文明史⑥ 【5200年前~700年頃】 国家と古代市場
●文明史年表③ 【4200年前~3500年前】 3800年前頃コーカサス~地中海沿岸で戦争の常態化→略奪集団だらけに
●文明史④【3500年前~2500年前】 山賊・海賊によってつくられたギリシャ・ローマ
●文明史⑤【主に2800年前~2000年前頃】 国家の確立と古代宗教の成立
に続き、戦争→国家の起源追求を、るいネットから転載します。
国家形成により身分支配と戦争という強力な現実圧力が働いていた。そこから唯一脱出できる可能性を持っていたのが、この市場だった。しかし市場に可能性を見出せたのは一部の周辺部族・商人階級のみである。
1.国家の成立→財・富が国家上層部(王・貴族)に集中。
2.国家に蓄積された富を狙って、支配層の快美欠乏に応える形で、商人(周辺の遊牧・交易部族)が贅沢品(金・銀・宝石・毛皮etc)を売り込み、古代市場が形成されていく。帝国を結ぶシルクロードや海の道が発達し、鋳造貨幣が使われるようになる。
※市場の起源は食糧等の日常品の物々交換が起源であるとする経済学は根本的に誤りである。市場は、はじめに貴金属etcの幻想価格を捏造することによって、騙し取る。市場商品と農産品の価格格差を梃子に成長していった。つまり最初から“騙し”と国家への“寄生”という構造を持っていた。
参照:168367 「市場の起源、原資拡大の方法、その真実の姿」他
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※古代市場の変遷を探るため、時代を遡って記述する。
【古代の交易関連】
略奪闘争→都市国家への富の蓄積が進み、文明が発達すればするほど、毛織物や金銀銅錫などの金属器、石材や玉などへの欠乏が高まっていく。都市文明と遊牧地帯の中間に交易部族の拠点都市が出来始め、次いでフェニキアに見られるように純粋な交易部族が登場する。
5200年前頃 イラン高原に交易都市エラム(シュメール系?)
5000年前頃 交易都市ダマスクス(シュメールとエジプトを結ぶ交易)
4800年前 フェニキア(セム系)地中海でエジプトと交易
4700年前 エラム古王国
4000年前 フェニキア地中海交易
3500年前 中国で殷(商)
3000年前 アラム(セム系、シリアを中心に移動する砂漠の半遊牧商業民、アラム語が中東の共通語に。)
2800年前 フェニキア、カルタゴ建設
2650年前 エラム滅亡
【広域支配国家成立前後の交易関連】
国家・帝国の周辺で交易部族が活動。帝国を結ぶ広域ルートを開発していく。Exシルクロードや海の道ができ始める。これらの交易路は、貴族階級の宮廷サロンを彩る貴金属や絹織物etcといった高級品が行きかう商品市場であった。
2600年前頃 リュディアで始めての鋳造貨幣(金と銀の合金)が登場。
※当時のリュディアは小さな専制君主制国家で交易国家。国家間の貿易決済に使われた(27842)と考えられる。
2500年前頃~ ソグド人(イラン系遊牧民)、アケメネス朝ペルシャの頃から交易に従事。ここからソグド人等が東西に開発した交易路がシルクロード。
2200年前頃~
インドのアーンドラ朝、多くの商人が香料、金などを求め東南アジアと交易、インド文化が東南アジアへ移植。
漢による中華帝国。朝貢貿易の始まり。周辺国家が届け物を中華皇帝に贈り、皇帝からはそれ以上の返礼があるという国家管理型の交易。
※この頃から西はローマ帝国、中東はパルティア帝国やエジプト、アジアは漢帝国というように、大帝国で世界は分割されていく。
前146年 ローマによりカルタゴ滅亡、フェニキア支配層はイベリア半島へ脱出?
紀元前後~
海の道(ローマ帝国とインド・東南アジアを結ぶ海路)ローマ商人は
金貨を携えて、絹・綿布・胡椒を求めて南インド・東南アジアへ
~以降紀元後~
150年頃 シルクロード発達(ローマ、パルティアと後漢を結ぶ)
200年頃 交易都市パルミュラ(ローマとバルティアを結ぶ)
180年頃 ゲルマン人のローマ領内居住が始まる。
313年 ミラノ勅令(キリスト教公認)
※カルタゴ金融商人(フェニキア)によってキリスト教が普及され、ローマ帝国は乗っ取られ解体されたという説がある。(211294)
395年 ローマ帝国東西に分裂
476年頃 ゲルマン人傭兵により西ローマ帝国滅亡
697年 ベネチア共和国(フェニキア?)
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