国家紙幣の可能性~ 一次大戦前のロシアは、国家紙幣を発行する国立銀行によって安定していた~
NW証券取引所に端を発した株価の暴落は世界に大きな衝撃を与え、その余震は今も続いています。
さらに今回の暴落は、「投機的売買による高騰と下落」といった従来のそれとは違った様相を見せています。
発端は米国バブルの崩壊という典型的な暴落ですが、その背景にある世界情勢の大転換があります。
アメリカの武力支配の崩壊と露・中の台頭、さらには資本主義という経済システムそのものの限界と新たな経済秩序への潜在的な渇望というものがその背景にあるからこそ、今回の経済破綻にこれまでとは違う「何か」を人々は感じています。
その中で、この閉塞した経済状況を収集する一手として、 「国家紙幣」の可能性が示唆されています。
国家紙幣の可能性については、本ブログでも度々紹介しています
しかし近代経済学上では、国家紙幣は国家による紙幣の水増しを許容し経済をインフレに導く「邪道」の策とされてきました。
しかしそれは事実なのでしょうか。
事実を検証する上で、
第一次世界大戦前のロシアは国家紙幣を発行し、それにより安定と好況を手にしていた、という興味深い記事を「るいネット」から紹介した
帝政ロシアは国家ぐるみで圧政と搾取を繰り返し、王族は贅を尽くし大衆は疲弊の極みに達していた、と私たちは教科書で教えられますが、ここには全く逆の事実が書かれています。
以下、引用します
【 第一次大戦前のロシアは、国家紙幣を発行する国立銀行によって安定していた】
イギリス中央銀行(1694)を皮切りに西欧諸国に次々に中央銀行を設立することで金融支配を拡大していた金貸しは、ロシアにも中央銀行を設立することを画策したが、アレクサンドル1世(ロマノフ朝10代ロシア皇帝、在位1801~1825)はこれを受け入れなかった。(その後、皇帝は1825年に不審死)
第一次世界大戦(1914)以前のロシアは、アレクサンドル1世→ニコライ1世→アレクサンドル2世(在位1855~1881)の間、金貸しによる中央銀行の設立を拒否し、自ら国家紙幣を発行する国立中央銀行(1860年)を設立して安定していた。
それが、第一次世界大戦中のロシア革命(1917)により、金貸しに支配されることになる。
(リンク)
〇 1860年 アレクサンドル2世は 帝国銀行を設立。 以後 国家計画などを実現する重要な機関となった。
国の貨幣と紙幣を印刷し 国内に流通するお金の量を調整、低金利の貸付をして 商業の繁栄を促した。
〇 ロシアの帝国銀行は 当時 世界一の金の埋蔵量を誇っていた。
世界のなかで 一番 負債の少ない国となった。
〇 アレクサンドル2世は 農奴制を廃止した。
貴族所有の土地は少なくなった。
1913年までには 農民が 自分の土地を所有していた。
〇 農民の土地購入を可能にするため 政府の 農業銀行も設立された。
「世界で最も偉大で 社会に有用な金融システム」と 絶賛されていた。
〇 ロスチャイルドのような高利貸しを排除して 善良な経済政策で ロシア帝国は とても栄えた。
〇 1912年時点では ロシアは 世界一税金が少なく インフレも失業も ほとんどなかった。
〇 児童労働など 先駆けて禁止。 完璧な労働法を作った。
〇 ロシア皇帝のもとでは すべての人種に平等の権利とチャンスが与えられた。
世界のどこにも見られなかったレベルのものである。
ニコラス2世 (1894 - 1917)と かれの 帝国銀行は人類史上類のない 労働者天国を作った。
〇 1917年 11月7日 ・・・
ロスチャイルドは この帝政ロシアを内部から突き崩すために、おもに ユダヤ人の ボルシェビキ(共産主義)に資金を与えてニセの革命を引き起こした。
この革命は、やがて国を乗っ取り 意図的な 飢餓による 大殺戮を通して繁栄と平和を崩壊させた。
(リンク)
以上引用終わり
国家紙幣を否定する近代経済学とは、そもそも金貸しが自分たちに都合の良い経済環境、すなわち騙しと搾取を正当化する為に創出し流布した観念に他なりません。
その観念から開放されれば、実は様々な思考や可能性が生まれてきます。
「国家紙幣」もそのひとつであり、その本質と事実の追求が、次代の経済はどうなるか、を読み解く鍵となりそうです。
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