マスコミによる世論操作の恐さ-1
上記画像:豊中ではたらく社長のブログから拝借
今回の政権交代は、前回の小泉選挙とは違い、
大衆的共認闘争の大勝利となった!
前回の小泉フィーバーは、中立公正も何もない露骨な偏向・煽動報道によって郵政選挙が演出された。
ところが今回は、検察とマスコミが一体となって小沢秘書などの政敵をも失脚させてきた中で、民主党の大勝利があった。
このような出来事は、今回が“始めて”であった。
『検察とマスコミの力』を持ってしても、『民意の力』には勝てなかったのだ。
『民意の力』が、マスコミが発信する世論操作を見破り、跳ね返したことが今回の大勝利だったのである。しかしながら、日常生活の中で我々は、まだまだマスコミによる言論統制の影響を無意識の内に、受けることになる。ここに、注意を払う必要が今後ともある。
マスコミの売りは、『思想・表現の自由』であるが、『思想・表現の自由』は彼らのものではない、
国民のものだ。 👿 『民意を無視した偏向・煽動報道』は、本来あってはならない。
マスコミ(世論操作)の恐さをシリーズで示していきます。
今回は、第一回目ですが、そのまえに応援クリックよろしくです!
マスコミが最後の権力者?・・・るいネットのサイト内掲示板 より引用。
『>権力者の不正を許さない(または密室性を廃し透明にせよという)人々の監視圧力の高まりを是と感じる一方で、それで何か好転したのか、益々閉塞感は強まっているではないかという根本的な疑問も生じます。
マスコミは日々、国家や市場(企業)を叩くけど、彼らはすでに力を失っていると思います。
実際、政治家になりたいっていう人もお金持ちになりたいっていう人も少なくなったし、身分やお金が人々の共認によって力を持つものだとしたら、そこには、「他に代わるものがないので(参考:リンク )」というだけの引力しかありません。
でも、マスコミ人気はまだ根強いと思います。
ただ、以前のように「お芝居に命かけてます」とか「歌に思い入れがあります」とか、そういうある1つのものに嵌るのはむしろ流行らなくって、とにかくその社会的な評価上の地位というか結果というか、そういうのに価値があるような感じで、「何でも楽しくやります」とか「特にこだわりはありません」とかいうのが増えている気がします。
>共認の独占支配、これこそ権力の最たるものです。
テレビで流れる言葉に感じる違和感は年々強くなりつつも、代償価値には嵌れなくなりつつも、マスコミに向かってしまうのって、マスコミがとりあえず既存の体制の中の1番の権力者(最大の評価者)だと知っているからじゃないでしょうか。
つまり、身分にもお金にもすがれなくなった、私権存在の最後の拠り所なんだと思います。
それに対して、マスコミの胡散臭さの方をより強く感じている人も多くいると思いますが、代わりのもの=答えを見つけない限りは、どうしようもありません。
『超国家・超市場論(国家や市場に代わる新しい統合機関)』の議論の後、みんなが自然と「代償充足」や「芸能」や「マスコミ」といったテーマに収束していったのは、『超マスコミ論?(マスコミに代わる新しい共認機関)』を求めているからじゃないかと思いました。
マスコミの意識の根底には、大衆は何も考えていないから自分達が代弁しないといけないという意識
(思想・表現の自由)と、視聴率を如何に獲るかという市場原理に則ったものしかない。
このようなマスコミの特権的身分の位置づけは、
彼らを監視する機関が無いことからもその事を伺うことができる。
例えば、放送倫理・番組向上機構(BPO)内の委員の構成は、
マスコミにゆかりのある人物ばかりであり、委員長になる学者もマスコミ御用学者が多い。
(参考 :リンク)
マスコミが第一権力者であり続ける引力の中身(=武器)を
今後のシリーズで明らかにしていきます。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2009/09/1371.html/trackback
コメント3件
!うにまろ!日記 | 2010.03.21 11:07
報道の見方書き方解き方unimaro風
今回の司法と検・察の犯罪とそれに加担しているマスコミによる国家反逆行為は、ウリに大変な勉強の機会を与えてくれたニダ。 ニダと云えば、今日のスケート大会中継…
http://www.glolo.co.uk/ | 2014.03.15 9:39
日本を守るのに右も左もない | 世界情勢が読めず、思考停止する外務官僚
よく考えよう | 2010.03.16 23:50
真の景気対策とは
世紀を超えて1つの文明が終わり、新しい文明が幕を開けようと陣痛が起きている姿が現実の姿では無いでしょうか。