2019年09月26日

日本人は「農耕民族」とよべるのか。~縄文精神を受け継ぐ、日本人の民族性と可能性

■生産様式による「狩猟民族」「農耕民族」

人類の諸民族は、大きく「狩猟民族」と「農耕民族」に分けられると言われます。
そしてその生産様式によって、民族の精神性、思考様式、行動規範が違ってきます。

 〇「狩猟民族」は文字通り生活の基盤を狩猟に置き、森一つの地に定住せずに小集団で移動しながら生活していたと言われています。
〇「農耕民族」は主に河川流域に住んで麦や稲を育てて日々の生活を営んできました。作物を育てるために一箇所に定住したと言われています。同時に作物や知識を独占する階層が生まれ、集団は国家へと変化していきました。

 ■狩猟民族と農耕民族の行動スタイル
一般的には、狩猟民族は勢いがあり華やか、農耕民族は計画的で控えめだと言われます。

 〇狩猟民族は自分の意見や将来やりたいことをみんなの前で堂々と発言して行動に移すことができるという特徴があります。
迅速な決断力や行動力がありますが、同時に常に失敗のリスクも伴います。

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〇農耕民族は、まず計画を立ててから行動しようとします。緻密な計画は高い実効性を伴いますが、初動の遅さや即応性の低さとして現れます。

■日本人は「農耕民族」なのか
私達日本人は「農耕民族」であるとよく言われます。
確かに日本の原風景と言って思い浮かべるのは、水田と里山が広がるのどかな田園風景であり、様々な伝統、風習、生活規範もまた集団での農業生産様式に根付いたものでした。

しかし、本当に日本人は農耕民族と呼べるのでしょうか。
日本に稲作が伝わったのは弥生時代、今から約3,000年前、その主役は大陸からの渡来人です。
それに先立つ縄文時代は約1万年も続きました。それ以前の旧石器時代も含めるならば、日本人は長きにわたり「狩猟・採集民族」であり、農耕の時代より遥かに長いことに気付きます。

一方、ヨーロッパの諸地域、例えばかつてのゲルマン諸国(ノルマン、アングロサクソン)やスラブ系諸国(ロシア、東欧など)に代表される純粋な狩猟民族ともまた日本人は趣を異にしています。
彼らは生産性の低い地方で生き抜くために狩猟に特化します。機動力、武器、集団統合原理など、全てはこの外圧に適応する一転に収束しています。

それに対し日本の縄文時代の人々は、豊かな自然の恵みに囲まれていました。
森には狩りの対象となる鹿やうさぎ、猪などが多く住み、川や海では魚介類が豊富に捕れました。
豊かな自然は栗やドングリなど採集に適した栄養価の高い木の実を育み、遺跡の調査からこれらの樹木を計画的に栽培していた事もわかってきました。
最新の考古学研究から、日本人は、狩猟と採集、栽培のハイブリッドな暮らしをしていたことが明らかになりつつあります。
つまり、もともと日本人のDNAには、狩猟と農耕の両方の能力が潜んでいる といえます。

稲作が伝播して以降も、日本では農奴制の様な明確な身分制度や極端な貧富の差も、富を守る為に都市を城壁で囲むような事もありませんでした。
支配者層の渡来人が土着の縄文人を力で支配しようとしなかった背景には、彼らの縄文精神の上に乗り、共認原理で統治した方が諸事上手く行くという判断があったからに他なりません。

 日本人の縄文精神とは、いわば「狩猟民族」と「農耕民族」、双方に共通する人類の本源性を基盤とし、受け継いでいます。
故に「狩猟」「農耕」といった、民俗学的な常識の枠を超え、人類本来の思考と追求の可能性が開かれるともいえます。

「日本人=稲作=農耕民族」という単純な理解では、その本質を見誤ります。
民族の起源や歴史構造まで踏み込んで追求する事で、新たな可能性が発掘できるのではないでしょうか。

 

List    投稿者 nihon | 2019-09-26 | Posted in 16.国家の支配構造No Comments » 

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