2019年10月17日

自然に対する日本人の精神性~「気象兵器」は一時的な恫喝や破壊は出来ても、長期的・精神的に日本人を従属、支配する事は出来ない。

昨今の異様な大災害と、その背後に気象兵器の存在がある事はもはや紛れもない事実である。
実際、気象も地象も人工的に操作できる事は今や常識であり、その兵器転用を研究、実用化している国も一つや二つではない。

 地震や豪雨が起こるメカニズムを知れば、電磁波照射や薬品散布、物理的な発破などによって自然のバランスを崩し、短期的・局所的な異常気象や天変地異を起こせる事は容易に想像できる。
特に日本の、湿潤な気候、峻険な地形、外洋に面した長い海岸線や国土を貫く活発な火山帯は、気象兵器の標的としては打って付けである。

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これまでは政府、マスコミによってその事実は完全に隠蔽されてきたが、今はネットを通して多くの人がその事実に触れることが出来る。
にもかかわらず、私たち日本人の「気象兵器」に対する危機感、恐怖感は極めて鈍い。
その背景には、政府による情報操作に加え、日本人の自然観そのものがある。

日本人は長い間、自然現象を「感謝」と「畏怖」の対象と捉え、どんなに自然の驚異を見せつけられても徹底的に同化し、共生の道を探ってきた。
そこには敵意も諦観もない。ましてや自然現象を支配、操作するという発想自体が日本人の意識に刻印されていないのである。

 それに対し欧米人は常に自然を支配と征服の対象と捉えてきた。
自然現象を全体の調和として見るのではなく、徹底的に分解しその因果関係を科学的、工学的に追求、その結果科学技術、工業技術によって遂に自然を屈服させるに至ったわけである。
次にあるのは、その技術をつかって自然を「隷属」させ、思いのままに操ろうとする意識である。
すなわち彼らにとって気象兵器とは非道でも邪道でもなく、欧米の自然観が至る当然の帰結であり、躊躇いも戸惑いも無いのである。

 

逆に言えば、自然に対する日本人の精神に対しては、「気象兵器」は瞬間的、物理的な破壊工作は出来ても長期的、精神的に日本人を従属、支配する事は出来ないとも言える。
実際、過去このような兵器で乾坤一擲の大災害を引き起こしても、日本人はその現実を受け入れつつ粘り強く立上り、より強固な連帯感と共同体を構築してきた。

 「気象兵器」は、支配者層を一時的に恫喝する事は出来ても、日本人全体を脅威と恐怖で支配する事は不可能な道具なのである。
その事は日本人が古来から培った自然観、歴史観に根差していると言える。
必要なのは、この異常な自然現象に対しても徹底した同化と追求を行い、そこから抽出される違和感、不整合感を逃さない事である(巨大すぎるとか、時期外れとか、前兆が全然ない、、、等)。
それこそが、日本人が持つ「自然の摂理」の感覚に反する事実であり、人工的な気象操作の事実を見抜く糸口になるのではないか。

List    投稿者 nihon | 2019-10-17 | Posted in 16.国家の支配構造No Comments » 

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