2009年09月06日
<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No6~大正デモクラシーの実態~
<明治「形だけの近代化」>「制度が先行した日本」 で見たように、明治22年に、憲法が制定され、近代国家の体裁が整えられたのですが、実態は「大日本帝国憲法」は、政党政治を前提としていないだけでなく、内閣及び内閣総理大臣の決定方法が明記されておらず、『大命降下(たいめいこうか)』といって、天皇が、元老や重臣会議などの推挙に基づいて、内閣総理大臣候補者に対して組閣を命じていました。
つまり、明治政府は、形式的には議員内閣制を取りながら、その実権は、維新の功労者、山県有朋や伊藤博文が握っていたのです。
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