2019年01月17日
すでに制覇力は、共認形成力(認識力)に移行した~お上の暴走から、認識収束の潮流へ~
以前の記事で扱った、お上の暴走について、さらに考えてみたいと思います。リンク
1970年以降の「お上の暴走」を大きく3期に分けて整理しました。
第1期(1970年~2000年ごろ)は、今見るとばらまき経済とバブル爛熟といった「大暴走」に違いないのですが、その当時の日本人は「暴走」という認識は全くなかったでしょう。自らもお上と一緒になって暴走を謳歌していたわけですから。。。
第2期(2000年~2010年ごろ)の暴走もまた、統合階級によるアメリカ追従と権力闘争がその背景にありますが、第1期の暴走が「資力」を背景にしていたのに対し、第2期はマスコミや御用学者を動員して「共認形成力」をつかった暴走といえます。
ここでも最初の頃は「暴走」と認識していた国民は少なく、むしろ痛快でセンセーショナルな言葉に「フィーバー」していました。
しかし、バブル崩壊を経てこれまでの経済最優先という価値観から人々の意識が転換し、そして震災・原発事故、その後の統合階級の対応を目の当たりにしたあたりから、人々は今進行している事象は事実や未来に結びつかない、統合階級の「暴走」である事に気付き始めます。
そして迎えた現在の“第3期(2010以降)”では、人々は明確にこの違和感、不整合が「お上の暴走」であると確信し、豊かさやマスコミ支配にかわる新たな社会統合軸を主体的に模索し始めています。