2015年06月19日
裏天皇「堀川政略」の概容
引き続き、天皇家について。
6月2日のエントリー「旧陸軍系の錦の御旗(裏天皇)=堀川辰吉郎」の続きを解明したい。
裏天皇体制がどのように構築され実行されたのか。この堀川辰吉郎を裏天皇と成らしめた具体的な政略が存在していた。
今回のエントリーはそれについて克明に記されてあるブログから引用紹介したい。
--------------
「堀川政略」の概容
ナポレオン戦争を経て、半封建的領邦国家から近代国民国家に変貌した欧州列強からの日本に対する国際化要求は光格天皇の御宇に始まり、欧州王室連合から日本皇室に対する皇室国際化の要請がしだいに現実味を帯びてきました。
具体的には、将来の世界王室連合への参加の呼びかけです。これについて、孝明天皇と側近が討議を重ねます。側近とは仁孝天皇の猶子(ゆうし)で孝明にとって養兄に当る青(しょう)蓮院(れんいん)宮尊(そん)融(ゆう)法親王と侍従岩倉具視です。
討議は、わが国が欧州列強に交わり近代国民国家として国際舞台に立つためには、政体の新しい装いとして立憲君主政体の樹立が必要になることで一致します。これを前提に、古代から続くわが國體(こくたい)を護持しつつ皇室を国際化するには、畢竟(ひっきょう)皇室を表裏に分けて二元化するほかないとの結論に至ったのは、日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです。つまり「オオキミはカミにいませば」の本義です。
