観念支配の原点?・・・奴隷か。その末裔のサラリーマン。
現代は檻のような時代、情報の檻、観念の檻、制度の檻、文字の檻・・・・檻・檻・檻・・・・脳は徹底的に観念支配されている。
それらに追い込んでいくのは誰だ?学校、マスコミの作り出す檻、そこに権威を与える学者や学界。これも檻。それらの常識を注入された親の檻。 観念支配、マスコミと学者は持ちつ持たれつ、染脳の両輪
しかし、生まれたばかりの赤ん坊は、あけてもくれても追求している。じっと見詰めたり、触ったり、なめたり。そして笑ったり泣いたりしている。そして教えられなくても自然に言葉を覚えていく。幼児も“なんで”と追求している。
★なんで現代人は大人になるとあけてもくれてもスマホやTV、顔も暗いったらありゃしない。追求心のかけらも感じられなくなってしまう。それはなんで??
鍵は、自分のことしか考えなくなる意識構造に陥っていること。
歴史を遡って考えてみる。
・古代の奴隷
戦争に負けて奴隷に。鎖につながれて強制労働。でも実体は現代のサラリーマンと殆ど同じだったようだ。
古代ローマの奴隷は今でいうサラリーマン
自分からどうしたいとかは言わない、でも給料や休みをもっと増やせとか要求はする。そこに社会のこととか集団のこととかは何もない。極めて現代人の精神構造に似ているのが注目ポイント。
・中世~近世
村落や藩や小国に分かれて分立していた時代。個人にとっては身分の獲得が必要、それと藩や国に忠実である必要があった。村落では規範も強かった。そのなかで自分のことばかり考えているやつは相手にされない。(村八分、身分も私権も獲得できない。)
・現代サラリーマン
ひたすら休日収束、活力衰弱しているように見える現代の日本人サラリーマン。
近世との違いは、50年前の豊かさ実現からはじまっている。
豊かさが実現した結果、自分のこと(私権獲得)しか頭にない連中が出てきた。
そして世の中で何が起ころうと“自分には関係ない”。・・・・
☆すごい矛盾、50年前豊かさが実現して可能性が広がったのかと思えば、自分のことしか考えなくなった??
自分には関係ないって奴隷の極み。・・・何で??
続きは次回に・・・。
(by Hiroshi)
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