2007年11月29日

「どうする?マスコミ支配」2~なぜ、マスコミは拡大してきたのか?

現在の「マスコミによる共認支配の怖さ」を考える上で、マスコミがどうして拡大してきたのか?という構造を紐解いておく必要があると思います。その構造解明については、るいネットに多くの記事があり、そこから一部をご紹介します。
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【火事と喧嘩は江戸の華】といわれているようですが・・・
岡田さんのこの記事はその根本構造を明確にしています。
「素人の社会活動11 マスコミの共認支配」
※全文は続きに掲載しています。るいネットでも見てくださいね。
その記事の概要は、
●失われた共認充足の代償としてマスコミ登場
●⇒大衆の解脱共認欠乏を土壌とし成長
●⇒大衆を解脱固体化し
●⇒解脱箱(TV等)なしには生きてゆけない大衆【ブロイラー】を作り出した。
●⇒発信される共認内容は、なんであれ支配観念が美化・正当化され
●⇒さらに大衆を洗脳し、共認形成の場を作り上げた。

この記事に書かれているところで重要なのは、
【マスコミが一方通行(統合階級の染脳機関)という形であれ、バラバラに分解された解脱個体を収束させた全く新しい社会的な共認形成の場(正しくは共認支配の場)を作り上げた事は、注目すべきである】
というくだりです。
社会は人々に意識で作られています。その意識は、共認され、ある一定の秩序(=社会共認)を形成しています。この共認形成の場をつくりあげたマスコミの構造は、人々の意識や欠乏に即応するもので、その観取・同化能力は、私権原理の社会下において、多大な力を発揮しているということです。
この【共認形成の場】を作り上げ、拡大してきたマスコミの構造は、良くも悪くも現在の社会不全(マスコミ・政治・企業・学校不信)の状況において、大衆がもっとも必要とする【マスコミなどに変わる新しい共認形成の場】の形成にヒントを与えるものではないか?と思っています。
さてその構造は?どのようになっているのでしょうか?
それは、目先であれ、代償であれ、自我であれ、共認であれ、
【人々の欠乏の充足をターゲット(=対象)にしてきたが故の拡大構造】
があるのではないか?と思います。
続きは続きで・・・・
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 では、ちょっと前述を解説すると、もともと、日本人は、村落共同体において共に認めながら集団や社会を運営・維持してきたという充足の場がありました。戦後、戦争という闘争圧力(外圧)と序列圧力が低下して、多くの人々が私権(お金、もの、女、地位)を獲得すべく、都市化、市場拡大(戦争特需、何回かの好景気、高度成長)の流れをうけ、村落共同体を飛び出した人々が新たな社会共認の場(共に認め合える場)を必要とする欠乏が高まり、その庶民の意識に答えるべくマスコミの前身(映画と新聞)が登場しました。
 そのうち、TVが1962年に登場して、映画・新聞に変わる新たな解脱箱が登場。マスコミ発祥の当初は、解脱(遊び、性、祭りなど)に答えるべく登場したが、社会状況が変わるにつれ、自我肥大(自分さえよければいい)という発散欠乏に答えるべく、1970年の貧困の消滅を期に、さらに、その内容は大衆迎合を推し進めるべく、対立と異常事件(火事と喧嘩)【※るいネットより『三文脚本家としてのマスコミ』北村さんの記事を参照下さい。】をさらに報道し、いまや、それを捏造してまでも作り出すという構造にいたっています。
このように、マスコミは、私権社会において、得られることのない目先の共認充足に変わる目先の発散系の自我充足に表面的に(代償的に)答え、内容を変えつつ拡大しています。
例えば、
●大衆の目先の娯楽収束⇒映画・劇場など⇒TV
●大衆の目先の快適収束⇒市場拡大から三種の神器⇒新三種の神器の広告
●大衆の目先の私益収束・自我肥大収束⇒喧嘩と火事報道・風俗番組
●大衆の目先の遊興収束⇒恋愛ドラマ・漫才、お笑いブーム
●大衆の目先の観念収束⇒科学番組など
●大衆の目先の秩序収束⇒企業たたき報道、官僚叩き報道
●大衆の目先の注目収束⇒小泉フィーバーなど
この代償たる目先の収束に答えるべく、マスコミは拡大してきました。
マスコミの発展が目先であれ、このような大衆の意識に答えているという構造は、共認形成上、重要な位置にあります。
しかし、昨今の大衆の意識は、事実収束、根底収束の流れにあり、この目先収束の閉塞を突破する答えが求められています。マスコミの目先収束に答える拡大の手法とは真っ向から対立する構造があり、マスコミ離れが加速しているという状況なのだろうと思います。
サイト名「素人の社会活動11 マスコミの共認支配」の全文を引用します。

●村落共同体(深く広範な共認充足)を失った大衆の解脱欠乏⇔テレビ(前身は、新聞・映画)
1】マスコミは、バラバラに分解された大衆の解脱共認欠乏を土壌にして成長してきたが、同時にマスコミの成長はますます大衆を解脱個体化させ、更にはこの解脱箱なしには生きてゆけないブロイラーの如き存在にさせた。
2】マスコミは、解脱情報を武器にして、大衆を支配観念一色に染脳し続けてきた。それは単にニュース解説etcによってではない。娯楽作品そのものの中に支配観念が様々な形で美化されor正当化されて発信されることによって、大衆は染脳され続けてきた。
☆しかし、今や支配観念と娯楽作品は、新しい価値を生み出す力を、全的に喪失した。
3】しかし、マスコミが一方通行(統合階級の染脳機関)という形であれ、バラバラに分解された解脱個体を収束させた全く新しい社会的な共認形成の場(正しくは共認支配の場)を作り上げた事は、注目すべきである。

注:そこでは、素人は与えられた番組や芸能人に対する受動的な評価主体としてしか、存在していない。(もちろん、何がしかの繋がり充足や癒し充足や発散充足を得ているが、それら全ては与えられたものでしかない。)

この記事を図解化すると下記のようになりますので、参考にしてください。
【図解】素人の社会活動11 マスコミの共認支配(野田さんの記事です。)

List    投稿者 2310 | 2007-11-29 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配8 Comments » 

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コメント8件

 テレビ見ない人1号 | 2008.02.15 12:49

娯楽ってのは、現実世界の簡略化バージョン。
現実世界と巧妙に重なっていて、しかし本質の複雑な部分はカットし、分かりやすく加工したもの。
だから感情移入はできるが、
どうしてそうなってるか、は絶対分からないようにできている。

 米流時評 | 2008.02.15 14:58

号外!ロムニーついに降参、マケイン傘下に下る!

 ||| ロムニー、ついにマケイン支持を表明 |||
戦線離脱のロムニー候補、代議員を譲渡してマケイン支持を表明
米国東部時間08年2月14日午後…

 くまがわ直貴 | 2008.02.15 17:35

 マスコミは、1970年代の緊張緩和(デタント)以降、現実社会の目まぐるしい推移の中で、そのスピードや視聴覚者の本来の要求に応えるべく、試行錯誤を繰り返して現在に至っていると思います。
 果たしてそれは満足な試みだったかと言われれば心もとないのですが。

 本郷猛 | 2008.02.18 19:40

テレビ見ない人1号さん、くまがわ直貴さん、コメントありがとうございます。
マスコミの問題性の一つは、「編集権」にあると思います。
予めマスコミが作り上げたストーリーがあって、それに沿った、あるいは都合の良い断片的な現象事実だけが切り貼りされる。これが「編集権」です。そうなると、真相とは似て非なるものが出来上がるわけです。

 羊熊 | 2008.02.19 22:43

>「紅白歌合戦」にさえ人々は同化し、「赤勝て」「白勝て」と応援したものである。<
確か、紅白の視聴率がピークに達したのも、日本において映画興行が隆盛を極めたのも70年前後。
このころは映像を多くの人たち(家族or近所の人たち)と一緒に観て、一緒に共感・充足していた、つまり、共認機能がフル稼働していた。
やがて、テレビの普及に伴って映像体験の個室消費化が進んだ。その過程は共感・共認回路の衰弱と平行している。
集団による映像解脱が、個人単位での映像解脱に移行したのだ。
今でも、何年かに一度、すばらしい映画を観たとき、劇場全体が充足の空気で満たされる瞬間がある。そこで皆が素直に声を上げたり、拍手が起こればその充足はより共認されるのだが。。。と少し残念に思うことがある。
一方で、そんな映画は最近皆無に近いのも事実。
これは、作品そのものが最初から個的解脱を意識して、「分かる人にだけ理解してもらえばいい(諦めも含め)」というスタンスで製作されているからではなかろうか。
今回の分析を拝見してそんなことを考えた。

 Hikaru | 2008.02.20 2:13

脳内の感覚構造など、大変興味のある内容でした。
>代償物から実物へと人々の欠乏が大転換し、同化対象が代償物から実物へ転換したこと。これがTVや映像離れの根本原因である。
同化対象が仲間に変化するなかで、今なお人気のあるテレビゲームでさえも仲間で一緒にできるかたちをとって変化しているようです。
また、実物へと人々の欠乏が大転換し、欠乏に応えてきた媒体として、インターネットの存在があると思います。
今後の実物収束への可能性を拡げていくと思います。

 健太 | 2009.10.20 14:47

初めまして^^
僕は昔から、テレビ見ていたので、現実の本質にきずいてなかったことに今分かりました。
すごく洗脳されてきたと思うとぞっとします。
よくよく思うと、テレビの中の人って浮いている感じもしました。自分もそのテレビの共認支配に一緒になって見ていたと思います。たぶんです。
あと質問なんですが、音楽も映画もHビデオも
、共認支配なんですか?

 hermes handbags price | 2014.02.02 14:46

hermes westerburg 日本を守るのに右も左もない | マスコミ支配からの脱却基盤~代償収束から実物収束への大転換

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