引用します。

地中海沿岸、ギリシア・ローマ、エジプト・シリアといった周辺には、8~6万年前には黒人が進出していたと考えられる。
5~6万年前から2万年前までは最終氷期。但し、最終氷期の間には、4万年前等比較的温暖な時期もあり、欧州ではクロマニヨン人(新人)の生存が確認されている。ネアンデルタール人(旧人)の生存も確認されているが、3万年前には絶滅。
最終氷期終了後も、1.3~1.15万年前にはヤンガー・ドリアス期(最後の極寒期)がやってくる。この極寒期(-8℃)には旧欧州人は南下したため、1.1万年前の時点では南欧以北の欧州は無人化した。但し、南欧、例えばスペインのバスク地方にはそのまま住み続けており、現在のバスク人(白人で長身)はクロマニヨン人直系の子孫と考えられている。
1万年前からの温暖期にステップの北上に応じて、一旦南下した欧州人が東欧・北欧に北上した。当時は、西欧や北欧はステップ地帯だったが、アナトリアやコーカサス、メソポタミアは森林地帯で、その一部を開墾して農耕が開始。イラン高原もステップ地帯で牧畜や遊牧が営まれていた。

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「現在の北欧のツンドラ地帯」(これでも夏)
画像は「藤波Report」からお借りしました。
最終氷期~最終極寒期(ヤンガー・ドリアス期)には、ヨーロッパ中北部の氷床地帯より南の永久凍土地帯も(夏でも)このような植生だったと考えられる。

1.3~1.15万年前の極寒期の欧州は、本当に無人だったのか?
極寒期の人類遺跡があるかが最終的な決め手であり、今後も調べて証明する必要があるが、比較的温暖期の遺跡が見つかったからと言って、そこに人類が住み続けていたとするのは大間違いである。例えば、バイカル湖周辺で比較的温暖だった4万年前の遺跡があったことをもって、NHKや学者たちはあたかもそこにブリヤート人が住み続けたかのような報道をしているが、文献調査の際には彼らのアホさ加減を頭に入れて調査する必要がある。
まず、極寒期の人類に同化する必要がある。
まず減ってゆく食糧を確保するには、弓矢をはじめとする武器が必要であり、寒さに耐えるためには防寒が十分な衣服が完成している必要がある。3万年前には防寒具も弓矢も発明されておらず、洞窟で暮らしていたのが当時の人類である。そんな人類が極寒期に北方で生存できるはずがない。
そういう部族にとって、洞窟を出て移動することは生存確率1割以下の危険な賭けである。まして、寒冷期に食糧がなくなってゆき、追い詰められた上での移動は、生存確率1~2%の「決死行」となる。実際、ネアンデルタール人は手遅れで絶滅した可能性が高い。
NHKの番組によれば、シベリアのマリタ人は移動テントで暮らしていたとのことだが、移動テントであれば寒くなれば簡単に移動するのであって、寒い場所に居続けたなどということは有り得ないだろう。
学者やTVのアホさ加減を示す例をもう一つ挙げる。
学者やマスコミはシベリアの人類を「マンモスハンター」などと称して、出土した骨の数からこれだけの頭数を狩っていたなどと発表しているが、この時代の人類がマンモスを狩れるはずがない。出土した骨の数からみても当時の主要な食料はトナカイである。マンモスの骨が出土するのは、当時の主要食糧が動物の死骸の骨髄であり、マンモスの死骸の骨を持ってきただけにすぎない。

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List    投稿者 staff | 2011-02-08 | Posted in 14.その他No Comments » 

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