2009年09月07日
日本支配の構造37~岩倉使節団:その他の欧米諸国(フランス、ドイツ、ロシア)編
アムステルダムのオランダ西インド会社館 オランダ東インド会社(旧VOCアムステルダム本社)より画像をお借りしました
・・・ビスマルクから助言。ロシアは大きいが意外と後進国。
欧州各国で使節団がみたものは何だったろうか?
フランス、ドイツ、ロシアはどうだったのか?ロシアは領土は大きいが意外と後進国だった?。
★地球史探訪:岩倉使節団~サムライ達の地球一周より引用します
1.共和制か、君主制か
・11月16日、ロンドンを発ち、ドーバー海峡を渡って、フランスに着く。煤汚れた喧噪の町ロンドンに比べれば、パリは美しい石造りの建物の建ち並ぶ、まさに「風景、絵のごとし」と一行が讃歎する麗都であった。
しかし、この美しく豊かな国が、革命以来政体が安定せず、80年間の間に6回も王政と共和制を繰り返してきたことを知る。政経学者のブロック博士からは、かえって日本の「万世一系の天皇制」を評価される。共和制寄りの考え方を持っていた木戸も、「独立自由も三権分立も、よほど勘弁してかからないと大変なことになる」と考え直した。
・アメリカの共和制は良い所も多いが、たとえばニューヨークなどのビジネス都市ではとくに富豪・財界の力が大きく、政権もほとんどその力に圧せられてしまっている。アメリカ人は「共和と自由」の原理を信じて、その弊害を知らず、「只、その美を愛し、世界を挙げて、己の国是に就かしめんとす」などと記録している所は現代の米人を髣髴とさせて苦笑させられる。
昔の領主達が支配する国が君主制で新興金貸したちが支配するようになった国が共和制であり、どちらも日本に目指す道ではないと目に写ったのかもしれない。
逆に、後に訪ねるロシアは前時代的な極端な帝政で、全くお手本にはならない。結局、木戸も大久保も帰国後にそれぞれ、立憲君主制による「日本独自の」君民共治を目指すべき、という建言書を提出している。伊藤は、この方向を発展させて、後に大日本帝国憲法を起草することになる。
続くその前にクリック願います