活力の源はどこから?日本が失った、共同体という教育の場。
先回は、活力を無くす日本について、少し過去を遡って検証してみました。
基本的には村落共同体が解体されてしまったことが大きく影響していると思いますが、その中身をもう少し深めてみたいと思います。
まず、江戸時代はどうだったのでしょうか? 一般的には、封建時代は、庶民の生活は厳しい時代だったという事になっています。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
⇒江戸時代の事実から、近代思想が本源性を壊していく過程を観る
江戸時代は農村は貧しく、一揆の数も多かったと教えられてきたのも、大きな誤り。また、江戸時代に日本を訪れた外国人達の目からは、欧米とは比べものにならない、庶民生活の豊かさが語られ、一様に驚きを隠せない様子が伝わって来るのです。
しかし、江戸期まで長く平和が続いた日本も明治維新から大きく変わります。明治政府は、長州から出た田布施一族などがロスチャイルドなどの金貸しの力を借りて政権を奪ったものですが、そこから日本はどんどん戦争圧力が高まり続けます。世界の金貸しにとって、最も儲かる商売は戦争で、それは今でも変わりませんが、明治以降、日清、日露・・、と日本もその流れに巻き込まれていくのです。
ここで、庶民も、政権のおかしさに気付くと思うのですが、明治政府は学校における教育をはじめ、江戸期の文化を否定、廃仏毀釈と証して寺院が半減させられるなど、江戸期の文化を悉く破壊しながら、明治新政府の正当化を図ります。
さらに、明治~大正~昭和と、日本も市場が拡大するに従い、人々は豊かさを求めて、どんどん地方から都会へ移動が進みます。そうなると、地方の村落共同体は徐々に、自治力を失ってゆくことになります。元来、子どもたちの教育は、各家庭だけでなく村全体で行われ、子供達は働く親たちの背中を見、また厳しい自然外圧に晒されながら、自分たちのできることは、当たり前のように行うことで、成長してゆきました。
しかし、都会生活を行う核家族には、そのような機能は期待できず、教育機能を失った家庭は、教育を学校に委ねるしかなくなります。村落では当たり前だった、生殖と労働の場が一体という全うな教育の場を失ってしまうのです。
また、だれもが個的な豊かさを追い求める中で、画一的な学校教育は、受験戦争を生みだし、答えのある問題にしか反応できない受験脳を生み出します。そして、現実の生きた圧力の掛からない生活環境下では、未知なる答えのない問題に対応する能力が一向に磨かれません。市場社会への移行と共に、共同体という、外圧と一体の教育の場を失ったこと、これが現在日本が停滞する原因の一つとなっているように思うのです。
(kuri)
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