観念パラダイムの逆転6 「残る観念は、頭で塗り替えたら終い」
「観念パラダイムの逆転シリーズ」では、“現実否定の倒錯思考のパラダイムから、現実の肯定→可能性基盤の発掘”へと思考パラダイムを全面的に転換すべきことについて様々な角度から扱っている。
シリーズの前回は、シリーズ第4回の問題提起として登場した、「現実を肯定するというのであれば、現実の私権や自我は否定しないのか?」との疑問に対する回答を扱った。
そこでは、今や、衰弱する私権や自我も否定に拘るよりも、本源収束の現実に立脚し、新しい可能性の萌芽を発掘する事の方が重要であるという四方氏の提起を紹介した。
今回は、シリーズ第4回で提起された、もう一つの問題である、「支配観念やそれに基づいて作られた支配制度(私権制度)については、どう考えればよいのか?」を扱うことを通じて「観念パラダイムの転換の必然性」を説く、四方氏の記述を紹介したいと思う。
(デカルト 写真は「ウィキペディア」さんからお借りしました。)
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時代が大きく転換する時、社会を導く新たな観念が常に登場する。事実として、過去は時代の転換期に様々な新たな思想が登場し、社会を導く思想の座を巡って互いに競い合った歴史がある。
例えば、武力社会から市場社会に転換する過渡期(17~18世紀)のヨーロッパでは、近代思想の諸潮流(デカルト、アダムスミス、カント、ヘーゲル、マルクス等の諸派)が登場し、時代を導く思想の座を巡って、激しい論争が巻き起こる。また共同社会から私権社会への過渡期であった、3000年前から2500年前、世界中で古代宗教(+ギリシャ哲学)がほぼ同時に登場し、中国では「百家争鳴」という言葉に象徴されるように、数多くの新しい思想が乱立し競い合った。
同様に現在、私権原理は衰弱し、崩壊し、共認原理へと大転換期を向かえている。私権収束に基づく序列原理が崩壊しつつある以上、社会は人々の共認によって統合されるしかない。その中で既に社会共認を左右するマスコミが、旧い政治権力を凌ぐ第一権力へとのし上がっている。そのことに象徴されるように、時代の転換を導く新たな観念内容(共認内容)を巡る闘いが、今後最重要の課題として浮上するだろう。
ここで新思考パラダイムへの転換の必然として、圧力状況の決定的転換に注目したい。私権時代においては、主要な圧力(=活力源)は私権圧力であり直接的には序列制度の圧力であった。その圧力は一方的にやってくる否応の無い強制圧力であり、従ってその圧力を頭の中では否定視することが可能であった。
加えて、序列統合の時代には、身分制度(それは生涯固定であるばかりでなく、孫子どもの代まで身分が固定される、末代固定のものである)によって、私権拡大の可能性は殆ど封じ込められてしまう。従って現実の可能性は完全に封じ込められていた。
その結果、現実を全面否定した、古代宗教=「倒錯観念」が必然的に登場する。
それに対して、近代市場社会は、確かに市場は私権獲得の可能性を一部切り開いた。従って、開かれた私権主体の可能性だけを一部肯定した、近代思想=自己正当化の「欺瞞観念」が必然的に形成される(ただし、市場時代も制覇力が武力から資本力に転換しただけであり、なお力の序列原理によって統合される。従って近代思想も古代宗教と同じく倒錯観念の性格は残したままである)。
これが現在の支配観念を必然的に生み出した圧力状況である。
それに対し、極限時代や採集時代においては、主要な圧力源即ち活力源は集団内の同類圧力であった。もちろん、極限時代は生存圧力を背景としているが、それを突破する可能性の導きの糸となったのは、集団内の構成員が生み出す期待と応望の圧力である。
従って人々は、「あの人ならやってくれる」という人々の期待をまっすぐに受け、その期待に応えることで共認充足を深め、そこに充足可能性を見いだし、日々の活力源としていくことができた。
つまり、現実の圧力=同類圧力は肉体的に肯定可能な(さらに言えば仮にも捨象すれば共認充足という最大の活力源を喪ってしまう)ものである。
とりわけ重要なことは、人々は現実の充足可能性を自ら切り開くことが出来るという点であり、従って、必然的に「現実肯定→実現思考」のパラダイムとなる。
これが私権時代との圧力状況の最大の違いである。
現在においてはその違いは更に鮮明である。既に生存圧力も序列圧力(私権の強制圧力)も衰弱し、本源充足の可能性が開かれている。
同類圧力(共認圧力、集団内外の期待と応望⇒評価圧力)が生存圧力、序列圧力に代わる、新たな活力源となった現在、「現実肯定→実現思考」が今後の思考パラダイムとなるのは必然である。
(ヘーゲル 写真は「ウィキペディア」さんからお借りしました。)
思考パラダイムは一つの時代に一つしか成立し得ない。
それは、まず事実として、原始時代は実現思考が唯一のパラダイムであり、私権時代は(あれこれの思想内容の違いはあるが)倒錯思考のパラダイムしか存在しなかったことから明らかである。
思考とは、そもそも現実圧力に適応する為に行なわれるものであり、従って、当エントリーで明らかにしたように、その時代の圧力条件によって思考パラダイムが必然的に決定される。そして、実現思考への思考パラダイムの転換は、序列圧力から同類圧力へ移行したこと。従って、共認充足、本源充足の可能性が拡大してゆくことからも不可逆的である。
しかしパラダイムの転換を阻害しているのが特権知識階級である。
そもそも、現在の特権的知識階級は序列原理に立脚するものであって、そもそも人々の共認によって統合される共認原理から見れば前時代の遺物にすぎない。
かつ彼らは旧パラダイムに立脚しており、圧力状況が大きく転換していく中では、旧パラダイムは人々から見放されていくばかりである。
つまり特権知識階級の消滅は構造的に必然なのであって、彼らが生き残っているのは、マスコミ・大学などの学校制度等の社会共認の内容を独占的に差配できる特権制度がなお残存しているからに過ぎない。
時代は既に共認原理に移行している。従って何らかの社会共認が成立しなければ社会は統合できない。従って、旧来の特権制度に代わる「万人による共認形成の場」の拡大こそが、新パラダイムへの移行の幕開けとなるだろう。
(写真は「図鑑.netブログ」さんからお借りしました。)
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コメント3件
lived104 | 2010.07.21 11:45
>智太郎様
コメントありがとうございます。
貴ブログ拝見いたしました。
特権階級の暴走が目に余る状況ですが、これまで隠蔽されてきた事実が、特権階級の無能さが、至る所で露呈してきています。
庶民が共認形成の場を自分たちの手で作り、政策提言・制度設計に取り組んでいく段階にきたと確信しております。
mbt shoes clearance women | 2014.02.22 12:01
mbt baridi 日本を守るのに右も左もない | 庶民による社会統合気運の高まり その最先端の潮流を探る5 ~名古屋市・地域委員会の可能性とは?~
智太郎 | 2010.07.20 19:36
トラックバックをさせて下さい・・・暑いっ!異常気象のせいか?暑いのに災害も多いですね~?。 共通するキーワード=「破局」を含むブログ記事: 菅内閣の平気でうそをつく人たちに、石原真理も驚きの顔で、「安全地帯」のボーカル玉置浩二(51)が、女優の青田典子(42)と電撃結婚した報道ニュースで騒がれ、石原真理は、ブログの更新などはせず、沈黙を守ったそうである。我々:国民の悪党:民主党に対する怒りは、電撃結婚とは異なり、沈黙を守ってられないのは当然なのである・・・トラックバックをさせて戴きました。